【ルポルタージュ】コスプレイヤー……それは、ただの現在に過ぎない自分。『アスペちゃん』そして、オフパコマンガ。赤木クロの目指す世界

11月18日(日)16時0分 おたぽる

赤木クロ

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 昨年の春頃から、赤木クロは「人気コスプレイヤー」の一人として、しばしばネットメディアに紹介されるようになった。「クール&セクシー」「色気あふれる」「美しすぎて神の領域」。そんな礼賛の言葉と共に、Twitterのフォロワーも増えた。イベントに参加した時だけではなく、新しい衣装の写真にコメントを添えてツイートするだけでニュースになることもある。リツイートや「いいね!」はやまない。Instagramでは、海外からも英語や顔文字。そして、知らない国の言葉のコメントが滝の流れのように絶え間なく増えていく。撮影会はもとより、企業イベントに招待されることも増えた。


 でも、彼女自身は、今の立場に安住するつもりはない。


 自分のセクシーなコスプレを紹介するための短いネットニュース。その写真に添えられた短い文章のまとめに、ごくまれに触れられること。赤木が自身の体験を綴るマンガ『アスペちゃん』。それは、人気を得たコスプレイヤーの余技ではない。赤木がコスプレと並んで、人生の貴重な時間と情熱とを割いているもの。でも、コスプレイヤーとしての人気とは裏腹に、まだその情熱に気づいている者は少ない。


『アスペちゃん』は、赤木自身の体験を基にした「アスペルガーあるあるな日常マンガ」だ。間が空くこともあるが、更新は週一回(註:現在は、より読みやすい構成にするためのリブートの準備中により更新を休止しているとのこと)。そこで、赤木は自身の体験してきたことをマンガにして工夫を凝らしながらも率直に綴っている。


 そこで描かれているのは、物心ついた時から、指摘されることが当たり前になっていた「ふつうにできないの?」という問いかけ。「動きが変」という指摘。人の言葉を真に受けてしまうことから起こるトラブル。予想外のことが起こるとパニックになってしまう特性。作品を読み進めれば、診断を受けているいないにかかわらず「発達障害」ではないかと自覚したり、指摘されたことのある人ならば「自分もそうだ」ということが、ひとつやふたつ、あるいはそれ以上見つかるはずだ。


 正直なところ、マンガを表現する技術は、決してこなれたものではない。それでも、Twitterやpixivが更新されるたびに、ふっとこのマンガに目が行ってしまうはずだ。


 それはなぜだろう。


 ひとつ考えられるのは、わかりやすさだ。ここでいうわかりやすさとは、学問的な背景や知識があって、説明が上手ということではない。語られる言葉が、常に読者と同じ目線上にある。あたかも、心を許した信頼できる友人と身の上を語り合っているような感覚がある。文章でもそうだが、描き手のほうが「自分はなんでも知っている」「自分ほど、強烈な体験をした者はいない」そんな自負心を持つと、読者はすぐに見透かす。「なんだ、この上から目線は」と。


『アスペちゃん』で描かれるのは、赤木のこれまでの体験談。今までの人生の中で、自分ではちゃんとやっているつもりなのに、怒られたり、奇異な目で見られたりしたエピソードは無数にある。人間は決して強い生き物ではない。ともすれば、そのような身の上に生まれしまった我が身を呪ったり、自分を理解してくれない世間に怨嗟を抱いたりするものだ。その結果として、過去の体験を話す時は、なにかごてごてとした飾りをつけたような言葉を並べがちだ。


 でも『アスペちゃん』には、それがない。


 ひとつひとつのエピソードには苦悩もあるはずなのに、赤木はフラットな気持ちで自身を描く。それこそが、独特の「わかりやすさ」の源になっている。そんな特異ともいえる「わかりやすさ」を補強するのは、背景に感じるなにかを伝えたいという赤木の秘めた情熱だ。



 赤木が、自身の体験を基にした『アスペちゃん』を描こうと思いたったのは、昨年の冬のことだった。きっかけを現すキーワードをあげるとすれば「マウンティング」である。


《これまでの人生は、なにかと人にマウンティングをされがちでしたね》


 赤木は、それまでの人生をそんな風に振り返る。相手より自分が上だと誇示しようとする行為「マウンティング」。マウントを取る・取られるは、日常生活のさまざまな局面で見られる。とりわけ、自分に自信のない者は、狩りをする獲物のように自分より劣っているに違いない人間を探すことに躍起になっている。どちらかといえば控えめな赤木は、そうした自分より弱い者を見つけて優越感を得たい者の餌食にされがちだった。


 いくつかの事務所に入って活動するようになってからも「お前はブスだから売れないし仕事がこない」というパワハラまがいの言葉を、幾度も投げつけられていた。


 コスプレイヤーとして、もっと上を目指したい。そう思って所属した事務所は良いところもあり仲良くしてくれる子や先輩もいたが、組織に属するのは自分に合っていないなとも感じた。「もう人に頼るのはやめて、自分の力で活動しよう」。友人からの指摘をきっかけに、いくつかの経緯を経て「自分がアスペルガーなんだ」と気づいたのは、そんな決意を固めてから数カ月後のことだった。


 自分の人生を振り返る機会が増えた頃、また「マウンティング」をされてしまった。同人誌即売会での話である。詳細な言及は避けるが、あるきっかけでその絵師と知り合った赤木はイベントで売り子をすることになったのだが、その現場ではなにかと行動の端々で差別的な扱いや態度、見下したような言葉を投げつけられているのに気がついた。


 悔しかったが、それよりも大して親しくもない自分に、なんでそんな態度を取ってくるのかが、わからなかった。「自分が絵師ではなくコスプレイヤーだからなのか? ……おとなしいからなめられているのか?」。すぐには、答えは出なかった。


 しばらくして、ふとその作家の本を手に取った。パラパラとページをめくり、それから一ページずつなめるように読んだ。


《漫画としては面白くなかったんです。絵の上手さでは勝てないけど、マンガの構成力で勝てるかな? と思ったんです》


 こんな時、凡庸な人はこんなことを考えて満足する。「売れているかもしれないが、自分はコスプレイヤーとして人気者なんだ」と。ようは別のベクトルで自慰的に「マウンティング」をやり返すのである。でも、赤木はそうではなかった。思いも寄らない考えが浮かんだのだ。「だったら、相手の土俵に上がって勝てばいい」。突然、ふつふつと心が燃え始めた。


《漫画の構成力には自分でもどこからくるかわからない謎の自信があったので、私でもできる! と思い、その日のうちに描き始めました(笑)》


 マンガを描いた経験はほとんどなかった。記憶をたどれば、中学生の時に親しい友人と交換日記のようなイラストやマンガを描いた程度だった。つまり、人に見てもらうようなものを描いた経験は皆無。でも、やれるという確信があったので、すぐに描かずにはいられなかった。幸いにも、コスプレ活動している過程で知り合った友人たちにマンガを描くと言ったら、いろいろと機材を提供してくれた。うまい人の絵を見て書くと、すぐに上手くなると絵描きの友人にアドバイスされたので、必死でうまい人の絵を真似て描いた。


 パソコンにクリスタ(CLIP STUDIO)を導入し、友人のマンガ家から液タブも譲り受け、描きたいこともたちまち浮かんできた。とりわけ柱になっていたのは「自分の体験したことをアレンジしてネタにしよう!」というもの。試行錯誤しながら、コスプレイヤーとして経験した、楽しいことや嫌なことを同人誌に描き、コミケで配布した。


 そうやって毎日のようにマンガを描きながら、自分の描くべき方向性を探る日々も続いた。そんな時、田中圭一の『うつヌケ〜うつトンネルを抜けた人たち〜』を読んだ。父親の本棚にあって、子供の時から大好きな作品だった『ドクター秩父山』の作者が、描く自身の鬱病の体験を綴る作品。それを通じて、作者が、学校や職場での体験、日常の中の苦悩や喜びを描くエッセイコミックというジャンルの魅力に気づいた。


《田中さんの作品を読んでいく中で、自分の人生のエピソードがいくつも浮かびました。そんないくつものエピソードをつなぐのが「アスペルガー」という言葉だったんです》


 こうして『アスペちゃん』という物語ははじまった。


《社会のアスペルガーに対する許容性のなさ……受け手側に知識がないとアスペルガーは理解されない……アスペルガーの知識が広まっていない社会にマンガで訴えることができると思ったんです。それで、マウンティングや差別された時の悔しい気持ちも発散できるかなと思って。もちろんきれい事だけではなく、馬鹿にしてきた人たちに復讐したい、見返したいという考えもありました》


 もし、この言葉通りの作品だったならば『アスペちゃん』は、決して読み手を惹きつける作品にはなり得なかった。ただ、コスプレイヤーが手慰みにやっている下手くそなマンガ……そんな悪罵を投げつけられて終わっていただろう。一種の「怨念」から始まったはずなのに、そんなことは微塵も感じさせない共感性の高い作品となっている。


 そこには「セクシー」とか「色気」という言葉で表現されるコスプレイヤーにとどまらない、赤木の独特の魅力があるのではないか……。


※※※※※※※※※


 今回、なぜ赤木を取材しようと思ったのか。その経緯を記しておかなくてはならない。


 マンガやアニメなどのキャラクターの衣装を身につけるコスプレが、ビジネスとなってから長い。人気コスプレイヤーは趣味の枠を超えて職業となっている。雑誌の表紙やグラビアページを飾ったり、テレビ番組に出演するコスプレイヤーも、当たり前のように見かけることが多くなった。


 近年、企業の新商品の発表会や映画の試写会では「インフルエンサー」と呼ばれる人が招かれることがある。TwitterやInstagramなどのSNSで、多くのフォロワーを持っている人のことだ。そうした人々の発信力は、これまでになかった形で大衆に購買意欲を湧かせ、劇場へと足を運ばせる。コスプレイヤーもまた同様だ。テレビの情報番組やネットで、新商品や新作品の話題では当たり前のように「来場したコスプレイヤーの○○さん」という表現が使われるようになった。


 毎年、夏冬に開催される世界最大の同人誌即売会であるコミックマーケットはコスプレ参加者も多く、今やコスプレを単に見せるためだけの場ではない。サークル出展し、自身のコスプレ写真を収録したDVD写真集……DVD-ROMを用いていることから「コスROM」と呼ばれるモノを頒布するコスプレイヤーの数は、10年前とは比べものにならないほどに増えている。その中には、露出度の高い衣装を身にまとい、セクシーなショットを収録したものをサークルのスペースに並べるコスプレイヤーも多い。


 かつては、コミックマーケットの作法を知らぬ者がトラブルを起こすこともあったが、今はコミックマーケットの理念の中で表現するためのジャンルの一つとして確立している。セクシーな内容のROMの被写体となる当人たちは「露出レイヤー」などとも呼ばれる。取りようはさまざまある「露出」という言葉だが、それは性別を超えた一種の夢と憧れを包容した言葉。マンガやアニメのキャラクターをベースにした、セクシーな写真。それを媒介に、興奮や称賛が生まれ、交流が始まる。


 そうしたコスプレイヤーとファンの交流の中でも、赤木は独自性を放つ。多くのコスプレイヤーがファンとの交流に使うのは、Twitterだ。誰もが毎日、セクシーな画像を公開したり、制作している衣装のことを語ったり。あるいは、アニメや食べ物などの話題を振りまく。赤木もまた、そうした話題を綴るのだが、時に驚くような話題を挿入する。ある時、観賞して面白かったと記した映画は『鬼畜』。そして『砂の器』。さらに、楽しく読んでいる本として挙げていたのは、増田俊也の『木村政彦外伝』。



 もちろん、どれも面白い映画であるし、読みふけってしまうノンフィクションであることに異論はない。でも「可愛い」だとか「セクシー」というキーワードでファンを獲得するコスプレイヤーがツイートするようなものには思えない。作為的に特異なキャラクターを演じているのだろうか。もしも、演技ではなく本当に好きなのだとしたら、その個性は誰にも真似できない赤木だけが持ち得る魅力。それこそが、彼女が徐々に注目されている本当の理由なのではないか。そんなことを考えて取材の前から期待はやまなかった。


 もともと「この赤木クロさんを取材しませんか?」と、このページの担当である女性編集者が言い出したのも、彼女自身が赤木だけが持つなにかを感じ取ったからである。


 それは、今年の夏のコミックマーケット2日目のことだった。「なにか、ネタを探して書きましょう」。単なるレポートとは違う独自性のある切り口の記事になるネタを要求する編集者と足を運んだのは、コスプレイヤーたちが「コスROM」を頒布している「島」だった。その数カ月前に『アスペちゃん』を取り上げた海外メディアの記事を読んでいたが、どういう人物なのかは知り得なかった。


 人混みをかき分けてたどり着いた赤木のスペース。少し長くなった行列に並び、自分たちの番が来る。編集者が挨拶をして、話をしている最中に、何枚かの「コスROM」を手に取った。コミックマーケットのために準備していた500円硬貨で代金を支払う。


《ああ、500玉……私もしてるんです、500円玉貯金》


 なんでそこに注目したのだろうと思い、ふと目線を下げると「コスROM」よりも一段低い場所に並べられていた同人誌が目に入った。


『パコり手のバラッド』というタイトルの記された本を手に取る。それは、ゲーム『Fate/Grand Order』の水着ネロの衣装を身にまとったコスプレイヤーが凌辱される18禁の同人誌。独特のタッチの絵には、不思議な魅力があった。なによりも、“現役レイヤーが、レイヤーが凌辱される同人誌を売っている”こと自体が、数万のサークルが無数の同人誌を頒布するコミックマーケットでも見たことのない光景だった。



 パラパラとページをめくり、裏表紙を見た時。その本以上のものを、この夏のコミックマーケットで手に入れることはできないのではないかと思った。そこには、水着ネロの衣装を身にまとった赤木自身の写真。丸く囲まれた写真の下には、こう記されていた。


“私が描きました”


 スーパーマーケットで販売されている野菜に、時々ついている表示。「私が作りました」という言葉が添えられた農家の人たちが微笑む写真のようだった。それは、奇妙だけど、ほのぼのとしていた。そして、精魂込めて描いたのだということを、押しつけがましくなく伝えてくれているような気がした。


 帰宅してから、改めてページを開くと、今度は「えっ!」と、声を出して驚いてしまった。


 1ページ目に記されたのは人物紹介。そこには、エロマンガの必然として男に凌辱されるヒロインと、凌辱するほうの男。そして、その他大勢の設定が記されていた。


曖昧みぃ(19)
 キャスネロのコスプレをしている普通のコスプレイヤー。バイトを探している。


菌 太魔男(47)
 同人コスプレAVサークル「GOLDBOY」を運営している。GOLDBOYは金を持っている男という意味でつけた。(註:赤木によれば、元ネタは『1・2の三四郎』の金田麻男だという)


 エロマンガの文法として、わざわざ1ページ目に人物紹介を記載するという手法は、ついぞみたことがない。それに、名付けのセンスが独特すぎた。昭和のエロマンガだったらあったかも知れない一周回った泥臭さを感じさせる独特のセンス。それを、平成最後の年に最先端のジャンルともいえる「コスROM」のサークルが。それも、被写体であるコスプレイヤー本人がやっている。それは、別にウケ狙いでやっているようには見えなかった。なぜなら、絵の巧拙も気にならない生々しいドラマ性が本編にはあったからだ。


 物語は、とある有名レイヤーが、菌太魔男の運営する同人コスプレAVサークルの動画に出演しているかのようなツイートをバラ撒かれる風評被害を受けるところから始まり、太魔男がさらなる利益追求のために曖昧みぃというレイヤーを騙して、コミケ会場でハメ撮り撮影を敢行するというストーリー。


 近年、倫理規制の強化を避けてアダルトビデオを制作する業者が同人コスプレAVへと移行している動きは実際にある。そこでは、注目を高めるために、あたかも本物の人気コスプレイヤーが、顔をモザイクで隠して出演しているかのような情報が振りまかれることがしばしばある。なにより「コスプレイヤー」には敷居の低さがある。会場に行ってコスプレをすれば「コスプレイヤーである」と、言い切れてしまう。そうした、ともすれば「いかがわしい」とも評される背景を知っていればこその生々しさがページの端々から匂っている。そうした血の通った人間の匂いのする生々しさは、登場人物の吐くセリフにも現れていた。


「女を間近に見れないオタク共は、同じ衣装ってだけで本人だと思い込むからな〜!」


「エロ同人よりやっぱ本物だよな」


「あいつレイヤーは全員エロいとか裏●ノ マガジンのクソ記事並みのこと言ってたし」


 一面では、読者に対してすら容赦ない言葉が、あちこちに散りばめられていた。裏表のない言葉で描かれる『アスペちゃん』。一方、こちらの作品では突き刺さるような言葉を次から次へと重ねていく。


『アスペちゃん』が読者と寄り添っているような感覚を与えるのに対して、こちらは股間と脳とを混乱と興奮の渦へとたたき込もうとする情念に満ちている。エロマンガにおいて、絵の巧拙はさほど重要なことではない。リピドーとか情念とかは、インクと紙を通して伝わってくる。もし、それがなければ、どんなに美麗な絵であっても読者にインパクトを与えることはない。


『パコり手のバラッド』には、常識的な性的な興奮ともまた違う興奮があった。「ほかに、どんな作品があるのだろうか、もっと読んでみたい……」。もう一冊、同じくコスプレイヤーを題材にした同人誌があったのに購入しなかったことを後悔した。


 赤木のTwitterを見ると、翌日、別のサークルでも同人誌を頒布していることがわかった。慌てて駆けつけて購入した、その同人誌『19才Gカップコスプレイヤー 浜風ちゃん』もまた、手に取ると熱さのある同人誌だった。こちらもまた読者が「これ絶対に登場人物は実在するだろう」と確信する作品だった。


 赤木に、なにかを期待して取材を提案したのは同行していた編集者のほうだった。彼女は、また別の視点から赤木の頒布している姿を見ていた。


「あの楽しさは、なんなんでしょう。隣にいた売り子の男性(のちに赤木に尋ねたところ「格ゲーの師匠である『ストIII3rd』勢」とのことだった)も一緒になって、買いに来る人と一緒にお祭りの屋台みたいに楽しんでいる雰囲気……」


 それを創り出しているのは、赤木の存在感ではないかと思った。だったら、どうしてそういうものが生まれたのか。そして、これからどうなっていくのか。俄然興味がわいた。


「単にエッチなコスプレイヤーの紹介記事だったらやらないけど……そうじゃないのだったら、話を聞いてみたいな」


「もちろんですよ」


 もう数年の付き合いになる編集者は、話が早かった。



 赤木が生まれ育ったのは、関東地方の大きな街。その人生のはじまりには、最初からマンガやアニメ、ゲームがあった。なにかをきっかけに、オタク文化に接するようになったのではなく、幼い頃から日常の中に溶け込んでいた。


 物心がついた頃の記憶は父親と一緒に『機動戦士ガンダム』のアニメを観ていた時のことだ。父親が楽しそうに観ているアニメを一緒に見るのはいつものこと。本棚にズラリと並んでいるマンガも勧められるまでもなく、一冊一冊読んだ。父親はガンダム、マンガ、プロレスを愛する、当時で言うところのマニアであった。


《面白そうだなって思って、マンガを読み始めた記憶はないですね……周りにいっぱいあったから、読んでみようかなと》


 その頃に読んだ『北斗の拳』や『キン肉マン』は今でも血肉になっている。そして、ゲーム。被写体となる時に着用する衣装には格闘ゲームも多い赤木だが、それにはちゃんとした理由がある。


《父親はゲームも好きだったんですよね。メガドライブでアクションやシューティング。ネオジオでよく格闘ゲームをやっているのを観てました》


 2018年の今、ネオジオは過去に存在したマイナーなゲーム機程度にしか記憶されていない。少なくとも、大多数の人にとっては、そんな認識だろう。でも、コアな人々にとってはそうではない。かつて、ネオジオは本体もソフトも驚くほど高価だったが、ゲームセンターと同等のクオリティが楽しめる家庭用ゲーム機として多くのファンを獲得していた。


 その当時、SNKの販売戦略は凄まじく、スーパーマーケットやビデオレンタル屋、町の駄菓子屋、クリーニング屋の軒先までMVS筐体をリースで置きまくりゲーム小僧たちを量産し魅了した。


 その全盛期である90年代後半。ネオジオをプレイし購入する人々が楽しんでいた大きなジャンルの一つが格闘ゲームだった。『ザ・キング・オブ・ファイターズ』シリーズや『サムライスピリッツ』シリーズなど数多の作品が世を熱狂させていた。熱狂の時代が終わった後も、ファンは飽きることなくネオジオを楽しんでいるといわれる。「父は大阪・江坂にあったネオジオランドにも足を運んだこともあった古強者なんです」と、赤木は尊敬の念をこめて話す。


 母親から教わったのは『美少女戦士セーラームーン』。父親ほどマニアではないという母親が教えてくれたこの作品もまた、幼い心に深く刻まれている。そうした両親のもとで育った赤木は面白いものに出会えば、思ったまま「面白い」といえる正直さ。そして、時には他人とは共感しあえない時もある悲しさを、幼い時から体験していた。


《友達とマンガやアニメの話をしてもレベルが合わない。私だけ『セーラームーン』で、みんな『プリキュア』とか……。それに世代じゃないから玩具も売っていなくて。ただ、すごく悲しかったことは覚えています》


『アスペちゃん』の中で描いている「人と違うな」という感じはずっとあった。


《歩き方が変だとか、言われることが多くて、すごく困りました。周りに合わせて動きを直そうとおもっても直らず幼い頃は落ち込むこともありました》


 どうしてそうなってしまうのか。赤木は自分でもわからなかった。「変だ」ということだけはわかっていた。今にして思えば、母親も自分と同じだった。三者面談の時のこと。教室の前の廊下に並べられた椅子に座り、二人で待っている時、母親はずっと体操をしていた。「お母さん、それなに?」と赤木が聞くと、母親は「なにもしていないよ?」と怪訝な顔で問い返してきた。自分も変だという自覚があった赤木は、それ以上指摘することはなかった。


 赤木は落ち着きのないタイプではなかったので、成績は決して悪くなかった。だから「動きや受け答えが、少しおかしな子ども」とだけ見られていた。それゆえ、余計に自分は人とは違うと感じることも多かった。自分でも「変だ」とは思っていても、変える術もわからなかった。授業中は黙って聞いているふりをしながら絵を描いたり、居眠りしていた。一種の特技なのか、小学生の頃から先生にわからないように聞いているふりをしながら寝るのは、めっぽううまかった。そうして成長する中で「変だ」と指摘されることも、自覚する瞬間もしだいに前向きに考えるようになった。


《なにが変なのと聞いてみると「全部」とかいわれて困ることもありました。でも、成長してからは、多少動きが変でも、それで笑ってくれるならいいかと思って……》


 前向きに考えて、さまざまなことに挑戦した。でも、社会との関係性はうまく折り合いのつくことばかりではなかった。中学生の時である。ふと「アイドルになりたいな」と思った赤木は、オーディションに履歴書を送ったり、近所にあったダンススクールに通うことを思い立った。


 ダンススクールで練習をしていると「うちは、アイドル養成所もやっているので来てみないか」と誘われた。今まで予想もしなかった人生が開けるチャンスだと思った。でも、養成所のスタジオで、ほかのアイドル志望の女の子たちと一緒になった時、それはとても困難な道のりだと気づいた。


 あるレッスンの時、順番にダンスを披露することになった。何人かが踊って、赤木の番がやってきた。音楽が鳴り、赤木が踊り出すと一瞬ざわつく声がして、それから静かになった。自分でも「これは、ロボットダンスだな」と思っていたから、むしろざわつく周囲のことを冷静に見ていた。「これが歌となれば、どうなるのだろう。自分は歌が、すごく下手なのに……」そんなことを考えていたら、歌を披露する時もやってきた。やはり、ざわめきが起こった。


 それでもどういうことか、地元の小さなライブハウスで複数のアイドル志望者と共に出演する機会があった。自分の音痴は自覚していたけれど、それでも挑戦はしてみたかった。前奏が流れ、歌が始まる。マイクに向かって歌い出すと、なにか違和感があった。


 自分のマイクだけ、スイッチが入っていなかったのだ。出演させておきながらの「戦力外通告」。通例なら、落ち込んだり怒ったりするところだが、赤木は別のことを考えていた。


《これならこれで、いいかなと……。自分は歌がうまくないから、歌わなくて許されるのだったらいいかな……》


 でも「アイドルは無理だな」ということは、自分でも実感していた。だから、アイドルの夢からはすっぱりと足を洗った。無理だとわかっていながら、世間に認められたい虚栄心が邪魔して、ずるずると続けてしまうなんてことは、赤木には想像もつかなかった。


《今思うとアスペルガーは運動が苦手なので、ダンスが下手なのも当然だったんですけどね》


『アスペちゃん』を描き始めたことにも通ずる、思い立てばなににも遠慮することなく、すぐに動き出す。それは、赤木が人生で幾度も経験してきたことだった。なにかに挫折しても、家に引き込もってしまうなんてこともない。ただ「次へ次へ」といつも前向きだった。



 高校生の時のアルバイトを皮切りに、働いてお金をもらうようになってからのエピソードは多い。いくつものバイト先を「やる気がないなら辞めて」と言われ、言葉通りに受け取り、その場で「じゃあ辞めます」と返すと、お説教が始まる。理不尽な人間関係や社会を恨んだり落ち込んだりはしても、引きこもることもしなかった。人生で初めてのアルバイトは「家から歩いて行けるところにある」理由で選んだ、マクドナルドだった。


《続かなかったですね……笑顔が足りないとか動きが変とお客さんに怒られたりして。その次はファミレス。それから、薬局とか。一番続いたのは、マンガ喫茶かな。あまり人と関わらなくてよかったから……》


 決してコミュニケーション能力が低いとか、人と普通に会話をするといった社交性がないわけではない。言われたことを額面通りに受け取ってしまう特性が時に軋轢を生むのだった。


《事務のアルバイトをしている時ですね。ほかの部署の人が仕事をしながらケーキを食べていたので、じゃあいいかなと思って、じゃがりこを食べていたら「うるさい」って怒られて……。「今すぐ処分してこい」と言うので、廊下で全部食べたんです》


 その時、赤木は思った。「ケーキを食べながら仕事をしている人がいるんだから、じゃがりこを食べながらでもいいじゃないか……」。


《あと自分の仕事が終わったらお昼寝したり、定時退社をすると怒られたりもしましたね。「自分の仕事が終わっているならいいはずなのになんでだろう?」と非合理的なことを言われたままにやってる周囲がおかしいと思いつつも、合わせなきゃと思うとつらかったですね》


 注意されて従いながらも「なんで?」という疑問は常につきまとっていた。「自分の仕事が終わっているならいいはずなのになんでだろう?」と非合理的なことを言われたままにやってる周囲がおかしいと思いつつも、「合わせなきゃ」と思う職場は辛かった。一般社会では「空気を読む」ことが、過剰なほどに求められる時代にあって、赤木のアスペルガーゆえの超合理的な感性は必ずしも受け入れられるものではなかった。でも、彼女は幸運だった。


 通例、こうした特性の持ち主は、学校生活でも孤立したりしがちである。でも、いつでもどこか前向きな赤木は、そうはならなかった。初めてのコスプレは友達に誘われてだった。小学校6年生の時のことだ。クラスの中でもイケているクラスメイトからは「ちょっと変な子」と言われていた。でも、すでにオタクな趣味が開花し始めているクラスメイトは、赤木のことをそうは思っていなかった。毎日、マンガやアニメの話をしているうちに、地元で開かれるコスプレイベントにお揃いの衣装で出かけようと誘われた。


 断る理由はなかった。


 友人が提案したのは『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波とアスカの制服だった。すぐに貯めていたお年玉を握りしめて、衣装を売っている店へ行った。それから「写ルンです」を買って二人で出かけた。「デジカメだと、親に見られたら恥ずかしい」と思って買った「写ルンです」だが、現像する時に店の人に見られることのほうが恥ずかしいと思って、その次からはデジカメを持って行くようになった。


《その友達は、小中がずっと一緒で。高校は別になったんですが、同じ電車で通学していました。凄くお世話してくれて、今思うと、その子の兄弟が同じように発達障害だったから、私にも優しくしてくれたのかもしれません……》


 ちょうど「ニコニコ動画」が新たなムーブメントとして定着し、オタク文化が下の世代へとより広く、縦にも横にも広がっていた時代。もとより両親の影響でオタク文化に慣れ親しんできた赤木にとって、世界が広がっていくことは、このうえなく魅力的だった。


 誰もが作品を作ったりするのが当たり前に楽しいことになり、世間に公開することも容易にできるようになっていた。だから「これは面白い」と思ったことは、なんでも試した。友達と交換日記ならぬブログの共同運営もした。「ニコニコ動画」に「踊ってみた」をアップしたりもした。


 同人誌という未知の世界を知ったのは、中学生になった頃だった。


《最初は、たまたま本屋さんで『テニスの王子様』とか『家庭教師ヒットマンREBORN!』のアンソロを見つけたんです》


 絵柄も違うけど、分厚いしなんなのだろうと不思議に思いながら買った本。家でページをめくってみると、ドキドキしながらも引き込まれた。慣れ親しんでいるキャラクターが作品によって、さまざまなタッチで今まで知らなかった物語を繰り広げる。全年齢なのに、女のコならばドキドキしてしまうようなページもある。


 それが同人誌というもので、同人誌即売会にいけば、もっと薄くてさまざま種類の本を買うことができることは、すぐに知った。


 幸いにも、首都圏の街ゆえに情報もすぐに入った。最初に出かけたのは「HARU COMIC CITY」だった。圧倒的な人の群れに驚きながら『遊戯王』『ジョジョの奇妙な冒険』『賭博黙示録カイジ』の同人誌を買った。


 読むだけでは満足できなくなり、イラストも描くようになった。友達と交換マンガをしたり、pixivのアカウントを作って、他人に見せるようにもなった。でも、ちゃんとしたマンガを描こうという気持ちにはならなかった。同じ時期に楽しくなっていたコスプレの反応が良くて、そちらのほうが心が弾んだからだ。


 でも、そのコスプレも趣味の範疇は出なかった。前述のように、今ではTwitterに新しい衣装の写真を公開するだけで話題になる赤木だが、この路線になったのは、つい2年ほど前のことだった。それまでは、ごくごく地味な「普通のコスプレイヤー」。あまりイベントに熱心に参加するわけでもなく、友達とコスプレ合わせをしたり、気心の知れた友人とスタジオで撮影する程度だった。


 それも、楽しいことばかりではなかった。


 男女問わず、コスプレという共通の趣味を通じて友人は増えた。ただ、その中には友人と呼ぶには、どこか首をかしげたくなる者もいた。とりわけ、人前では赤木との仲の良さをアピールしてくる、ある女性コスプレイヤーがそうだった。赤木は友人として、対等に仲良くしているつもりなのに、言葉の端々で自分のことを下に見ているのに気づいた。なぜ、自分が下僕のように扱われているのかと思うと、どうしようもない気持ちになった。


 いろいろと思い悩んだが、赤木が行動を起こすよりも前に、ある時その女性コスプレイヤーがとある事件に巻き込まれたことで縁が切れた。ふと、コスプレへの情熱も途切れかけた。


《でも、一人になったら凄い心が楽になったんです。その時、タイミング良く的確なアドバイスをくれる方も現れて……だから人に引きずられて、流されるのではなく、自分一人でやってみようと思って》


 それまで、赤木はコスプレを楽しみながらも、どこか受け身だった。でも、もっとどこまで頑張れるかを試してみたくなった。「今、自分にできることはなんだろう?」。そう考えて、導き出された答えは、シンプルに自身の実力を上げ、知名度とバリューを上げるということだった。露出の高い衣装を着るのは好きなキャラが「セクシーでレオタード系の衣装を着たキャラ」というのもあるが、「若いうちにきれいな肌を見せなくては意味がない」という赤木のいうところの「超合理主義」の発想から出たものだ。



 いわゆるこの「露出」というジャンルに足を踏み入れる時に、多くの人が躊躇するのは、そうした趣味の持ち主以外にバレることだ。「親バレ」「職場バレ」……。さまざまな要素が、そこに一歩踏み出すことを躊躇させる。でも、赤木はそうしたハードルを驚くほど簡単に越えた。


《バレて怒られるみたいなことは、今でも考えていません。もの知らぬ浅はかな者どもがあれこれと世話を焼きたがり、毒にも薬にもならない駄菓子如きの助言をする人もたくさんいましたが……老後のオシメの世話までしてくれる人の言うこと以外聞くことはないかなと(笑)。発言と行動がブレてる人で成功している人を見たことがないですし。


 若い時期の体の魅力は女の財産であり武器だと思っています。各自が自分の持っている能力、顔の良さやセクシーさで惹き付けるのも何でもありかと。持てる武器をすべて動員して……あとで風呂敷を畳めばいいやと思っています》


 一度やろうと決めたからには努力は惜しまない。この2年あまりで制作した「コスROM」も結構な枚数になった。売れるためには、もちろん流行しているキャラクターの衣装を選ばなくてはならない。でも、写真というのは不思議なもので、人気作品のファン層への媚び狙いが先行して作品自体をよく知らないとか、好きでもないキャラクターの衣装を着ると、どことなくわかってしまうものだ。だから、流行と好きなものを選ぶのとは違う。


 撮影の時も、カメラマンに指示されるがままの人形になっていては、満足いくものにはならない。普段から、どういうコンセプトで、どのように撮影してもらうのか。考えるために割く時間は多い。ほかのコスプレイヤーのポーズを参考にしたり、同人誌やエロマンガも買って「いかに魅せるか」を考える。そうして集めた資料フォルダを持参して、撮影へと臨んでいる。もちろんカメラマンは、コスプレの撮影に慣れた信頼できる相手。それでも、自分の意志を明確に伝えなければ、人が手に取ってくれるような作品はできないと信じている。


 そうした努力の結果として「人気コスプレイヤー」と呼ばれるようになった。でも、ある種「性」を売り物にしているがため、当然のことも起こる。Twitterには、ときどき「ヌキ報告」であるとか、性行為を要求するようなメッセージも届く。だからといって、萎縮したりはしない。その証拠に、少し遠慮がちにそのことを尋ねた時、赤木は苦笑するように、でも正直に気持ちを語ったのだ。


《直接的な表現は困りますね。なぜって……「めっちゃヌケました」と言われても、つまらない言い方だと返事の仕方が難しいじゃないですか。もっと、エンタメ性をもって面白い表現で言ってほしいな。ダイレクトメッセージで局部の画像を送ってくる人もいます。やっぱり困るのは、返事のしようがないことですよね。そんなことをする暇があるならリツイートして私を広めてほしいですね……。あとは女の子の嫌がることをして反応をもらいたい“小学生の恋愛的”精神構造だとモテないからやめときなって言いたいですね。何事も素直に褒めること、女の子への前戯は「ふぁぼリツ」から始まっているんだぞと(笑)》


 人生は常によいことばかりではない。そうした困惑も、赤木自身が注目されていることのひとつの証左。それで折れてしまうような弱さはない。それらの体験は、また赤木に新たなやる気を引き起こした。


 先に記した、レイヤーが凌辱されるエロマンガを自分で描くという挑戦も、露出をする決断がなければ、あり得なかった。


《ネタがレイヤーのマンガになったのは、私が描けばみんな「実体験かな?」と思ってくれるかと思ったんです。それも即売会の時は、同じ衣装で売ればもっと面白くなるかなって。ただ、自分の写真を入れないと、サークルを手伝ってくれる男性陣たちが影の原作者と思われるかなと思って……》


 読者に「実体験かな?」と思わせるような赤木の描くエロマンガ。もちろん、その内容はフィクションである。登場人物がことごとく、ひどい名前なのは赤木ならではのシャレであり気遣い。


「実在する人のいる名前ではダメ……」と、考えた結果生まれたのが、あり得ないほどにダジャレを含んだひどい名前。でも作中の登場人物に「モデルみたいな人はいる」のも事実である。華やかさとセクシーさばかりが取り上げられるコスプレイヤーの世界。でも、光あるところに影があるのは必然。赤木が気づいた、さまざまな影が作品に反映している。そうした物語を描きたくなるのも、はたまた、独特のセリフ回しも、これまでの赤木の経験の積み重ねの結果だ。


《小学生の時から、推理小説が好きで。東野圭吾の『白夜行』も読んでいました。ああいった、男女の愛憎のもつれとか……情念が陰惨に絡み合う物語になぜか惹かれてしまうんです》


 メディアの種類を問わず、そうした物語に惹きつけられてしまう。アダルトゲームも愛好しているが好きな作品は三角関係が描かれる『WHITE ALBUM2』。そして『月姫』、『沙耶の唄』、さらには『さよならを教えて』……。おおよそ愛憎や情念、陰惨さを描く物語性が評価された作品は、どれも忘れられないものばかり。ちなみにラノベは『冴えない彼女の育てかた』が一番好きらしく、ここにも赤木の趣味趣向がうかがえる。そうした蓄積が、絵や文字になってあふれ出している。


 結局「人気コスプレイヤー」という肩書は、今の赤木のごくごく一部を説明する肩書に過ぎない。それに、その肩書きも完成したものではなく「現在」の赤木を説明しているだけだ。


 いま、赤木がコスプレ以上に情熱を燃やそうとしているのは、マンガだ。もちろん、まだ赤木の作品は発展途上。評価してくれる者は少ない。即売会で「コスROM」を買い求めるファンであっても同様だ。そのことを赤木は「超合理的」に、驚くほど冷静に見ている。


《正直なところ「まあマンガも、買うか」と思って買ってくれる人はいるけど……めちゃくちゃ売れているって感じではないですね》


 今は、コスプレで注目してもらえているかも知れない。でも、その人気はともすれば若さと共に失われていく刹那に過ぎないことを知っている。だから、できる限りの芸を身につける努力は怠らない。


《Twitterでふぁぼやリツイートしてくれた人には、お礼の気持ちでお礼ふぁぼとリツイートするようにしています。なぜかって、自分もしてもらいたいから……どのジャンルでも盛り上げたかったら、そうしないと盛り上がらないじゃないですか。だから、自分は率先して自分からリツイートしたいなと思っているんです》


『砂の器』であるとか『木村政彦外伝』など、自分が感銘を受けた作品のことをツイートするのも、自分の「好き」をもっと広めて、盛り上がりたいからにほかならない。そして、その盛り上がりは、また赤木の情熱に火をつける。


 控えめな赤木は「オタクとは話せるけど、オタク以外とはなかなか話せない」という。でも、内側で燃える絶えない熱は、まったくそれを感じさせない。『アスペちゃん』で記されているように、アスペルガーの視覚と聴覚は過敏。それに、知らない人に会うこと、人前で話すこと、人の顔を覚えるのも苦手だ。大勢の人が集まる即売会は、快適な空間ではない。光に過敏な特性ゆえに、太陽のまぶしいコスプレ広場も決して快適なところではない。でも、赤木はそこに自ら足を踏み入れる。なにか、自分の焚きつけてくれる出会い。そして、まだ見ぬ未来への希望を求めて。


 でも、そうした自分のことをマンガで描いてからは変化もあった。いつも「コスROM」を買い求めたり、撮影してくれるファンはTwitterの画面や、名札を見せて挨拶してくれるようになった。コスプレから、マンガへと一歩進んだことで、確かに状況は変化しようとしている。そしてまた、赤木の情熱は増す。今の目標の一つは、商業誌に掲載されるようなマンガを描くことだ。


——数時間続いたインタビューの終わり頃に、赤木は今描き始めているというマンガの原稿を取り出した。私も、隣に座っていた編集者もマンガを読むことは多くても、人にあれこれと指図するような力量は持ち合わせていなかった。だから、うまい言葉を紡ぐことができなかった。


 ただ、まだ稚拙さも見える原稿に目を投じていると、どこからともなく「これを、もっと読みたい」という気持ちが湧いた。原稿からは赤木自身の、さまざまな感情がないまぜになった、なにかを伝えたい意志。そして、マンガを描きたいのだという想いが、とめどもなくほとばしっていた。テーブルを挟んで対面に座っている、まだ、幼さも残る一人の女性。時に、社会との折り合いに悩みながらも、自分の意志は曲げることなく形にしてきた、赤木クロという人物。


 この日の取材に備え、「一週間ほど前から、なにを話そうかとメモをしていた」という誠実な乙女。そんな赤木が、ペンと紙とに集中した時に、なにが起こるのだろうか。その先を見たい……部屋の中は、そんな感情に満ちていた。


 赤木は、少しはにかみながら、呟いた。


《レイヤーはあと何年かやって……》


 そして、言葉を続けた。


《マンガは、今後もずっと描けるものだから、いいなと思っています》


 自分をここまでにしてくれたコスプレ。それを称賛してくれるファンへの感謝は尽きない。


《コスプレの写真を見て、マンガを読んでもらえるきっかけになればいいな》


 コスプレは、いわばまだ見ぬ天地へと向かう風。暖かい風を帆いっぱいに受けて、赤木クロという船は、まだずうっと先へと進んでいく。その目的地が、心躍るものということだけは、間違いない。 


(文=昼間 たかし)


☆赤木クロイベント出演情報
12月29日 コミケ1日目東ネ23b たんぽ亭(コスプレROM)
12月30日 コスホリック G11-12 赤木荘(コスプレROM)
12月31日 コミケ3日目東ク18b 赤木荘(同人誌)

おたぽる

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