養生医学の領域にあった男女の和合

11月26日(木)6時0分 JBpress

連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

 メソポタミア神話に人間創造の神話がある。

 人間は神の血で粘土を練って創造された。そして、口から息を吹き込むと生きた人間となったが、それは両頭で手が4つ、脚が4つの非常に力強い生き物となったため、神も恐れを感じて人躰を2分してしまった。

 これが、人間男女の始まりで、それゆえに男と女は永久にその半分を互いに求め合うと神話は伝える。

 男が女を求め、女が男を求める・・・。

 こと性に関すること、または性生活は人生の重要な生活部分である。家族や子孫の存続、継承、繁栄につながる重大な問題というばかりでなく、性生活はいわば異性との営みを完遂し、満足するための体当たり的な真剣な努力そのものといえる。

 そして、それが完遂されるまでは、とにかく1対1の人間としての接近交渉が行われるわけで、これが失敗するということは大きな苦悩であり、心の痛手となる。

 そうしたものであるだけに本来は究めてプライベート(Private:私的)なものである。

 フランスの作家であり、文芸評論家、レミ・ド・グールモンは「人間というものは、詮じ詰めれば、消化器と生殖器から成り立っている」と結論づける。

 一般的に英語で雄性(男性)の生殖器のことを「Penis(ペニス)」、または、「Dick(ディック)」、「Peanut(ピーナッツ)」、「Sausage(ソーセージ)」、「Joystick(ジョイ・スティック)」などと称されるが、やや格調高い言い方で「Private Parts(プライベート・パーツ)」と呼ぶ言い回しがある。

 人体の各部位にプライバシーの優先順位をつけるとしたら性器がやはり第1位に輝くはずで、人間の身体の中で最も私的な部分といえる。

 外国映画などで男がズボンを下ろし、尻を見せて相手を馬鹿にしたりからかったり、侮辱したりするのを眼にすることがあるが、自分のペニスを露出して相手を愚弄する例はお目にかかったことがない。

 同じ下半身に属していても、尻と違って男性器は相手をバカにする意思表示の印にはなり得ないということなのだろう。

 洋の東西を問わず古代の人々は男女の性器を神様として崇めていたように、そこは生殖の役割を担っている器官だから確かに、ある意味では人間の根幹と直結しているところである。


生殖を担う器官はいつ登場したか

 生物が繁殖する生存戦略として、精細胞と卵細胞が受精するプロセスは、卵細胞に対し体外で精細胞をばら撒く「体外受精」と、雌の体内に精細胞を放出し少数精鋭部隊が卵細胞と結合させる「体内受精」という2つの方法に大別される。

 体内受精の方がリスクのある外部に放射するよりも、安全かつ結合時間が短くなるといったメリットがある。

 性器による体内受精の起源は約3億8500万年前にミクロブラキウス・ディクィという小型の古代魚が行っていたことが確認されている。

 ミクロブラキウスの名称は「短い腕」からきており、その名のとおり尾の付近に横に伸びた硬い骨による突起物がある。この突起物は雄の個体にしか存在しない。

 対して雌には、特殊な板状のようなものがあり、雄の器官が填まる構造であったため、雄のミクロブラキウス・ディクィの突起物が精細胞を送るための硬い生殖器によって体内受精を行っていた。

 クラスパーを用いて雌の体内に精細胞を送り込む生殖方法は、水中に放卵する方法に比べてより効率的で、現生のサメやエイもクラスパーによる体内受精を行っている。

 ちなみにサメの雄は生殖器であるクラスパーが2本ある。

 その理由として、生存に有利という説と、もし1本が喪失してももう1本のバックアップがあるため繁殖行動に支障をきたさない、という説がある。


養生医学としての性

 わが国で最も古い性典は中国の房経(性典)を収録した『医方心(いほうしん:984年刊)』の中に記載された「房内篇」で、性生活における和合の技術や交会姿態(結合の体位)や、その御法は、養生医学として掲げられていた。

 中国では昔から仙術によって不老不死の霊薬を探索したり、不思議な方術や秘術を授かったりしたお陰で長生きしたという話があり、「採陰補陽(さいいんほほう)の術」とか「閉固呼息(へいここそく)の法」など様々な健康維持の方法がある。

 そういった手法は「房術」と称される。

 男女の和合は子孫の存続、継承、繁栄に直結する重大事項であり、権力者の側近には房術家といわれる専門家が召し抱えられ、それが性生活に対するさまざまな助言をしたと伝わる。

 養生医学が功を奏したのか、はたまたただの精力旺盛だったのか、その両方かは不明だが施政者は往々にして子沢山である。

 織田信長には男11人、女11人、併せて22人の子供をもうけた。

 徳川家康は11男5女の16人で65歳という高齢になってからも女児を授かった。また、第11代将軍の徳川家斉に至っては男女併せて53人の血を分けた子供がいた。

 戦乱の世を生き抜く武将にとって、はたまた太平の世に権勢を振るう者にとっても、子供は生存戦略の必須の駒でもあった。

 だが房事が重要なのは施政者だけではない。

 すべての人の共通した社会活動の中に性的活動があり、食欲と生殖欲は生命の2大本能とされ、それはすべての人々の生活の根本でもある。

 江戸時代前期、武断政治から文治主義へと転換した元禄時代に花開いた元禄文化。農村での大規模な新田開発、農業技術や器具の改良などで作物の生産力が増加。そして商品流通が拡大するにつれ貨幣経済が発展すると、商人の勢力が増大する。

 経済が活発化することで、文芸および芸術の分野では優れた作品が数多く生み出され、そこに庶民の生活・心情・思想が出版物や劇場を通じて表現された。

 出版物は「憂き世から浮世へ」と称せられるように、「憂き世=いとうべき現世。つらいことの多い世の中」から「浮世=好色・風流などの現世を肯定し、享楽的な世界を謳歌する」と世の中全体の観念が劇的にシフトされ、現実的で合理的な思想が台頭する。

 身分的、階級的に様々な制約を受けていた庶民は、生活の中での享楽への欲求や風俗の一面を文芸諸書にもとめたことにより、民衆の情緒を描いたものは爆発的人気を博し、庶民文学として数多くの性生活、風俗に関する書が発刊された。

 日本の性医学評論のパイオニアとして知られる奈良林祥先生の著書、『新 HOW TO SEX(ベストセラーズ刊:1974年)』は戦後書籍売り上げランキングで第24位、累計発行部数255万部を叩き出した現代の性の指南書の金字塔である。

 人の一大関心事は快楽であり生殖行為であるということは、時代が変わっても変ることはない。

 さもありなん、ことに元禄の世でも性に関する指南書は庶民の評判となり『日夜艶道女宝記』『好色床談義』『好色旅枕』『色道禁秘抄』『女大楽宝開』などが好評を博した。

 これらの本を読み比べてみると、秘戯場面の順序、方法、痴語などは、それぞれの作者によって一定の形があるが、変った体位を考え出した起源かと思えば、実は古い秘画などには、すでにそれが昔から行われていたことが覗える。

 また、道具により性的快楽を導く、秘具の用法に関する本も同様、元禄時代に広く出回り、特に『艶色色時雨』が有名である。

 前回の記事の中で「昭和50年代前半、自販機で売られていた官能劇画誌の巻末記事に、こんにゃくを人肌に暖めて切り込みを入れ竹筒入れる自慰の方法が紹介されていた」と綴った(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62844)。

 実は、その技法は今から326年前、既に発明されていた。

 元禄7年(1694年)に発禁焼却処分を受けた咄本『鹿の巻筆(全5巻、鹿野武左衛門著。貞享3年:1686年刊)』が確認できる最古のもので、「こんにゃくの砂払い」という秘語で綴られている。

 その意は女性には月に一度の障りがあって和合禁忌となるから、そんな折りには男性は「こんにゃく形」といわれる吾妻形代用品での独悦(自慰)するのがよろしい、のだとか。

 元禄時代当時、庶民は卑猥とされる表現は秘語、隠語を通じて愉しんだが、秘語といえば「ちゅうちゅうたこかいな」。

 この「おはじき遊び」などで、「二(にい) 四(しい) 六(ろく) 八(やの) 十(とお) 」と二つずつ数える代わりに唱える言葉は、よく知られる反面、その真意を、いまやほとんど知る者はいない。

「ちゅうちゅうたこかいな」は、実は男女和合中の切々たる情を表したもので、「ちゅうちゅう」は接吻の擬態語。「たこかいな」は、「さては相手は蛸開いナ」。

 そのこころは、和合する相手女性をメタファー(隠喩)として蛸とみたて、女性の艶っぽい肉付きのいい両太腿を分かつ分岐点に位置する聖なる水端の内部で軟体動物が緊縮力を発揮しながら絡みつき、締め上げ、吸引力と収縮力を同時に発揮するさまをあらわしている(注:筆者スクリプトにより超訳)のだとか。

 ちなみに『鹿の巻筆』作者、鹿野武左衛門は卑俗を流布したかどにより流島の刑に処せられたとのこと。

 性を謳うも侃々諤々、戦々恐々であった時世のこと。

筆者:市川 蛇蔵

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