「三島由紀夫はなぜ割腹自殺したのか?」昭和最大のミステリーに迫った映画監督がたどり着いた真実とは!? 関係者たちの衝撃暴露

11月25日(水)15時0分 tocana

 1970年11月25日、作家の三島由紀夫が市谷駐屯地で割腹自殺を遂げた。今年はそれから50年の節目に当たり、豊島圭介監督による映画『三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実』が3月20日から全国で公開されるなど、三島由紀夫が再び脚光を浴びている。トカナでは公開に先立って、豊島圭介監督から話を聞いた。今回はこのインタビューを再掲する。今なぜ三島由紀夫なのか? その裏側を考える機会となれば幸いである。


(編集部)


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 三島由紀夫とは誰か? 東大全共闘とは何か? 若い人たちには説明がいるだろう。


 三島が自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)で割腹自殺を遂げたのは、1970年11月25日。

筆者は小学4年生であった。事件の翌日、仲のよかった同級生が「これを見ろ!」と興奮気味に新聞を見せた。そこにあった写真には、無惨に床に転がった、三島の首が写っていた。割腹した後、日本刀による介錯を受けて、首が切り落とされたのだ。この事件は国会でも取り上げられたが、筆者の父は「あれはただの狂人だ。なぜ国会で取り上げる」と訝った。しかし父の書棚には三島の著作があった。





 中学生になってから、死の直前に完成した『豊饒の海』を読んだが、透徹した思考が貫かれており、とても狂人とは思えなかった。『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『美しい星』『永すぎた春』『美徳のよろめき』などおびただしいほどの名作を残した三島は、ノーベル文学賞候補にまでなった、日本を代表する作家である。これほど理性的な作家が、なぜあのような死を選んだのか。多くの人々と同様、筆者も深い疑問に捕らわれた。


 全共闘の台頭に対して、三島は『反革命宣言』において、「千万人といへども我往かんの気概を以て、革命大衆の醜虜に当らなければならぬ」と記し、学生による民兵組織「楯の会」を結成し自衛隊への体験入隊を行っていた。





 三島の自決について、豊島監督は語る。



豊島監督「映画に取りかかる前に、それほど三島に詳しくなかったんで、評伝とか考察を読んだわけですけど、三島はなぜ死んだのかっていう自決の謎に迫る本ばかりで、それしかないと言っても過言ではなかった。だから、それをやってもしょうがないと思ったんです。どうしたって分からないし、なぜ死んだのかっていう疑問に答えるのはやめようと思ったんです。三島はいかに生きたのかっていうことが、描ければいいと思った。討論会の映像を見ると、死ぬ気はまったく感じられませんね。今回、『楯の会』一期生だった人たちにインタビューしたわけですけど、その中で宮澤章友さんは、自衛隊での体験入隊の夜の食事の席で、三島から『秘密を共有するのって楽しいよな』って言われたそうです。最後の決起の時も、仲間と秘密を持って、決行までを精緻に詰めていくのが楽しかったかもしれません。日本をどうにかしなくちゃいけないということも本気で考えていたから、人生そのものが劇的になっていったのかもしれません」






 全共闘とは、新左翼運動の一形態である。日本共産党が議会を通じた社会変革を目指しているの対して、暴力革命を目指し、実力闘争を行うのが新左翼。中核、革マル、ブント、解放、第4インターなどの共産主義セクトだ。討論で三島から「大掃除の手伝いのような格好」と嘲笑された、ヘルメットを被ってタオルで口を覆うというスタイルは、1967年10月8日の羽田闘争で登場した。


 この日、時の首相、佐藤栄作がベトナム、アメリカ訪問をするために、羽田空港から立とうとしていた。900名ほどの角材を持った新左翼の集団が、羽田に向かった。ジュラルミンの盾を並べた機動隊の阻止線は突破されて大混乱となった。ベトナム戦争で使われるジェット燃料を積んだ貨車が新宿を通ると分かれば、機動隊の阻止線を突破し新宿駅を占拠、破壊して、首都圏の交通を大混乱に陥れた。それが1968年10月21日の新宿騒乱である。





 映画の冒頭では、当時の闘争の映像が流れる。


豊島監督「討論会の映像もTBSが撮影して保管していたものですけど、当時の闘争の映像もTBSに山ほどあったわけです。三島は討論の冒頭で『先日、4月28日に私はほうぼう見て回ったのでありますが、あの日の午前中、諸君の、いわゆる体制側の人とちょっと会っておりました』と言っているんだけど、4月28日がなんなのかは話の中で出てこないんです。討論の半月前ほどのことで、言わなくても全共闘の人たちには分かったんでしょう。調べると沖縄反戦デー闘争なんです。探すと、その映像もあるわけです。当時の映像を見るだけでも価値があるので、街場の会社が作るんじゃなくて、TBSの映画事業部が作るということは、そういう意味では価値がありました」


 1968年頃より始まったのが全共闘運動である。東大では医学部のインターン問題、日大では使途不明金問題など個別の問題が発端であったが、「大学解体」「自己否定」というスローガンとともに、全国の大学、高校、一部では中学にまで広がった。全共闘は個々の学生の決意と責任と主体性を重視するもので、入るのも自由、出るのも自由。ヒエラルキーのあるセクトとは違った。だが自由であるだけに、セクトの人間が全共闘のメンバーになることもでき、影響を与えていたことは否定できない。ヘルメットと角材というスタイルを踏襲したことなどに、顕著にそれは現れている。


 この頃からセクトが角材に加えて使うようになったのが、火焔瓶。全共闘もそれを取り入れた。ガソリンなどが詰められた火焔瓶は割れれば炎上し、それによって死者が出ることもある危険な武器だ。1968年より東大では、安田講堂を始め、いくつもの建物が全共闘によってバリケード封鎖されていた。それを彼らは「解放区」と呼んだ。1969年1月18日に、警視庁機動隊がバリケード撤去に取りかかると、学生たちは火焔瓶、ガレキなどを落として抵抗。最後に残った安田講堂のバリケードが解除されたのは翌日の夕暮れだった。


 そんな1969年5月13日、1000人を超える学生が待つ東大駒場キャンパス900番教室に、三島由紀夫は乗り込んでいった。そこで行われた討論の映像を元に映画は作られている。






豊島監督「僕は1971年生まれです。僕が学生の頃とは、土台となっている文化的背景が違うので、話されているテーマとか使う用語も共有できてないので、見た時にはちんぷんかんぷんでした。これをこれから映画にするために、三島に詳しい人とか社会学者、『楯の会』や当時の全共闘の闘士とか、おっかない人たちにインタビューしなきゃいけないということで、まずいな、大変なものに手を出してしまったな、と怖かった。学生運動のことも政治活動のことも、自分よりも詳しい人たちが大勢いるわけです。なにかしら個人的な体験があれば、その実感だけは唯一のものだから自信を持って人に届けられるでしょうけど、そうではないので怖い仕事だなと思いましたね。世界に誇る文豪の三島ですけど、たいした読者でもなかったですから、どれだけ調べなきゃいけないのかと思いました。1年くらい前に声をかけて貰って、インタビューまでの半年間勉強しました。だけど、それでも、元東大全共闘の芥正彦さんにインタビューに行った時には、『その程度の勉強で来てんのか。三島がかわいそうだ』って怒られましたからね」


 豊島監督の努力の甲斐あって試行錯誤の末、本作は三島由紀夫や全共闘運動を知らない現代人が見ても、当時の学生たちの熱気や、異彩を放つ三島のオーラが伝わるアグレッシブな内容になっている。また、昭和最大のミステリーのひとつ「なぜ、三島由紀夫は自決したか?」という謎を解き明かすヒントも隠されているといえるだろう。





監督:豊島圭介

音楽:遠藤浩二

ナレーター:東出昌大

出演:三島由紀夫、芥正彦、木村修、橋爪大三郎、篠原裕、宮澤章友、原昭弘、椎根和、清水寛、小川邦雄、平野啓一郎、内田樹、小熊英二、瀬戸内寂聴

配給:ギャガ

©2020映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会

3月20日(金・祝)から全国公開

公式サイト:https://gaga.ne.jp/mishimatodai/






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