牛タン塩にレモンをかけて食べたのは誰が最初だったか

11月11日(日)16時0分 NEWSポストセブン

牛タン塩にレモンは焼肉の定番に(写真:アフロ)

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 今では屈指の人気メニューであってもその出自は定かでない、ということも珍しくはない。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が指摘する。


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 近年、居酒屋における「とりあえずビール」はハイボールやスパークリングワインなどにっじわじわとその座を奪われつつあるように見えるが、焼肉界においてのスターターのポジションは以前揺らぐことがない。「とりあえず」の王様と言えば、牛タンである。


 もっとも焼肉店における牛タンの歴史は決して古くない。焼肉店のメニューとして登場したのは1970年代のことだと言われる。発祥店と言われているのは2店。あの「叙々苑」と銀座にあった「清香園」(閉店)という焼肉店だ。


 叙々苑が1号店を六本木に出店したのは1976(昭和51)年のこと。それから間もなく、牛タンが叙々苑のメニューに加わることになる。その経緯は、創業者の回顧録によればこうだ。


〈六本木に1号店をオープンして間もないころ、食肉業者に「何か新しいメニューにできるものはないかな」と相談しました。そうしたら「マスター、タンをやりなよ」と〉(新井泰道著『焼肉革命』角川新書)


 こうして叙々苑ではタン塩がメニューに加えられた。そこに現在の定番であるレモンが加えられたのは、六本木のクラブホステスのアイデア……というより、わがままから生まれたという。


 ある日タン塩を食べていたクラブホステスから「マスター、たれはないの?」「このまま食べたらやけどするじゃないの!」とリクエストが。しかしタン塩用のタレの用意はない。そう伝えるとホステスが「じゃ、レモン持ってきて」「私はレモンが好きだから、レモンを絞ってたれ代わりにしてタン塩を食べる」「マスター、これおいしい。合うよ。これたれにしたら?」と提案から実食までを一気にこなした。


 試してみると、なるほどうまい。こうして「タン塩にはレモン」が生まれたのだという。これが"タン塩レモン叙々苑発祥説"である。


 実はタン塩+レモンの発祥にはもうひとつの説がある。1952年創業の清香園総本店説だ。同店は、石焼ビビンパを日本に持ち込んだ店としても知られたアイデア焼肉店。数年前に店を畳んでしまったが、1919年生まれのこの店のマダム、張貞子氏が焼肉における牛たんのメニュー化と、レモンとの組み合わせを提案したという。


「スウェーデンの空港で見たタンの薫製が出発点。表はザラザラ、裏はぐにゃぐにゃの分厚い皮がくせものだったが、冷凍してみたらうまくむけた。『それまで肉はタレをもみ込んで焼くものだったが、塩とレモンでさっぱり食べるようにしたら好評で、あっという間に広まった』という」(2005年7月23日付東京新聞)


 実は清香園は1960年代にスウェーデンで行われた東洋料理の品評会に参加したのをきっかけに1970年にはストックホルムにも出店。いわば日本に本拠を置く飲食店の海外展開の先駆けとも言える存在だ。なにしろ1970年と言えば、日本の外食元年と言われる年。日本にマクドナルドが上陸する前の年の話である。



 叙々苑説、清香園説のいずれかのみが正しいとも限らない。食べ物の発祥や発展は往々にして不思議なほど同じようなタイミングで可視化される。


 現在に至る焼肉の流れは、1946(昭和21)年に東京で創業した食道園(翌年大阪に移転)と明月館(叙々苑の創業社長、新井泰道氏の出身店)の2店が礎になっていると言われる。以降、連綿と綴られた焼肉の歴史は、食肉流通の歴史とも密接に関わっている。


 物事には必ず理由がある。戦後、貧弱だった冷蔵インフラが充実していくとともに「牛タンのメニュー化」がなされた。それでも独特の香りが気になる牛タンの食味向上のためレモンをかけるという発想が生まれた。これらの事象が同時多発的に起きたとしても不思議はない。その起源に思いを馳せながら網の上の肉を返し、肉に舌鼓を打つ。そこでふと脳裏をよぎるのが、流通のよくなった現代における佳店のタン塩にレモンが必要か──という問題だ。肉に思いを馳せ始めるときりがない。

NEWSポストセブン

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