ソ連の火葬場で蘇った遺体…ゾンビ教祖の都市伝説とは?

2022年11月21日(月)20時0分 tocana


 現在のロシアではロシア正教会の影響から土葬が一般的だ。火葬されてしまうと「最後の審判」で復活することができないと信じられているため、日本人にとっては当たり前の火葬も忌み嫌われるものになっている。


 しかし、ソビエト連邦では火葬は奨励されていた歴史がある。共産主義に由来にするレーニン率いるボリシェビキは無神論を標榜し、ロシア正教会を弾圧したからだ。1927年にはモスクワにドンスコイ火葬場が建設された。この火葬場は教会を改修し、破壊されたパイプオルガンの資材などが転用されて作られたといわれている。


 その一般運営は1973年まで続き、それから84年まではソ連共産党幹部の遺体のみが焼かれ、ソ連崩壊後の92年に取り壊された。


 今回はそんなドンスコイ火葬場で起こったとされる都市伝説を紹介しよう。1960年代、ムスコビ出身のグリシャニンは、この出来事について2つの異なる情報源から報告を受け、20年後のペレストロイカ時代には、モスクワ近郊の新聞でも報じられたそうだ。


 ドンスコイ火葬場では、通常の死者のほかに、浮浪者の死体、身元不明の死体、いわゆる特殊死体も焼却された。


 ある夜、30歳にもならない青年グリゴーリイを中心とする3人の火葬場職員が「作業当番」をしていた。グリゴーリイらは、午前1時頃、焼死体の灰をかき出し、炉に石炭を投げ入れ、新しい死体を押し込んだのだが、それがすべての始まりだった。


 炉のそばにいたグリゴーリイは、炉の中で何かがカリカリと音を立てるのを聞いた。その音は普通ではなく、まるで死人が生き返ってひっくり返ったかのようだったという。


 恐ろしくなったグリゴーリイが仲間を呼ぶと、皆一様に驚いた。突然、炉の金属製ダンパーを内側から叩く大きな音がしたのだ。内務人民委員部(NKVD)の警官たちも、その音を聞きつけ、火葬場まで降りてきた。


 NKVDの幹部はピストルを抜き、引き金に指をかけ、炉の小窓に向かっていき、穴をのぞき込んだ。その瞬間、死体が勢いよく小窓にぶつかり、幹部は1メートルも吹き飛ばされてしまった。恐怖におののいた作業員らは、一斉に駆け出し、警察を呼びに走った。


 警察が到着したときにも、炉を叩く音が響いていたという。その音は30分も続き、ルビャンカから緊急召集されたNKVDの将校が炉を開けるまで続いた。炉の中には「異常」な死者の灰だけが残っていた。NKVDの将校たちの会話から、火葬場の職員たちは「ノック」した死体がどこかの宗教団体の教祖のものであることを知った。この男は、死後もゾンビのような存在になれる不思議な能力を持っていた可能性があると噂されており、炉の中で生き返ったのではないかというのだ。


 不幸なのは呼び出された警察官たちだ。彼らは不要な目撃者として収容所送りになったといわれている。


 焼却炉の中で生き返った死体の恐ろしい話は日本でもしばしば都市伝説として語られることがある。しかし、遺体は荼毘に付される前に死亡が確認されているだけでなく、腐敗を防ぐために十分に冷却されているため、生き返ることはあり得ないとされている。炉の中で遺体が動くのは、熱によって筋肉が収縮するためであり、決して生き返って自発的に動いているわけではないという。


 ソビエトのケースでは、もしかしたら遺体の死亡確認や冷却が十分ではなかった可能性があるが、真相は闇の中だ。


参考:「virtoo.ru」、ほか

tocana

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