常識や規範を捨てたら人はどんな「生と死」を選ぶか

11月13日(金)6時0分 JBpress

村田沙耶香さん(撮影:URARA)

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 現在、日本の少子高齢化社会では、子を産む・育てることはさまざまな困難をともない、病気になっても年をとっても、元気でできるだけ長く生きることが奨励される。作家の村田沙耶香さんは、これらのライフスタイルやルールを取っ払って、「産み育てること」と「死ぬこと」への困難が無くなったら、どんな世界になるのかを『生命式』(河出書房新社)で描いた。

 現実の世界では考えにくい命のバトンをつなぐ死者の送り方や、婚姻を前提にしない子づくりと子育てをどう着想したのか、村田さんにとって「死」と何か。話を聞いた。(聞き手・構成:坂元希美)


人は死んだら本当に無になるのか

——いまの日本ではさまざまな「生きづらさ」があります。そのつらさが産むことや生きること、死ぬことを複雑にしているように感じます。

村田沙耶香(以下、村田) 私たちはルールや物語にまみれて暮らしているけれど、そうじゃないところから純粋な視点で人間を見た時、どうなるのかとよく考えるんです。

たとえばニンゲンを10匹もらって、絶やさないようにしなさいと言われたらどうすればいいか。200年もたせるとしたらどうするか、1000年もたせるには何が必要なのか。ニンゲンには寿命があるので、そのままだと繁殖させなくてはいけないですよね。そこに家族システムは必要なんだろうか、ただ増えればいいのか、その中で恋愛は生まれるのか。

 ただ生きているだけだと見えなくなってしまう、邪魔になるものを全部とっぱらったら、真実が見えてくるのではないか、という思考実験を、小説を書きながらずっとしているような感覚です。『生命式』の中のタイトル作品には人肉食も出てきます。人肉に対する、「食べてはいけない」という気持ちはどこからくるのか、この世に絶対に覆せないタブーはあるのか、子供のころからそういう他愛のない問題を考え続けるのが好きでした。

 小説を書いていると死というものがわからなくなる時があるんです。本作に収められた短編「素敵な素材」の中では、死んだ人の体で服や家具なんかをつくるのですが、皮を剥いで靴をつくるのは他の動物でやっていることですし、読者の方からは遺灰をダイヤモンドにしてアクセサリーにするサービスを思い出したと言われました。昔、ヨーロッパでは大切な人の髪をロケットに納めてアクセサリーとして身に着けていたといいますし、そう思うとロマンチックで愛情ある「素敵なこと」と感じる人が急に増えるのは不思議ですよね。死んだ人の頭蓋骨をお皿にするのはグロテスクで、遺灰ダイヤモンドはなぜ素敵なのか・・・。そんな曖昧さの中で死とはなんだろうと思うことがあります。

 子供の頃、人間は死んでもモノとしてはずっと残るんだと考えていて、それが不思議でした。祖父が土葬だったので、土になってどこかに残っているんだなと思うと、死んでもゼロにはならないのかな、と想像したのだと思います。意識が亡くなったら死なのか、モノになっても死んでいるのか、曖昧に感じていました。


もし、安楽死ができたなら

——いま、耐え難い苦痛をともなう病を持つ人に医師が死を施す「安楽死」を認める国が増えて日本でも話題になっています。その死については、どうお考えになりますか?

村田 とてもデリケートで、難しい問題だと思います。個人的には、安楽死というと手塚治虫さんのマンガ『ブラック・ジャック』に出てくるドクター・キリコがすぐに浮かびます。ドクター・キリコは、治せる患者は治すけれど、もう手の施しようがない患者に対して、本人からの依頼があれば、報酬を受け取って安楽死を請け負う。ブラック・ジャックが大好きで応援していたけれど、「キリコの想いは本当に間違っているの?」と、子供の頃感じて、強く印象に残っています。死は誰のものなんだろうか。生きていてほしいのは、周りの願いかもしれない。そうなると死は本人だけのものなのか、その人を愛する人のものでもあるのか。いろんなふうに考えさせられました。

 安楽死が許される世界に生きていたとして、もし自分がそれを頼まれたら、どうするのか。どんなに喜ばれても、頼まれても、断るとしたら、自分の中の何がそうさせるのか。キリコは葛藤し苦しんでいる存在でもあって、自分もそんなことまで想像していました。

——もし、安楽死が日本国内でできるようになったら、何が起こると思いますか?

村田 できるようになったら、というのはとても曖昧で、難しい質問ですね。それはどのような条件なのでしょうか。どのように認められるかによって、私の想像の世界は違ってきます。

「死」というと、自分自身が、中学生のときに自殺しようと思っていたことを思い出します。私自身は、学校の教室で自殺したいと考えながら、本当はものすごく生きたかったんです。そうやってギリギリの場所で生き延びている人にとっては、心を開いて相談できる場所の手前に、合法の「安楽死」があったら、かえって心を追い詰めてしまうものになるかもしれないとつい不安になってしまいます。だから現実的な想像は、とても難しいです。現実と離れて、SF的な世界のほうが想像しやすいですね。

『殺人出産』(講談社)に入っている「余命」という作品では、医療が発達して病気やケガによる死がなくなった世界で、自分のタイミングで命を終わらせることができるという短編を書きました。自然死が存在せず、「そろそろ行こうかな」と思ったときに、誰でも安楽死ができるという短い作品です。

「そろそろかな」と思ったら役所で手続きをして死亡許可証をもらい、薬局で薬をもらいます。そして「よい死を」と言われながら、死に方を選びます。死後に「あの人の死に方、ダサくなかった?」とか言われたくないから、「大人のナチュラル死」とか「可愛い死に方100選」「男のインパクト死」といった情報を雑誌から探す、というシーンは書いていて楽しかったです。死に方も薬だけじゃなくていろいろあるんですが、自然死はない世界なんです。とても短い作品なのに、けっこう感想をいただくんです。「私もそんな風に死にたい」という切実なものより、ポップに笑って「こんな世界もいいですよね、老後も考えなくていいし」というものが多くて、そういう想像のほうが身近に感じます。


自殺したかったのは、生きたいから

——村田さんが自殺を考えた時、どうして「死にたい=生きたい」と気づかれたのですか?

村田 中学3年生の時に学校のグループに無視をされてしまい、命を終わらせることで苦しみを終了させようと考えました。大人には言えなかったし、話が大ごとになったらそれこそ死んでしまう気がしました。当時はその世界がすべてで、死ぬことを希望にして生きることしかできませんでした。

 その一方で、人間関係の問題なので、卒業したら大丈夫だというのもわかっていたんです。だから高校は知人がひとりもいないところを選びました。卒業式の後に死ぬ日を決めて、カレンダーに毎日バツ印をつけて「あと100日、99日・・・」とカウントダウンしていきました。それは生きるための手段として意識的にやったんです。あと42日で死ねるからと思わなければ、今日死んでしまうという状態だったから。卒業式が終わった日に走って家に帰り、カレンダーを捨てました。その時から生への執着がすごく強くなりました。

——自分が望まない未来に進まなくてもいいと思えることは、生きている間の大切な御守りとも言えそうですね。

村田 安楽死について、どうしても考えてしまうのは、私にとっては、自殺という概念が、生きるための光だったことです。そのことを考えると、言葉を紡ぐのに戸惑います。でも一方で、もっとシンプルに想像してみてもいいのかな、とも思います。単に生きることを終わらせるだけの手段として、「冷蔵庫が空っぽになったし、いいタイミングだな」みたいに決められて、「来週、死ぬんだ」「えー、その前に皆でお茶しようよ」みたいな会話が続くような死を、みんなが迎える世界。そこでは、特別に悲しいことではなくなって、周りもやめてほしいと言わないかもしれません。止めるにしても「来月、サプライズで誕生日パーティー計画してたからさ、ちょっと延期してよ」とか話したり、最後にみんなで美味しい物を食べたり、もしもそれが普通の世界に生まれたら・・・というもう一人の自分のことも想像します。

 リアルに想像すると苦しいですね。愛する人が、「安楽死をする」と言ったとき、どんなに尊重したくても、とても悲しんでしまうかもしれない。悲しむことでその人を苦しめてしまうかもしれないと思うと、正直に対話をできなくなってしまうかもしれないです。

——リアルな死を考えたり、向き合う時に苦しいのはなぜなんでしょう。

村田 ずっと昔ですが、あるお葬式が明るくてびっくりしたことがあるんです。すごく年配の方で、「大往生だね」と身内の方々が笑っていて、少し泣いている人もいるけれど、みんなでお酒を飲んで冗談をいって、なごやかで、とても不思議な感じがしました。

 一方で、悲しいお葬式も体験しています。一緒に仕事をした大好きな編集者さんが突然亡くなった時には「あれが最後の会話になるなんて」と思って今でも苦しいです。事故で急死してしまった、同世代のとても尊敬していた、大切な方のことも、今でもつらくて、いつも思い出しています。本当に話したいことはいっぱいあったのに、生きている間はくだらない話ばっかりしていて、もっと会いたかったし、もっと知っていたかった、と。今でもたまにその方のことを考えて泣いていて、気持ちの整理ができていないです。そして「その人が生きてるバージョン」の世界だったら・・・と想像してしまうんです。新しい服を買ったら、それを着ていっしょに遊びに行きたいと思ったり、きれいなアクセサリーを見つけたらプレゼントしたいなとか。

 後悔があると引きずってしまうし、「この人ともう会えない」ということに対して、ずたずたに傷つくんですね。

 だからといって、愛する人がとても苦しい病気で、安楽死を選択したとして、それを止める権利は自分にはないようにも思っています。とてもつらい想像ですね。リアルは、私には苦しすぎる想像なのかもしれないです。


1億年間、ひとりぼっちでも書き続けたい

——生きたい気持ちが強い村田さんは、カジュアル死ができる世界ではどんな選択をしようと思われますか?

村田 私は自分の寿命を使ってどれだけ小説をかけるか、と常に思っているんです。寿命をぜんぶ書くことに使いたい。死がない世界であればいくらでも書けていいなあと思いますが、一人で永遠に生きて、いろんな人を見送っていくのも少し寂しい気もしますね。「書き終わった」と自分が思うことはないと思うんです。もちろん人によりますが、小説家は物語を存在させる生きものなので、「書き終わる」ことはないのかなあと、個人的には感じています。すごく業が深いですね(笑)。

 でも、自分以外の人類が全員「先に行くね!」と死んでしまって、読者がひとりもいなくなっても、1億年間書き続けるかもしれない。それでも「書き終わった」と思う時が来ないような気がするんですよ。1億年を生きてみないと見えない世界や出てくる言葉があると思うので、気が済む時が来るとは思えないのが、自分でも不思議ですね。

<村田沙耶香>
1979年千葉県生まれ。玉川大学文学部卒業。
2003年「授乳」で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)を受賞しデビュー。 2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、 2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞、 2016年「コンビニ人間」で芥川賞を受賞。
ミリオンセラーとなった『コンビニ人間』は、30カ国で翻訳出版が決定。アメリカでは「ザ・ニューヨーカー」誌の「The Best Books of 2018」に選出され、またイギリスでは老舗書店フォイルズの「Foyles Books of the Year 2018」のFiction Book of the Yearに輝くなど、世界でも注目を集めている。
近著に『半変身(かわりみ)』(筑摩書房)、『丸の内魔法少女ミラクリーナ』(KADOKAWA)がある。

筆者:坂元 希美

JBpress

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