安倍晋三よ、この映画を観よ、そして恥じよ! 学生たちの“胸アツ”すぎる政治討論会を映画化『三島由紀夫vs東大全共闘』監督インタビュー

2020年3月19日(木)16時0分 tocana

©2020映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会

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 豊島圭介監督による映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』が3月20日から公開される。TBSに保管されていた伝説の討論会の映像に、当事者たちのインタビューを絡ませて映画は作られている。公開に先立って、豊島圭介監督から話を聞いた。


 学生たちの熱き討論が繰り広げられる中、東大全共闘側で討論のキイパーソンとなっているのが、芥正彦。三島に対して「おそらく自動律に苦しみ抜かれて自衛隊の中で遊んだり、『楯の会』という裏国家を作ったりするみたいなこと、これは全部ゲームになってしまう」と挑発とも取れる発言をした。三島は「私がゲームならあなた方はゲームじゃないのか。それであの解放区というのはゲームじゃないのかい」と言い、芥は「遊戯です」と答え、そこから時間と空間の話になっていくという、アクロバティックな言葉のやり取りが展開される。


豊島監督「自分の長女である赤ちゃんを、芥さんは肩に乗せて壇上に現れるわけですけど、そこからして芝居がかってるわけです。討論会で司会を務めていた、元東大全共闘の木村修さんにインタビューした時に、裏話を語ってくれました。そしたら、三島と1対1で立ち向かうのはとても自信がないから、芥くんに来てもらおうということになったと。そして、芥さんを含めたメンバーで、こんな討論にしよう、シュールリアリズムを持ち出そうとか、けっこう綿密な打ち合わせ、準備をして、当日を迎えたって言うんですね。だから劇的な空間を作ろうって意識は凄く強かったわけですよ。芥さんがいなかったら、ここまでおもしろい討論にはなってなかったでしょう。挑発してみたり、三島さんが一所懸命喋っている横で両手を挙げて伸びをしてみたり、見ててイライラするんですけどね」(豊島圭介監督、以下同)



 インタビューは当時の東大全共闘の3人、楯の会の3人、瀬戸内寂聴や平野啓一郎ら作家、内田樹ら研究者、現場にいた取材者など13人に及んでいるが、芥のインタビューのみ暗い照明で撮られていて、演劇的な映像になっている。


豊島監督「インタビューはドラマチックにしないようにしようと、ほとんど昼間の会議室とかで撮ったんです。平野啓一郎さんだけ、窓がない部屋だったんで、ちょっと夜っぽくなりました。


 芥さんには最初、900番教室に来てください、そこでインタビューしましょうって言ったんです。


 そしたら、『そんなロマンチックな企てには乗れない、うちに来い』って言われて、四谷のマンションに行きました。そこで前衛演劇の稽古をしたりしているらしいんですけど、当時の闘争で引っぺがして投石に使われてたような敷石が床になってるんです。


 『夜型だから夕方からインタビューを始めて欲しい』って言われて、日が暮れてるんで夜用の照明を焚くしかなかった。何十年も使っている椅子に座って、彼は語るわけです。しかも、インタビューは普通、1時間半から2時間くらいなんだけど、芥さんは4時間かかったんですよ。話が果てしなく広がっていくんです。他の人がインタビューを終えるくらいの時間になっても、2枚用意した質問表の1枚目の3問目までしか終わってませんでしたから。


 その間に、芥さんがヌーッと寄って来て、『文化的天皇ってなんだい』って詰め寄られて、怖いー、恐ろしいーって思うんだけど、俺、撮れてる、撮れてる、このカット絶対使えるなって、震えながら思いましたよ。


 インタビューの終わりの頃に、芥さんをちょっと怒らせようと思って、“全共闘の敗北と言われてますけど”って質問表にはない問いをしたら、芥さんならではのとてもユニークな答えが返ってきた。その論理と言葉の選択は人生で初めて聞きましたから。この瞬間も、撮れた! と思いましたね。


 最初は、芥さんを特別視するのはやめよう、彼だけが全共闘じゃないからなんて言ってたんですけど、引き寄せられたというか、やられたというか……結果的にはそうならざるを得ないインタビューが撮れてしまったんです。芥さんは試写会に観に来てくれて、僕の顔を見たら、ボーンって僕の胸を叩いて、『こいつが俺を虐めた人だ』って笑って言ったんです。芥さんにとっても4時間は辛かったんだなっていうことが、その時に分かったんです」


東大のバリケードが解除されると、2月には京都大学、東京水産大学、京都府立医大、3月には山形大学、富山大学、関西学院大学、4月には沖縄大学、岡山大学、島根大学と続き、全共闘によるバリケード封鎖は165校に達した。用いる武器も角材は鉄パイプに持ち替えられ、火炎瓶にボール爆弾が加わるなどより過激なものになった。しかし機動隊によって次々とバリケードは撤去され、占拠していた学生たちは逮捕された。


芥は討論で「再びブランキストであり、しかもトロッキストである連中というのが出てくる」と言っている。全共闘運動は雲散霧消し、新左翼はセクトの運動に戻った。ブントからは赤軍が生まれ、ハイジャックで北朝鮮に行く者たち、パレスチナに行ってテロを行う者たち、国内での銃撃戦を目指して群馬県の山中で同志殺しを行う者たちが現れた。革マル、中核、解放は命を奪い合う内ゲバに突入。全共闘運動の中から生まれたノンセクトラジカルのグループは、三菱重工や鹿島建設、帝人、大成建設、間組などの建物を爆破するテロを行うようになった。


筆者はそうした時代を経た1970年代後半に、成田空港反対闘争に加わることで、新左翼運動に参加した。これからでも、内ゲバともテロとも無縁な、体制と真っ正面からぶつかる運動はできるはずだと、18歳だった自分は信じたのだ。だがそれを10年以上も続けて実感したのは、正義の実現のために暴力を用いるという思考は、人の心を無残に歪めてしまうということだった。


豊島監督「全共闘の敗北という問いを、木村修さんにもぶつけたんですけど、それぞれの思いがこもった返答を頂きました」


豊島監督はこの映画の制作でできた縁で、全共闘だった人々の集まりにも参加するようになったという。


豊島監督「高校全共闘の集まりで、都立北高校でバリケード封鎖して捕まって、練馬鑑別所に入ったという方と会いました。鑑別所を出てから、中卒の学歴で郵便局に勤めたんですけど、郵便配達をしながら労働運動で闘ってクビになったんです。その後、解雇の不当性を訴えてずっと法廷で闘争してきて、2007年になってやっと裁判に勝って、郵便局に戻ったんです。定年を迎えて、何したかっていうと、今度は福島に行って除染作業をしたんですって。ここに本物がいる、これが闘士だよ、と思いました。東大全共闘の場合は、芥さんのように石畳のあるマンションで前衛演劇を続けている人もいれば、いわゆる普通の生活を送っている人もいる。様々です」


 東京大学教養学部出身である豊島監督は、900番教室で学んだこともある。


tocana

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