古代文明は核戦争で滅亡した? 古代核戦争説にまつわる7つの事例

2022年11月27日(日)14時0分 tocana


 ロシアのウクライナ侵攻が混迷を極める中、プーチン大統領が核兵器を使用する可能性が危惧されている。もし実際にそうなれば、世界を巻き込んだ第三次世界大戦に発展する可能性もあるだろう。ところで、一説によると、「これまでも文明は核戦争で何度か滅び復興を繰り返している」といわれている。今回はその中から7つの事例を紹介しよう。


古代文明は核戦争で滅びたのか?

 古代の書籍や神話には「人類文明が核戦争で滅んだ」ということを匂わせるような記述がある。その一部をご紹介する。


●事例1:旧約聖書


『旧約聖書』の「創世記」によれば、古来、ソドムとゴモラという町が栄えたが、いつしか悪徳と頽廃の巣になり果ててしまった。ソドミー(男色、獣姦)という言葉はソドムの町の名から派生する。


 神は硫黄と火の雨を降らせて町を消滅させることにしたが、その前に町に住むロト夫婦とその娘たちの元に天使を遣わし、「急いで町を去るように、決して振り返らぬように」と命じた。


 しかし、ロトの妻は振り返ってしまい、そのまま塩の柱になってしまう。


「主は硫黄と火とを、主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、これらの町と、全ての低地と、その町々の全ての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
 しかし、ロトの妻は後ろを顧みたので『塩の柱』になった。アブラハムは朝早く起き、先に主の前に立った所に行って、ソドムとゴモラの方、及び低地の全面を眺めると、その地の煙がかまどの煙の様に立ち上っていた。」


 硫黄と火を降らせた、煙が立ち上っていた、後ろを見たら「塩の柱」になった、という表現は核爆弾が街に墜落したという地獄図の描写ではないかと言われることがある。一方で、ソドムはヨルダン渓谷南部の高台に位置する「トール・エル・ハマム」と呼ばれる都市であり、過去に隕石落下によって滅亡した可能性が最新の研究で指摘されてもいる。


・事例2:月蔵経


 仏教の教えによると、 釈迦が入滅したあと最初の1000年間は、仏法が正しく伝えられ守られる「正法の時代」だという。その次の1000年間、「像法の時代」で、教えや修行は伝えられるが、悟りを開く人がいなくなり、世が乱れていく。そして、その後、「末法の時代」が訪れ、人々は慈愛の心を忘れ、私利私欲に走り、悪行を重ね、争いが絶えない世の中になるという。


 末法の様相を表す仏典が「月蔵経」だ。釈迦は「月蔵経」の内容が非常に危険なものであった為、「月蔵経」を封印してしまうことを弟子達に命じたともいわれている。


 そこには「人類文明の崩壊」と思しき記述もある。


「是の時、須臾(しゅゆ)の間、大地が揺れ動き、空中で耳を聾(ろう)さんばかりの大きな音を出し、各所に被害をもたらす。数百、数千にものぼる火の手が上がり、空中に留まっている。


その時、空中で大きな音がして大地が震える。全ての物が巻き込まれ広がりゆく有様は、水面の波紋とそっくりだ。市街の壁は崩れ落ち、家屋は大小を問わず倒壊し、樹木は根こそぎにされる。」


「空中で大きな音」「大地が震える」「水面の波紋」というのは、まさに核爆発の際に爆風・衝撃波がもたらす現象と類似している。この記述が核兵爆弾に関するものだとしたら、仏典が創られた起源前後に、核兵器に関する知識があったのか謎である。とはいえ、月蔵経は密教色が濃厚な中期仏典であるうえ、釈迦は書物を書き残さなかったため、その信ぴょう性には疑問が残る。



世界の古代文明の核戦争跡地?

 古代史研究家であるイギリスのデヴィッド・W・ダヴェンポート、 作家・怪奇現象研究家の南山宏氏、作家・元週刊誌記者の橋川卓也氏らの研究・調査によると世界各国には古代核戦争の痕跡だと疑われるものがあるという。


●事例3:モヘンジョダロ


 ユネスコの世界遺産に指定されている紀元前2500年前に栄えたインダス文明の遺跡「モヘンジョダロ」(パキスタン南部)。モヘンジョダロは現地の言葉で「死の丘」を意味し、歴史学者が足を踏み入れるまでは、「ある時突如人々が消えた“死の都”」「古代の死者が眠る禁忌の領域」として地元民に恐れられていた。


 遺跡から人骨が50体近く発掘され、周囲の壁は異常な熱を浴びた後が残っているが、近隣には大規模な火山がないため、町を一瞬で焼き尽くしたものが何なのか、不明である。一部では「核戦争が起きたのではないか」という説がある。


 というのも、遺跡で発見された人骨から高濃度の放射線が検出され、ローマ大学の研究によると、街を焼きつくした“正体不明の熱”の温度は想定1500度にもなるという。


 さらに、古代史研究家であるイギリスのデヴィッド・W・ダヴェンポートとイタリアのエットーレ・ヴィンセンティがモヘンジョダロを訪れた際に 「800メートル四方を黒いガラスの破片が覆った場所」を発見したという。


 ただし、ガラスに関しては他に証言がなく、「オカルティストたちのデマではないか」という批判もある。


●事例4:カッパドキア


 ユネスコの世界遺産に指定されているトルコカッパドキアの地下都市は核戦争から身を守る為のシェルターではないか、という説がある。


 カッパドキアは紀元前16〜12世紀にかけてカッパドキアに住んでいたヒッタイト帝国の軍の本拠地で、ヒッタイト帝国滅亡後は、アケメネス朝ペルシャ王に従属した地元の領主による統治が長く続いた後、ローマ帝国時代にはローマ帝国の属州となった。


 カッパドキアは「ローマ帝国でキリスト教が禁止されていた時代に、キリスト教信者が隠れ住んでいた街」だというのが通説だが、それにしては「規模が大きすぎて、隠れるには目立ちすぎる」という指摘がある。


 カッパドキアには10万人もが入れる空間が存在しているのだが、一カ所に迫害されていたキリスト教信者が集まれば、むしろ攻撃の的になるのではないだろうか。


「カッパドキアは現地の人々が外敵から逃れるためのシェルターで、後に入ってきた一部のキリスト教徒が隠れ家として使用した」と考えることもできるかもしれない。


 カッパドキア地下都市の中心部には通気口があり、通路と部屋は石の扉で仕切られて、キッチンや油を貯蓄する為の壺、家畜を飼育する部屋も備わっている。


 ヒッタイト民族は人類史上初めて武器などに鉄を使用した。好戦的な民族だったとされ、ヒッタイトの文献にも戦争に関する記述がある。



・事例5:人類のゆりかご


 南アフリカ共和国には、ユネスコの世界文化遺産に指定されている「人類のゆりかご」と呼ばれる直径50キロメートルほどのクレーター跡(フレデフォート・ドーム)がある。この地域では、アウストラロピテクスの骨など人類の誕生と進化の歴史を紐解く遺跡が数多く発見されている。


 クレーターは隕石が落下した跡だというのが通説とされてきたが、不思議なことに、偶然にも20億年前と1億4500年前と同じ場所に二度も落下しているようなのだ。


 そして、20億年前に落下した隕石は直径10〜12kmで速度約20km/sで、衝突時のエネルギーは広島型原爆の58億倍、衝突時ににはマグネュード14の地震が発生したといわれる。地殻は地下25kmまでえぐられ、マントルが溶融し、大量の岩石が蒸発し急激に冷却したことを示す地質が確認されている。


 衝突直後のドームの大きさは300km程度あったと推定されているが、現在は長年の侵食により50km程度が残る。


 1億4500年前に落ちた隕石については諸説あり、更に規模が大きかったという説もある。


 いずれも地球上の生命生存に危機をもたらすものだろう。


 20億年前はミトコンドリアや真核生物くらいしか存在しなかったとされているが、1億4500万年前〜1億年前は恐竜が進化を遂げている時代で、不思議と地球上の生命の大量絶滅が起きた痕跡がないのだ。


 このことから、「人類のゆりかご」は隕石落下の跡地だという説も今後の研究で覆えされる可能性も否めないだろう。


 一部では「古代核戦争の巨大核爆弾による跡ではないか」という噂もある。


・事例6:ラピスラズリ


 イラクの遺跡からたびたびラピスラズリ(和名:瑠璃)が発見されている。


 ラピスラズリはエジプトの「死者の書」、旧約聖書の「出エジプト記」にも記述があるほど、古くから人類の歴史に登場する青く美しい貴石だ。


 ラピスラズリはシュメール文明との関わりが深い。


 シュメール人は、紀元前3500年ごろ、どこからともなくこの地に現れ、高度な文明を築き上げた。特に天文学の知識に優れ、なぜか肉眼では見えない、天王星、海王星、冥王星の存在を知り、世界で初めて太陰暦を使っていたそうだ。医学の知識にも卓越し白内障の手術方法を知っていたという。


 そんな高度な文明を築いたシュメール文明は、紀元前2000年ごろに突然消している。更に不可解なのは、シュメール人の存在そのものが1850年代まで知られていなかったことだ。


 異色の考古学研究家・作家のゼカリア・シッチンなどが唱える説によると、シュメール文明には地球外生命体が関わり、「核戦争で滅びた」という。



●事例7:スコットランド


 スコットランドには古代から中世のガラス化した城壁が80箇所以上も発見されている。


 特に有名なのはライニー付近に所在するタップ・オノスという丘上に立つ砦で、城壁が熱によって変形し、溶解してガラス化しているそうだ。


「ガラスの城壁」が如何に創られたかは謎で、 現在でも大きな建造構造物をガラス化する有効な方法は存在しない。古代ガラスは一般的に、珪砂やソーダ灰、石灰などを原料として摂氏1200度以上の熱で溶かすことによって作られるが、要塞全体をガラス化するために必要な温度は、原爆の爆発に匹敵する高温とエネルギーが必要になるという。


「敵勢力がその場所を占拠した後に、1050〜1235度の高温にじっくりさらしてから、冷やして出来た」もしくは「太陽フレアによる陽プラズマ現象により作られた」というのが通説だが、前者は時間もかかり至難の業で、後者の方法は証明されていない。


 そのため、一部では 「核戦争の跡ではないか」という噂もある。


 いかがだろうか。いずれも、考古学的な確固たる証拠はないが、「古代核戦争」があったのかもしれないと想像力を刺激する事例ばかりだ。


 もし本当に「核戦争により人類文明が滅んだ」とすれば、決して歴史を繰り返してはならず、我々はこのような思考実験をただの「オカルト」と考えずに今の時代にこそ真摯に向き合うべきなのかもしれない。

tocana

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