ジャパメタからヴィジュアル系へ、シーンに影響を与えたレジェンドバンドとは

2023年11月14日(火)6時0分 JBpress

(冬将軍:音楽ライター)

90年代から現在までの、さまざまなヴィジュアル系アーティストにスポットを当て、その魅力やそこに纏わるエピソードを紹介していくコラム。今回は、DEAD ENDと44MUGNUMという、のちのヴィジュアル系シーンに大きく影響を与えたレジェンドバンドの音楽変遷をもとに、メタルからヴィジュアル系への変革期を振り返る。(JBpress)

1989年、ジャパメタからヴィジュアル系への分岐点

 LOUDNESS、BOWWOW(VOWWOW)、EARTHSHAKER……、1980年代に“ジャパメタ”と呼ばれた、ジャパニーズメタルのムーブメントがあった。そのシーンの雄、44MAGNUMはニューウェイヴの影響を受けソフトロックへ転向、そして1989年に解散した。44MAGNUMのローディーを務めていたCIPHER(Gt/瀧川一郎)とTetsu(Dr/菊地哲)のD’ERLANGERもメタルからニューウェイヴの洗礼によってポジティヴパンクへ転向。耽美でデカダンな“サディスティカルパンク(SADISTICAL PUNK)”を標榜し、同1989年にアルバム『LA VIE EN ROSE』でシーンに躍り出た。

 そして、「時代が変わる。今、青い血の雨が降る。」とメタルバンドでありながらクラシック音楽をも呑み込んだX(現・X JAPAN)が、アルバム『BLUE BLOOD』でメジャーに殴り込みをかけたのもこの年のことである。1989年は日本の音楽シーンにおいて、メタルの立ち位置が大きく変わった年であるといえるだろう。

 さらに吉川晃司布袋寅泰のユニット、COMPLEXがメジャーデビューしたのも1989年だ。モノトーンに身を包んだスタイリッシュなロックスター2人が絡み合う「BE MY BABY」のミュージックビデオは、“都会派”や“トレンディ”といった言葉が持て囃された当時の流行を象徴するものであった。

 こうした一連の動きは一世を風靡したジャパメタブームの終焉、ヘヴィメタが過去のものとなった出来事といえるだろう。見方を変えれば、ロックの主流、少年少女たちのロックへの初期衝動がジャパメタからヴィジュアル系へと変わっていった分岐点、それがこの1989年であったともいえる。

 のちのヴィジュアル系シーンに大きく影響を与えたレジェンドバンドの音楽変遷をもとに、メタルからヴィジュアル系への変革期を振り返ってみたい。


44MAGNUM、メタルからソフトロックへ

 44MAGNUMは1983年にアルバム『DANGER』でメジャーデビュー。当時、メンバー全員が金髪というのはまだ珍しく、世界的に注目を浴びていたLAメタル影響下のケバケバしいメイクとその出たちは強烈なインパクトを放っていた。

 そんなジャパメタシーンを牽引してきた44MAGNUMの大きな転機となったのが、1985年にリリースされたアルバム『FOUR FIGURES』である。各メンバーのソロ曲を収録した本作は、布袋寅泰(BOØWY)、和田アキラ(プリズム)、北島健二(FENCE OF DIFENCE)、高橋ヨシロウ(アクション)、ホッピー神山(PINK)ら(カッコ内は当時の所属バンド)をゲストに迎え、メタルの枠にとらわれない幅広い音楽性を見せた。

 さらに1987年にレコード会社の移籍を機にメタルからソフトロックへ完全に方向転換。『LOVE or MONEY』(1987年12月)、『EMOTIONAL COLOR』(1988年8月)と賛否両論、いや、往年のファンからすれば“否”のほうが圧倒的に多い、大きな波紋を呼んだアルバムをリリースする。

 なぜ44MAGNUM はメタルをやめてしまったのだろうか。そこには BOØWYの影響があったように思える。44MAGNUMとBOØWYは同じユイ音楽工房関連のアーティストだった。※厳密にいうと、BOØWYはユイ音楽工房(現・ユイミュージック)所属だが、44MAGNUMはワーナーミュージックのムーンレコード、ユイ音楽出版傘下でデンジャー・クルー(現・マーヴェリック・ディー・シー・グループ)所属。

 ボーカルの梅原“PAUL”達也とギタリストの広瀬“JIMMY”さとしは『FOUR FIGURES』リリースの翌1986年8月4日、『ウォーターロックフェス』に出演している。都有3号地(現在は東京都庁が建つ場所)で開催された本フェスは豪雨の野外で行われ、BOØWYファンのあいだで伝説として語り継がれている。吉川晃司、山下久美子、大澤誉志幸というニューウェイヴなアーティストラインナップをみれば、梅原と広瀬の異色具合がわかる。

 その後のソフトロックへの大胆な音楽性の変更であるから、BOØWYとの絡みにより何らかの影響を受けたのは確かだろう。1986年に制作された幻のアルバム『STILL ALIVE』が解散後にリリースされている。本作は従来通りメタル路線で作られており、制作途中でバンドとしての音楽性のシフトチェンジが行われ、お蔵入りとなったと思われる。

 広瀬は“JIMMY V”と呼ばれた白いVシェイプのギター、フェルナンデスBSVがトレードマークであった。“メタル=変形ギター”のパブリックイメージは世界共通にあるが、ブロンドのロングヘアを靡かせながら真っ白なVシェイプのギターを華麗に弾く広瀬は、当時のメタルギターキッズの憧れであった。しかし、広瀬はバンドの路線変更とともに“JIMMY V”を封印。黒髪でSTタイプのディンキーギターを低く構える、というスタイルが“JIMMY”改め、“広瀬さとし”の90’sスタイルであった。

 44MAGNUM解散後、広瀬は過去にプロデュースしたボーカリスト、橋本ミユキ(現・はしもとみゆき、ミユキリム)とTOPAZを結成し、1990年にデビューする。のちにポップなメロディにハードなギターという組み合わせでヒットチャートを席巻し、ブームを巻き起こしたビーイングの“J-ROCK”の始まりであったと考える。橋本はビーイング所属のアーティストであった。

 その後、広瀬はビーイングに移籍し、1994年にLOUDNESSのベーシストであった山下昌良とspAedを結成。同年にメジャーデビューアルバム『SPADE Vol.1』をリリースした。spAedはモノトーンを主体としたビジュアルとビートロックをベースにしたバンドであり、ジャパメタの両雄が手を組み、硬派なビートロックバンドを結成したことは時流を象徴する大きな出来事であった。

 ビーイングはジャパメタブームの火付け役である。LOUDNESSに始まったビーイングのジャパメタは、浜田麻里を筆頭に本城未沙子、早川めぐみ、先述の橋本ミユキといった “H・M(ヘヴィメタル)”イニシャルのメタルクイーンへと発展していった。そして、BOØWYはビーイング発のバンドだ。ZARD、WANDS、T-BOLAN、KIX・S、FEEL SO BAD……90年代ビーイングブームを支えた多くのアーティストが、メタル要素とビートロック要素を併せ持っているのはそうした背景があるからだろう。

 そして、ヴィジュアル系への変革期において重要なレジェンドがもう1バンドいる。DEAD ENDだ。


DEAD END、魔界から天上へ

 1990年1月に解散したDEAD ENDのラストアルバム『ZERO』。その独特の妖艶さを放つ世界観はLUNA SEAのRYUICHI、黒夢の清春、L’Arc〜en〜CielやJanne Da Arcなど、ヴィジュアル系シーンに大きく影響を与えている。そんな本作がリリースされたのもまた1989年のことである。

 DEAD ENDは2009年の再結成以降、その多くのリスペクトを含めてヴィジュアル系譜で語られることが多いが、初期から知る者にとってはそこに違和感があることも事実。なぜならメタル畑出身のバンドであったからだ。

 1986年にリリースした1stアルバム『DEAD LINE』は、当時インディーズとして驚異的なセールスを記録。ダークなメタルアルバムとしての評価も高い。そこから作品を重ねるごとにそのダークさは妖艶なものとして魅力が増していった。

 プロデューサーに岡野ハジメを迎えて制作された1988年リリースの3rdアルバム『GHOST OF ROMANCE』を経ての『ZERO』の異色さ。メタルからビートロック、ハードからメロディアスへと大きく変貌を遂げているのが本作であり、当時「これはメタルなのか?」という物議を醸したほどだ。そういう意味では44MAGNUMと同じように思えるが、バンドとしての大幅な音楽性の方向転換というよりも深化というべき表現がしっくりくる。シャウトの際立つメタルボーカルスタイルから艶やかな低音ボーカルへ、魔界から天上へと導いたMORRIEを軸に、闇から光のあるものへとメタルを上手く昇華し、ロックの可能性を広げることに成功しているのだ。

 音楽のみならず、ビジュアル面もそうだ。メタルで育ったヴィジュアル系ベーシスト、cali≠gari村井研次郎にインタビューした際、メタルとヴィジュアル系の違い、そしてその変遷の境目としてDEAD ENDを挙げ、興味深い見解を述べていた。アマチュア時代、完全にメタル畑であった村井は「髪を横から持っていく、サイドバックスタイルを取り入れているバンドは聴かなかった」というのである。

「髪を両サイド下ろしているのがメタルで、横に流しているのがヴィジュアル系。DEAD ENDはMORRIEさんが横から流していて、YOUさんが両サイド下ろしてたから、まさに時代の分かれ目だったのかなって」

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 DEAD ENDの好きなアルバムについて、『DEAD LINE』が名盤と答える初期メタル派と、『ZERO』を名盤とする後期ヴィジュアル系派に分かれている。もちろん、どちらが正解でも正義でもなく、リスナーの趣向や音楽的バックボーンによって評価が割れるという稀有のバンドなのである。

 44MAGNUMとDEAD END、その影響力は計り知れない。いろんな意味でメタルとヴィジュアル系の境目にいたバンドなのだと。

筆者:冬将軍

JBpress

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