中国の有名“都市伝説”5選! 北京375番バス、ゾンビラッシュ、人肉饅頭、猫面婆…

2022年11月28日(月)20時0分 tocana

 口裂け女のような怪談から武富士ダンサーズのような時事的な話題まで日本は都市伝説の宝庫だ。しかし、同様に民間伝承のように語り継がれている“伝説”は各国に存在する。今回はその中から中国の有名都市伝説を5つ紹介しよう。


中国都市伝説1
北京375番バス

 375番バスは北京の頤和園(いわえん)、北京大学、清華大学を経由する。1990年代、その辺りでは、毎晩8時を過ぎると人通りも少なかったという。


 事件が起こったのは、1995年11月。北京375番バスの最終便に一人の老婦人が乗り込んだ。老婦人が車内を見ると、車掌と運転手ともう一人若い男性の乗客がいるだけだった。彼女は空いた座席に座り、バスは進んだ。


 すると、次の停車駅で、清朝時代の衣装を着て、長い髪を三つ編みにした、顔に不自然な白粉を塗った3人の新しい乗客がバスに乗り込んできた。


 その異様な姿に乗客らは驚いたが、すぐに落ち着きを取り戻した。というのも、当時は中国の時代劇が流行り始めた頃だったので、おそらく彼らは仕事を終えたばかりのエキストラで、衣装を脱ぐ暇もなかったのだろうと思われたからだ。


 バスが動き、しばらくすると、老婦人が突然立ち上がり、「バスの中に泥棒がいる!」と叫び出した。老婦人は「財布を盗まれた!」と大声を上げ、彼女は運転手に停車するよう頼み、騒々しくバスから降りて警察を呼ぶように頼んだ。そして、彼女は自分が乗ったときにすでに乗っていた若い男性客を泥棒と断定し、バスから引きずり下ろした。


 若い男性は仕方なく、バスを遅らせないように、老婦人の後についてバスを降りた。バスが出発した後、彼は老婦人に自分が泥棒でないことを釈明しようとしたが、老婦人は彼に喋らせる暇もなく、「青年! 私はあなたの命を救ったのよ! でも、私が救えるのはあなたの命だけだった」と話したのだ。


 老婦人によると、「清朝時代の人のように見えた3人の乗客は、人間ではなく幽霊だった。彼らが上がってきたとき、服の下に足がないのが見えた」というのだ。


 翌日、バスはターミナルに向かう途中で、道路脇の溝に落ちているところが発見された。


 バスの運転手と車掌は死んでおり、頭は異常な方向を向き、遺体は一晩でひどく腐敗していた。それ以降、清朝の服を着た3人の姿を見た者はいない。


 この話にはいくつかのバージョンがある。他のバージョンでは、バスのナンバーが330となっているなど、細かな設定が異なっているそうだ。物語の具体的な文章は中国の有名なホラー小説家である張震が書いた可能性があり、その原型は世界中に存在する「最後の深夜バス」であるといわれている。他には、中国の有名歌手ナ・インが1995年以前にラジオ番組で同様の話をしたことがあるが、その時は具体的なバスの路線は言っていない。1994年には、北京晩報がバスの失踪事件に関する記録はないと否定している。



中国都市伝説2
ハルビンの猫面婆

 中国古来の言い伝えでは、猫を死体に近づけてはいけない、特に黒猫を近づけてはいけないというタブーがある。黒猫が人間の死体や棺桶を横切ると、死者がゾンビとして蘇るといわれているのだ。


 1995年、中国黒龍江省北部の小さな山村で、ある家族の口論が激化。息子夫婦が母親と些細なことでいさかいになり、大喧嘩にまで発展してしまったのだ。


 高齢の母親は非常に怒り、自暴自棄になった。そして、その夜、彼女は首を吊った。


 老婆の口からは舌が飛び出し、目は怒りの表情で開いていたという。この地方の風習では、このように人が憎しみで死んだ場合、近親者が一晩中そばでなだめすかしてから埋葬することになっている。


 しかし、老婆の息子と妻は老婆の遺体に付き添っているうちに眠ってしまい、黒猫が老婆の遺体を踏みつけてしまった。猫は死に老婆は猫の顔をしたゾンビの姿で生き返った。そして、怒りのままに息子とその妻を殺し、村から逃げ出した。


 猫顔の老婆は、夜中に一人で出歩く子供を狩って食べると噂され、死者の腹の中には、死んだネズミが詰め込まれるという。


 猫面婆は現代中国における4大都市伝説の1つであり、その起源は最も古いとされている。少なくとも1924年まで遡ることができ、老婆の死後、黒猫に体を破壊された老婆はゾンビとなり、親不孝な子供たちに怒りながら復讐をする。何世代にもわたって受け継がれた後、この物語は黒竜江版へと発展したとされる。


 当時、ハルビンの一部の学校では、生徒たちに安全に注意するよう警告したほど信じられたそうだ。しかし、中国のネットユーザーの中には、この話が中国東北地方で人気があるのは、当時、この地方には子供を誘拐して人身売買する犯罪者が多くいたからだと言う人もいるという。この都市伝説は2016年に映画化された。



中国都市伝説3
成都のゾンビラッシュ

 1995年、中国の考古学チームが成都の武侯祠付近で3体の古代の遺体を発掘した。しかし、現場の警備が厳重でなかったため、翌日、チームが遺跡に戻ると、古代の遺体は消えてしまっていた。


 墓荒らしに盗まれたと思われたが、数日後、成都の別の場所で5体のミイラが発見された。この5体のミイラの中には、以前発見された3体が含まれていた。


 すると、とんでもないことが起こった。5体の死体がゾンビになってよみがえり、鋭い歯で生者に噛みついたのだ。噛まれてすぐ死ぬ人もいれば、徐々に我を忘れて同じように歩く死体になっていく人もいた。


 中国軍は、ゾンビが増加する前に火炎放射器ですべてを制圧したと噂されている。


 中国のネットユーザーらの調査では、この話の真相は狂犬病の流行から出てきたものかもしれないという。成都の農村で、ある農夫が狂犬病に感染し、彼は次第におかしくなり、自分の豚を噛んでしまった。彼と豚はすぐに死んだが、村の人々は医学的知識がないため、農夫の家族は死んだ豚を食用にしてしまった。数日後、家族全員が狂犬病に感染し、同じ村の住民に嚙みついた、というもの。



中国都市伝説4
上海の吸血鬼

 1995年後半、上海郊外の生物学研究所で実験事故が発生した。研究員が誤って細菌を食べ、恐ろしい病気に感染してしまったのだ。その病気に感染すると、哺乳類の血を飲まなければ生きていけなかった。


 この研究者は、ドイツに留学して博士号を取得した一流の生物学者である。彼は研究所で高い評価を受けており、その権力を使って研究所の事故を隠蔽した。


 当初は研究所で保管していた人間の血で生活していたが、すぐにストックがなくなってしまった。そこで、ネズミの血を飲むようになった。しかし、ネズミの血では食欲を満たすことができず、彼は飢えの狂気に陥るようになった。


 そこで、夜道を一人で歩いている女性を襲うようになった。何度かその試みは成功したものの、これだけの大事件に警察が黙っているはずもなく、すぐに捜査が始まった。吸血鬼は虹口公園で囮の女性警官を襲ってしまい、その正体がバレてしまう。待ち伏せしていた警察が彼を逮捕しようとしたが、その過程で2人の警官が殺された。結局、吸血鬼はスナイパーに射殺された。


 その後、警察が彼の日記を調べたところ、病気の経過を記録していたことがわかった。日記の後半は、狂気と不穏な空気が漂うようになった。日記を書く言語も中国語からヘブライ語へと徐々に変化していたという。


 この都市伝説の起源はまだ謎であるが、この話は上海人が「成都のゾンビラッシュ」を再創造したものだという説がある。



中国都市伝説5
西単人肉饅頭事件

 1982年、資本主義経済への移行を目指した改革開放直後の中国経済はまだ弱かった。当時、一般の中国人は肉の値段が高すぎて、毎日肉を食べることはできなかった。しかし、北京の西単という有名な商業街に、肉まんの店があり、その肉まんの中身は肉だが、値段が非常に安かったという。


 味はいいし、値段も安いから、この店の商売は大繁盛である。一日に3~400個の肉まんが売れた。中国では1993年に穀物(肉)流通制度が廃止され、穀物(肉)が市場を通じて取引されるようになったばかり。そのため、1982年当時は肉まん屋がどこでそんなに安い肉を仕入れて肉まんをつくっていたのか、不思議だった。


 あまりに商売がうまくいったので、店主は他所から北京に来た人を従業員として雇うようになった。改革開放の初期には、多くの中国人が故郷を離れ、経済的に発展した地域で労働した。深圳が経済特区になる前は、北京、上海、広州がその選択肢の第一候補だった。


 当時は通信手段が未発達で、他の都市に出稼ぎに行った多くの人が手紙を書いたり、一度家に帰ったりするのに長い時間がかかった。中には他の都市で事故死し、数年後に故郷に知らされる人もいたという。


 さて、肉まん屋の安さの秘訣は簡単だ。肉まん屋に雇われた地方出身者が殺されて肉詰めにされたため、材料費がかからなかったのである。


 地元の客や警察は、この肉まん屋で1カ月以上働いている店員を見たことがないため、困惑し始めた。中には、肉まんで人の爪を食べたと文句を言う客まで出てきた。社長はただ、こう言った。「肉まんを作るとき、店員が誤って指の爪を切ってしまったんだ。もうクビにしたよ」と。


 住民の間で不信感が募り、遂に警察が捜査に入った。そして、冷凍庫の中に殺された従業員の死体を発見。


 逮捕された店主は、当初は肉まんの不味さを批判した男を誤って殺してしまい、死体を隠すために人肉を肉まんにしたに過ぎないと語った。しかし、思いがけず、最初に作った人肉饅頭が普通の饅頭より売れたため、「人肉饅頭」を固定メニューにするようになったという。


 日本でもよく知られている人肉饅頭だが、この都市伝説は実際にあった残酷な事件に基づいているといわれている。1982年、北京のある料理人が、北京に働きに来た部外者2人をけんかの末に殺害。その2人の遺体をミートソースにして、近所の人に配ったという事件だ。隣人はすぐにミートソースの異常に気付き、警察に通報。その日のうちに男は逮捕された。


 メディアが未発達だった当時、この事件の話は人々の間に広く浸透し、やがて「人肉饅頭」バージョンになった。当時、多くの北京市民はこの都市伝説のために肉まんを食べなくなったといわれている。


 これら5つの都市伝説は、ほとんどが1995年以前から存在するものだ。1994年に中国に初めてインターネットが登場したが、当時はインターネット上に中国のコンテンツはほとんどなかったため、初期のフォーラムやポータルサイト、ブログは、オフラインで人気のあるコンテンツをオンラインに移行させることを目的としており、中でも怪談は最も人気のあるテーマだったのだ。


 また、当時は変なニュースを見たときに、ほとんどの人がインターネットにアクセスする手段がなかったので、真偽を検証する方法がなかった。そのため、中国の現代的な都市伝説は基本的にその時期に形成されたものだとされている。


参考:「PANDA!YOO」、ほか

tocana

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