三笠宮さまは“天皇家の秘密”をご存知だった!? ユダヤ(古代イスラエル)と日本の知られざるつながりに戦慄

11月9日(水)9時0分 tocana

イメージ画像:「Thinkstock」より引用

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 先月27日、三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下が薨去(こうきょ)され、今月4日には一般人の本葬に当たる儀式「斂葬(れんそう)の儀」が東京都文京区の豊島岡墓地で営まれた。昭和天皇の末の弟君で天皇陛下の叔父にあたる三笠宮殿下は、古代オリエント史の学者としても知られるが、当初から研究のメインテーマが「古代イスラエル」そして「聖書」だったことは、あまり知られていない。

 天照大神を先祖とする皇族が、異国の宗教であるユダヤ教の聖典を研究されるというだけでも興味深いが、実は三笠宮殿下は、古代イスラエルと日本の皇室との関係、つまり日ユ同祖論的な学説について多大な関心を持たれ、調査されていた節があるのだ。もしも日本の天皇家と古代イスラエルにつながりがあるとすれば、日本の歴史がひっくり返る事態となる。今回は、三笠宮殿下と日ユ同祖論の謎に迫ってみたい。

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■八咫鏡の裏にヘブライ語!? 三笠宮殿下は調査を約束していた

 第二次大戦時、三笠宮殿下は陸軍少佐として出征されていた。その際、敵のことをよく知ろうとキリスト教について調べられたが、聖書に記述された内容が架空の物語などではなく歴史的事実に基づいていることを知った時、そこから離れられなくなってしまったという。そして終戦後は、東大の研究生として古代オリエント史を専攻された。しかも、旧約聖書は翻訳では真意がつかみにくいという理由からヘブライ語を学ばれ、後にユダヤ人と普通に会話できるほど堪能になられたという。

 やがて歴史学者になられた殿下は、昭和28年1月、日本とユダヤの関係を研究し親善を深める目的で結成された「日ユ懇話会」の会合に出席された。その席上、天皇家に伝わる「三種の神器」の一つである「八咫鏡(やたのかがみ)」の裏に、ヘブル語(ヘブライ語)で「我は在りて有る者」と書かれているという噂が話題となった。

 この話には、さまざまな逸話が残されている。明治時代に文部大臣を務めた森有礼(ありのり)も関心を持ち、伊勢神宮へと赴くと、天皇でも見ることを許されない八咫鏡を大臣の権限として特別に頼み込んで見せてもらったという。すると、そこには実際に「我は在りて有る者」を意味する文字が書かれていたというのだ。

 この話に強い関心を持たれた三笠宮殿下は、いずれ調査すると語られた。このエピソードは、同席していた東京イブニングニュースの支局長がスクープして話題となったが、その後で実際に調査されたかどうかについては発表されていない。


■天皇家には何らかの秘密がある?

 この逸話を耳にした筆者は、大きな疑問を抱かずにはいられなかった。まず、このような八咫鏡に関する怪しげな噂話について、三笠宮殿下はヘブル語に堪能なオリエント史学者として、一笑に付すことが通常の反応ではないかと思うのだ。しかし殿下は、そうなさらず、なぜ「真相を調査する」と語られたのか? 実は皇室に、古代イスラエルとのつながりに関する何らかの話が伝わっており、そのような可能性があり得ると判断されたのだろうか?

 それ以前の疑問として、そもそも三笠宮殿下はなぜオリエント史、特に古代イスラエル史を研究されるようになったのだろうか? もちろん公式には、前述のような理由から聖書に惹かれたということになってはいるが、実は天皇家と古代イスラエルのつながりについて皇室内で秘密にされていることがあり、あらかじめ何らかの秘密をご存知だったのではないだろうか?


■「明治天皇の孫」が語った真実

 この“皇室内の秘密”について、筆者はまったく何の根拠もなく書いているわけではない。実は、「明治天皇の孫」を自称する人物が語っている内容が、天皇家と古代イスラエルとの関係を示唆しているのだ。

 その人物とは小林隆利氏といい、大正14年に名古屋で生まれているが、母親は「仁(しのぶ)内親王」という女性で、その父が明治天皇だという。もちろん、公的にそのような名の内親王は存在しないのだが、実際に明治天皇に何人の側室がいたかは極秘とされており、公表されていない内親王が存在した可能性は否定できないだろう。小林氏がキリスト教系の雑誌『HAZAH(ハーザー)』(2001年2月号)のインタビューで明かしたところによると、小林氏の母は明治天皇から次のように聞かされたという。

「仁、私は天皇の権限で日本という国を調べた結果、日本は、神道である。しかし神道は、本来はユダヤ教である。そしてキリスト教はユダヤ教を完成させるものだ」

 これがもし本当であるとすれば、実に驚くべきことだろう。明治天皇が自らの権限によって皇室の秘密を調べ、このような事実がわかったというのだ。さらに明治天皇は、仁内親王に対して次のように語ったという。

「仁、おまえが結婚して男の子が与えられたならば、キリスト教の牧師にするのだよ。きっと役に立つ時がくるぞ」

 そして、小林氏の母は天皇の遺言通りに、小林氏を牧師にさせた。この話は、古代の天皇が何らかの形でユダヤ教あるいはキリスト教を日本にもたらしたとも受け取れるではないか。真実であれば、天地がひっくり返るような大変な事態だ。


■天皇は日本を征服した騎馬民族(原始基督教徒)だった?

 ところで、三笠宮殿下が1954年に提唱され、初代会長を務められた「日本オリエント学会」という学術団体がある。そして後に会長となった人物には、「騎馬民族日本征服説」で知られる江上波夫氏(故人)がいる。

 三笠宮殿下と江上氏は非常に親しい関係にあったようだが、そもそも江上氏のような学説を唱える人物は、皇室にとって好ましくない存在であるはずだ。なにしろ騎馬民族日本征服説によれば、万世一系とされる天皇家のルーツが実は日本にはなく、東北アジアの騎馬民族が4世紀に日本を征服して天皇となったというのだ。

 その江上氏だが、東大時代には景教(中国のキリスト教、ネストリウス派)の研究で世界的権威である佐伯好郎(よしろう)氏に師事していた。佐伯氏の学説によると、景教は古代日本にも伝わっていたといい、それをもたらしたのが景教徒であった古代豪族の秦氏だという。その秦氏が、日本の神社にキリスト教的要素を取り込んだというのが、いわゆる日ユ同祖論者の多くが語るところだ。佐伯氏の弟子だった江上氏は、この景教渡来説を日常的に佐伯氏から聞かされていただろうし、その説に多少なりとも影響を受けていたかもしれない。

 景教渡来説をもっとも精力的に展開している人物としては、ケン・ジョセフ氏(ジュニア、シニアの父子)が挙げられるが、2人の共著である『【隠された】十字架の国・日本』(徳間書店)には、興味深いエピソードが記されている。

 それによると、ある時ジョセフ氏(ジュニア)は、キリスト教が定説よりも早く日本に入っていたとする原稿を提出したが、出版社の編集長から「歴史的根拠がないため受け入れられない」と言われた。しかし、ジョセフ氏がその説は正しいのだと執拗に食い下がるため、編集長は大学時代の恩師である江上氏に電話で聞いてみることにした。すると江上氏は、「ケンの考えは、私の考えとは若干の違いがありますけれど、否定はできません。また、もう一つケンに伝えてください。二世紀に日本に入ってきた基督教は景教じゃなくて、原始基督教が直接入って来たものです」と答えたという。

 もっとも江上氏は、公の場では一切そのような発言をしなかった。しかしオフレコの場では、上記のような持論を語っていたのだ。察するところ、江上氏は師である佐伯氏の学説である景教徒渡来説を認めていたことになる。晩年の佐伯氏は、(古代日本に景教をもたらしたのが)景教徒でなく原始基督教徒だったと訂正したが、その点も江上氏と同一だ。そうなると、江上氏が説いた騎馬民族日本征服説も(実はそこまで公表しなかっただけで)“原始基督教徒としての騎馬民族”が前提にあったのではないだろうか。

 果たして、日本オリエント学会などでつながる三笠宮殿下と江上波夫氏の思想的共通点は「古代イスラエル」だったのだろうか? 筆者は、いつか機会があれば三笠宮殿下に直接お会いして、ここで書いたことの真相をお聞きしたいと思っていた。だが、三笠宮殿下の薨去とともに、それも叶わぬ夢となってしまった。いずれにしても、今回紹介した八咫鏡の噂は、オリエント史学者である皇族までもが真剣に調べようとしていた経緯があり、日ユ同祖論が必ずしも怪しい言説とは限らないということはおわかりいただけただろう。
(百瀬直也)

※イメージ画像:「Thinkstock」より引用

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