X JAPANの大転機に加入したHEATH、堅実的なベーススタイルと切り拓いた新境地

2023年11月30日(木)6時0分 JBpress

(冬将軍:音楽ライター)

90年代から現在までの、さまざまなヴィジュアル系アーティストにスポットを当て、その魅力やそこに纏わるエピソードを紹介していくコラム。今回は日本のロック史を語る上で絶対に欠かすことのできないバンド、X JAPAN。特にバンドの大転機に正式加入したベーシスト、HEATHに焦点を当て、堅実なベーススタイルとバンドを新境地に導いたアーティスト性を紹介する。(JBpress)


『ART OF LIFE』から30年

 今年2023年はX JAPANの『ART OF LIFE』がリリースされてからちょうど20年にあたる。約30分に及ぶこの超大作はもともとアルバム『Jealousy』(1991年7月リリース)に収録し、2枚組として発表される予定であったが、さまざまな要因により収録が見送られ、1993年8月25日にリリースされた。制作から世に出るまで3年7ヶ月という歳月を要している。1曲のみの収録であるが、アルバムという形態だ。

 そして、本作はHEATHの初参加作品である。1990年に行われた『Jealousy』制作の段階で同曲のドラム、ギター、そしてTAIJIによるベースはレコーディングされていた。しかしながら『Jealousy』収録が見送られ、TAIJIの脱退もあって、後年HEATHによって録り直された。

 そんな『ART OF LIFE』が世に出て20年目の2023年10月29日、HEATHは旅立ってしまった——。

 ヴィジュアル系、いや日本のロック史を語る上で絶対に欠かすことのできないバンド、X JAPAN。世に出てきた当時は「もう古い」とされていたヘヴィメタルバンドでありながらクラシック音楽と歌謡曲をも呑み込んだ音楽性に加え、過激さと美しさを備えたカリスマ性で大きなインパクトを与えた。さらにはエクスタシーレコードというインディーズレーベルを牽引し、その稀有な存在を知らしめた。そうしたシーンに登場した黎明期を中心に伝説として語られることが多いバンドであるが、“X JAPAN”への改名によって更なる新たなフェーズに入った重要な転換期だ。HEATHが正式加入したのもその時である。

 社会現象になるほどの人気と海外ロックスターバンド級のスケールのどデカさを誇る。X JAPANは当時の日本のバンドでは考えられない規格外のモンスターバンドとして、ロックファン以外にもその認知度をさらに広げていったのだ。

 1992年1月5、6、7日。日本人アーティストとして初となる東京ドーム3日間連続公演『破滅に向かって』を開催し、まさにその人気絶頂の中にあったXだったが、同月31日にベーシストTAIJIが脱退する。

 そして1992年8月24日、米ニューヨークのロックフェラーセンターにて、世界進出を果たすべく、タイム・ワーナーとの契約、同名のバンドが存在したために“X JAPAN”への改名、そしてHEATHの加入が発表された。HEATH加入後の初音源が30分に及ぶ『ART OF LIFE』であり、初ライブが東京ドームであり、初のテレビ出演がNHK紅白歌合戦であった。HEATHはまさにバンドとしての大転機に加入したのである。


HEATHの堅実的なベーススタイル

「Xは“JAPAN”になって変わってしまった」「やっぱTAIJIだよな」

 当時、そんな声があったのも事実だ。今でこそヴィジュアル系のレジェンドというポジションにいるX JAPANだが、当時はまだヴィジュアル系のムーヴメントが確立していたとは言えず、Xはヘヴィメタルバンドという認識も多くあった。YOSHIKIの華麗なる中性的な佇まいと危うい猟奇性が同時に介在する美学に心奪われる女性ファンが多くいたが、対象的にどこか荒くれ者ロッカーの香りをプンプンさせながら、メタリックでテクニカルなプレイによって多くの男性のロックファンの心を鷲掴みにしていたのがTAIJIだった。

 80年代バンドブームにおけるベーシストは、“縁の下で支える”といった、よくも悪くも地味なイメージが大きくあった。しかしながら、TAIJIはそのステージングもプレイも派手だった。ピック弾きから指弾き、華麗なスラップからボスハンドタッピングという両手を使ってベースの指板上を鍵盤のように弾くといった、当時は誰も見たことない超絶技巧を華麗にステージ上で見せていた。もともとはギターを弾いており、ギタリスト視点からのテクニカルなベースプレイを得意としていたのである。そのギタースキルは、HIDEが加入時にTAIJIにX楽曲の弾き方を教わったという逸話があるほどである。

 対してHEATHはピック弾きメインによる縁の下スタイルだ。堅実的で職人的なベーシストであるHEATHのプレイスタイルは、TAIJIを見てきた従来のファンからすれば、物足りなさを感じてしまうのも致し方ないだろう。しかしながら、ニッキー・シックス(モトリー・クルー)やイアン・ヒル(ジューダス・プリースト)への敬愛を感じられるブリッジ付近に右手首を固定しながら的確にピッキングする、その安定感は抜群であり、どこか前のめりで走りがちだったXのグルーヴに大きな影響力を与えている。

 HIDEとPATAのツインギターの刻みと共に三位一体、時には自らが先陣を切って突進して行くようなTAIJIに対し、一歩下がって重心を低くグルーヴを支えていたのがHEATHだった。さらにそのスタイルは、モンスターバンドとなったX JAPANの音楽変遷の大きな要素になっている。

 HEATH加入後初となるフルアルバム『DAHLIA』は、XからX JAPANへとその人気もスケールのどデカさも、そしてその制作期間の長さもそのすべてがモンスターバンドというに相応しいアルバムだ。


『DAHLIA』という新境地

 1993年7月にレコーディングが開始されてから1996年11月4日のリリースに至るまで、紆余曲折あった長い制作期間の中で先行シングルリリースを重ねた『DAHLIA』は、最終的に全収録10曲中のうち6曲が世に出た状態になってしまう。ゆえに“シングルコレクション”と揶揄する声もあったが、そうした事情を抜きにあらためて聴いてみれば、これまでの楽曲には見られない試みも多くあり、強度の高い楽曲が揃った完成度の高いアルバムであることがわかるはずだ。

 映画『X』の主題歌であったほか、2001年の第19回参議院議員通常選挙時にて、時の内閣総理大臣であり自由民主党総裁・小泉純一郎が自ら出演する自由民主党のCMソングに使用したことで、もっとも知名度の高い楽曲となった「Forever Love」(1996年7月シングルリリース)。そしてHIDEが最も愛した曲とも言われる「Tears」(1993年11月シングルリリース)という、珠玉のバラード群の美しさ。

 キャッチーなJ-POPメロディ要素が強く、ビートロックテイストを感じられる「Rusty Nail」(1994年7月シングルリリース)は、Xではなく、まさにX JAPANの楽曲だろう。意外にもバンド初のオリコンシングルチャートで1位を獲得したのが同曲である。緊張感が張り詰めるチェンバロの音色からバンドサウンドが一気に放たれるイントロは、多くのロックファンが「X JAPAN, JAPAN, JAPAN, JAPAN……」のナレーションで始まるライブオープニングを思い浮かべ、日本のロック史上、もっともリスナーの昂揚感を誘うイントロではないだろうか。

 X JAPANの真骨頂であるメタル楽曲も大きく進化している。表題曲でもある「DAHLIA」は、従来のメタルスタイルと当時世界的に台頭していたオルタナティヴロックをうまく融合させているナンバーだ。スラッシュメタルがベースにありつつも、フーガ調に折り重なるようなメロディがクラシカルな妙味を生み出し、耳にへばりつくようなノイジーなギターサウンドが無機的でインダストリアルな雰囲気を作り出している。

 そういったギターのサウンドプロダクト然り、1993年にソロ活動を開始したHIDEの影響が色濃く出ているのも本作の特徴であるだろう。HIDEが自身の多国籍バンド、zilchでもセルフカバーした「DRAIN」、そして「SCARS」などのインダストリアルロックのナンバーは、オルタナティヴロックの隆盛による「メタルはもう古い」というシーンの風潮に対するX JAPANからの回答のように思える。バンドの懐の大きさを感じられるのだ。

 なにより、こうしたインダストリアルナンバーは、HEATHのベースがその色をより濃くしているのだ。


アーティストとしてのHEATH

「SCARS」のおどろおどろしいゴシックなベースラインは、HEATHでなければ成立しなかったものだろう。「DRAIN」はYOSHIKIもPATAも参加しておらず、HIDE主導によるものである。低音と高音が強調されたドンシャリ気味の音色で、且つソリッドでエッジの効いたベースは無機質で退廃的な世界観を構築する大きな要素となっている。

 さらには「WRIGGLE」はHEATH作曲のインストゥルメンタルナンバーだ。このHEATHのプログラミングによるデジタルロック路線は後年のソロアルバム『GANG AGE CUBIST』(1998年6月リリース)にてその才覚を爆発させている。

 HEATHは1996年10月にリリースした「迷宮のラヴァーズ」でソロ活動を開始。ソロアーティストであるHEATHは、コンポーザーであることはもちろん、ボーカリストであり、フロントマンであり、基本はベースを弾かない(持たない)スタイルで活動を始めた。1997年のX JAPAN解散後はソロ活動を本格化させ、先述の『GANG AGE CUBIST』は自ら率いるバンドとリミックス集という2枚組形式でリリースされた。

 HIDEとは異なるHEATHのデジロック解釈はソロ活動を経て、X JAPANのマニピュレーターでもあり、hide with Spread BeaverのメンバーであるI.N.A、X JAPANのPATAと共に結成されたDope HEADzで炸裂する。さらには鈴木慎一郎とのRATSにて、ヘヴィなバンドサウンドとシーケンスのデジタルビートを融合させた硬派なロックスタイルを確立させた。


X JAPANの世界進出

 2000年代初頭はヴィジュアル系氷河期と呼ばれるほどの時代であった。今では考えられないかもしれないが、過去にX JAPANやLUNA SEAといったバンドを聴いていたことを公言するのが恥ずかしいとされていたのである。

 しかしながら、海外での“Visual Kei”人気によって国内のヴィジュアル系シーンに活気が戻ってきた。2007年5月に米ロサンゼルスにて行われた『J-ROCK Revolution Festival』はYOSHIKIが旗頭となり、雅–MIYAVI-やMUCCをはじめとした9組が参加。翌月にはYOSHIKI、GACKT、SUGIZO、雅-MIYAVI-による新バンド、S.K.I.Nがカリフォルニア州ロングビーチにおいて開催された『ANIME EXPO AX2007』にて初ライブを行なっている。

 国内では2007年12月のLUNA SEA復活ライブを機に、それまでは言いづらかった「昔、X JAPANやLUNA SEAを聴いていた」ことが戒厳令を解かれたように、多くのバンドマンやロックファンが口にする風潮が広まった。これは凛として時雨といった非ヴィジュアル系バンドのメンバーがX JAPANやLUNA SEAからの影響を公にしたためである。

 そうした中での2007年のX JAPAN再結成だった。2009年にLUNA SEAのSUGIZOが加入。そしてHEATHの脱退騒動がありつつも、X JAPANは長年の夢であった本格的な世界進出を果たした。ワールドツアー、そしてアメリカはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン公演(2014年)、イギリスはロンドンのウェンブリー・アリーナ公演(2017年)、さらには『ロラパルーザ』(2010年)、『コーチェラ・フェスティバル』(2018年)といった大型音楽フェスティバルにも出演し、世界中のファンを魅了した。

 しかし2018年9月以降、X JAPANとしての公演は行われておらず、制作中であるというオリジナルアルバムや今後の活動に関しては言及されていない。

 HEATHがベースを弾くX JAPANの快進撃はもう見られぬものとなってしまった。

 テクニカルなベーシストが多く注目される昨今で、バンドアンサンブルの屋台骨に徹するベースのカッコよさを教えてくれた、HEATHはそんな硬派なベーシストであった。

 11月28日に「HEATH お別れ会 -献花式 HEATH Farewell & Flower Offering Ceremony」が渋谷Spotify O-EASTで行われ、多くのファンがHEATHに別れと感謝を告げた。

 YOSHIKIはHEATHの願いでもあるメモリアルコンサートの開催を実現したいと語っている。いつどのような形になるのか、それはまだ先のことであろうが、向こうでX JAPAN加入前からの旧知の間柄であったHIDEとセッションしていることを想像しながら気長に待ちたい。

 日本を代表する偉大なるベーシスト、HEATHの御霊の安らかならんことをお祈りいたします。

筆者:冬将軍

JBpress

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