隆家たちの活躍で「刀伊」を撃退するも、都では…『光る君へ』で竜星涼演じる隆家とロバート秋山演じる実資の交流から<道長時代に生じた一抹の不安>を読み解く
2024年12月3日(火)18時38分 婦人公論.jp
(写真提供:Adobe Stock)
『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』。24年12月1日の放送では「刀伊の入寇」が描かれました。花山院に矢を放った「長徳の変」をきっかけに、力を失った伊周・隆家兄弟でしたが、一方で<日本を救った英雄>とも言われている隆家。道長の全盛期に九州へ異民族が襲来。老人・子供は殺害、壮年男女が捕虜として連れ去られるなど、突如瀕した国家の危機に対応したのが彼だったのです。歴史学者・関幸彦先生の著書『刀伊の入寇』よりその一部を紹介した記事を再配信いたします。(初回配信:2024年05月17日)
* * * * * * *
隆家の失意
そもそも刀伊の入寇とは…
藤原道長が栄華の絶頂にあった1019年、対馬・壱岐と北九州沿岸が突如、外敵に襲われた。東アジアの秩序が揺らぐ状況下、中国東北部の女真族(刀伊)が海賊化し、朝鮮半島を経て日本に侵攻したのだ。
道長の甥で大宰府在任の藤原隆家は、有力武者を統率して奮闘。刀伊を撃退するも死傷者・拉致被害者は多数に上った。
ーーーーー
権力の帰趨は外戚関係の有無が大きい。一条天皇に入内した定子・彰子いずれも皇太子候補を誕生させたが、定子の場合は父道隆の死去で後見を失ったことが影響した。
花山院誤射事件による伊周・隆家の左遷も中関白家に逆風となった。
とはいえ、隆家たちにも希望はあった。定子所生の敦康親王の立太子への望みである。
しかし、それも彰子所生の敦成親王誕生で状況は微妙となる。一条天皇は道長との関係を慮かってか、寛弘8年(1011)の三条天皇への譲位にさいし、将来における東宮として敦成を指名したのだった。
隆家の失望は大きかった。
隆家の大宰府下向
その前年に兄伊周が死去しており、定子もその10年前に亡くなっていた。隆家自身の眼病が悪化する中で、いささかの光明は三条天皇の存在だった。
『刀伊の入寇-平安時代、最大の対外危機』(著:関幸彦/中公新書)
東宮時代、道長との対抗心もあって、隆家はこの三条天皇へ親しみを感じていたようだ。両者は反道長で共闘し得たからだった。
けれどもその三条天皇もまた眼病を患っており、隆家の大宰府下向はそんな失意の環境でのことだった。
隆家の大宰府赴任の3年後、三条院も死去する。さらに敦明親王の東宮辞退で隆家の政治環境はさらに厳しい状況となる。
これに追い討ちをかけるように、寛仁2年(1018)定子所生の敦康親王も死去した。刀伊来襲の1年前のことだった。
隆家にとって辛く苦しいことが続いていたおりでの異賊の来襲だった。
硬骨の人、小野宮実資の周辺
三条院に同情を寄せたのは隆家だけではなかった。硬骨の人、藤原実資もその一人だった。『光る君へ』ではロバート秋山さんが演じている。
小野宮流に属したこの人物は、永年勤続賞でも与えたいほどに政務に精励した。「賢人右府」(右府は右大臣のこと)と称されたほどで、円融・花山・一条の3代の天皇の蔵人(秘書的役割を担う要職)を勤め、その後は参議・右近衛大将そして右大臣へと栄進を重ねた。
その日記『小右記』(小野宮右大臣に由来)は半世紀にも及ぶ一級の史料として知られる。儀式・政務について詳細が綴られており、刀伊来襲の一件も『小右記』からの情報が圧倒的である。
実資は道長より10歳ほど年長で、媚びない姿勢は日記の随所でもうかがえる。
そうした点で、隆家とは親子ほどの差はあったが距離は近かった。
既述した通り、ともに三条院派だった。藤原済時の娘せい子(三条上皇の東宮時代に入内。せいの字は女偏に成)立后のさい、公卿の多くが道長の威を憚って参列しなかったが、実資・隆家たちは参じた。
自立志向という点でも両者は共通していた。そうした関係もあってのことか、実資との情報交換は隆家の九州下向後も続けられていた。刀伊事件の詳細が『小右記』から共有できるのも、隆家から実資に戦況を伝える私信が多く載せられていたからだ。
都の状況
ところで、刀伊事件勃発の時期、都はどのような状況だったのか。参考のために『小右記』の寛仁3年(1019)3月から4月頃の記事を眺めておこう。
3月初旬に石清水臨時祭がなされたが、実資は眼病で参内を取りやめたこと、さらに中旬には東宮(敦良親王)宅から出火があったこと、数日後には道長が病んで出家したこと、さらに子息教通(頼通の弟)も腫物で悩んでいたこと、下旬にはかつて三条天皇の皇后だった藤原せい子の出家のことなどが見えている。
またこの時期、実資邸の北側の地で不審火が続発、常陸介藤原惟通の娘が焼死するなど、都大路での盗賊の放火が頻発していたこと、「当時、スデニ憲法ナシ、万人膝ヲ抱ヘ仰天ス(今は法の効力もなくなり、人々は天を仰ぎ嘆いている)」といった状況が続いていた。
4月中旬にも放火・盗賊の記事が散見、御所の北道での追剥、襲芳舎(内裏にあった御殿の一つ)や小野宮の東方での放火等も重なっていた。「連夜京中往々、斯ノ事アリ(連夜にわたり京中で不穏な事件が頻発した)」と見えている。
盤石の体制にあったはずの道長時代だったが
こうした世情不安を重く受けとめた実資はすみやかな対策を主張、道長以下の公卿と協議し、検非違使(京の治安維持を担った役職)による夜間巡回の対策も講ぜられた。
刀伊来襲はそんな状況でのことである。4月25日「刀伊国ノモノ五十余艘、対馬島ニ来着、殺人・放火」との報が実資のもとに伝えられる。
刀伊襲来の時節、実資63歳、道長54歳、そして隆家41歳のそれぞれは、時を共有しつつも異なる環境に身を置いていた。実資そして道長は持病をかかえつつも、儀式・政務をこなし、放火・盗賊の治安の悪化への対応に迫られていた。
九州にあっては隆家が予期せぬ不測の事態への対応を迫られていた。11世紀前半の外交の危機は、盤石の体制にあったはずの道長時代に不安を招くことになる。
*本稿は、『刀伊の入寇-平安時代、最大の対外危機』の一部を再編集したものです。
関連記事(外部サイト)
- <私が気づいていないとでも思っていた?>『光る君へ』次回予告。刀伊撃退の褒賞を巡って実資が怒りを爆発。道長とまひろは再会を果たすも微笑みを湛えた正妻・倫子が…
- 次回の『光る君へ』あらすじ。まひろの前で敵の攻撃に倒れた周明。一方で朝廷内に動揺が広がる中、道長が想いを馳せるのは…<ネタバレあり>
- 『光る君へ』「もう…衛門の好きにしてよいわ」タジタジの倫子。その勢いに秘められた<赤染衛門の真意>とは…視聴者「だから猫!」「地雷踏んだ」「倫子さまの顔(笑)」
- 平安時代最大の対外危機「刀伊の入寇」。400人以上が拉致、対馬・壱岐は壊滅状態に…『光る君へ』で竜星涼さん演じる藤原隆家は来襲した<賊徒>をどう迎撃したのか
- 『光る君へ』で竜星涼さん演じる藤原隆家はのちに日本を守った英雄に…あの道長が苦手とした<闘う貴族>隆家とは何者か【2024年上半期BEST】