中野翠「備忘録として作り始めた『自分史年表』大学卒業後からを振り返り、林真理子さんや三宅菊子さん、秋山道男さんとの出会いを振り返る」

2024年12月5日(木)12時30分 婦人公論.jp


「この年表は、あくまで実用本位(笑)。自分のための備忘録のようなものなんですよ」(撮影:藤澤靖子)

実用本位で自分史年表を書きはじめたという、中野翠さん。時代が放つにおい、刺激的な人との出会い、家族の思い出が浮かびあがって……(構成=内山靖子 撮影=藤澤靖子)

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手書きのメモからスタート


長い巻き物みたいで面白い、ですか? この「自分史年表」を作りはじめたのは、つい最近のことです。

70代後半ともなると、本当に忘れっぽくなっちゃって(笑)、原稿を書く際に「あれは何年のことだっただろう?」「どちらの出来事が先だったかな?」と、すぐには思い出せないことが増えてきたんです。

そういったことを確認するために、自分が過去に書いたさまざまな記事を探し出すのも億劫だし、万が一、事実と違うことを書いてしまったら、周囲にも迷惑がかかるでしょう。

だったら、これまで自分が「いつ、どんな仕事をしたか」を書き留めた年表を作っておけば、なにかと便利だろうと考えたのです。

つまり、この年表は、あくまで実用本位(笑)。自分のための備忘録のようなものなんですよ。まずは仕事のことを中心に、メモみたいに書き留めることから始めました。

私はパソコンなどのデジタル機器が苦手で、出版社に原稿を送るときは、いまも原稿用紙に手書きしてファクスしています。だから、年表作りももちろん手書き。鳩居堂の200字詰め原稿用紙を横書きにして、愛用の2B鉛筆でさらさらと。

まず、メモしたことを、それぞれの年代に振り分けていくんです。原稿用紙を1枚ずつ貼り合わせていく方式なら、いくらでも長くできるから。(笑)

年表のスタートを1968年からにしたのは、22歳で大学を卒業し、社会人としてまがりなりにも仕事をはじめた年だったから。

埼玉県浦和市(現・さいたま市)で生まれ、新聞記者の父と専業主婦の母、兄1人、妹1人というごく平凡な家庭に育ったので、書き留めておきたいような記憶はあんまりなくて(笑)。いつか少女時代のことも記録するかは思案中といったところです。

22歳で出版の世界に入ってから56年。面白いことに、あらためて文章にしてみると、当時の心境がまるで昨日のことのようによみがえってきます。

たとえば、最初の年の欄に「就職に失敗。仕方なく、読売新聞社の図書編集部でアルバイト」と書いた一文。「仕方なく」という言葉が浮かんできたのも、就職試験の最終面接で私が落ちた出版社に高校時代の友人が受かり、ちょっぴり悔しかったことを思い出したから(笑)。

と同時に、周りの友人たちは真剣だったのに、私は全然、真面目に就職活動に取り組んでいなかったなぁ、とか。

実家住まいで親がかりの生活に甘えていた当時の私は、子どもっぽくて世間知らずだったのだということにも、ようやっと気づかされました。

出会った人たちの存在もきちんと残しておきたい


もう一つ、この年表には、働いてきた私自身の歩みを記録しておくだけでなく、これまでの人生で私が出会い、多大な影響を受けた人たちの存在を残しておきたいという思いもありました。

出版社のアルバイトからスタートして、今日のように自分の名前でコラムニストとして仕事ができるようになったのも、才能あふれる素晴らしい人たちとの出会いがあったおかげです。

すでに亡くなってしまった方も多いので、当時右肩上がりで発展めざましかった出版界を担った刺激的な人たちの名前を書き留めて、次の世代にきちんと伝えていかなければいけないとも考えました。

なかでも、私のライター人生に最も大きな影響を与えてくれたのが、編集者でありエッセイストでもあった三宅菊子さん。『an・an』創刊当時からの主力ライターで、8歳年上だった三宅さんは、私の「師」と呼べる存在でした。

知人の紹介で三宅さんのアシスタントになり、私もフリーランスのはしくれとして、あちこちの女性誌で原稿を書くようになったことで、念願だった実家からの独立も実現!

その頃の出来事はこんなふうでした。「76年 赤坂9丁目の6畳和室 風呂ナシ」、「77年 三宅家の近所、飯田橋のアパートに引っ越し 風呂アリ」。

じつは、一度家出を試みて、赤坂にある家賃8000円、6畳、風呂なしのアパートで一人暮らしをしてみたのですが、家主が夜中にほかの部屋のドアを蹴ったりする酒乱だったので怖くなって、1、2ヵ月足らずで浦和の実家にもどって挫折。

翌年、三宅さんのアシスタントになったのを機に、一人暮らしを実現したのでした。

秋山道男さん、林真理子さんの名前もあります。

79年に、編集プロデューサーの秋山道男さんの事務所で一緒に仕事をすることになった林真理子さんとの出会いは、衝撃的でしたね。

目立つことが苦手な私とは相反する性格で、強烈な上昇志向がまぶしかった。そんな人に接するのは生まれて初めてのことだったので、「こんな女の人がいるのか!」とビックリし、いい意味で常識が崩壊。

そのおかげで、物書きとして自分が目指す立ち位置が、おぼろげながらわかったのかもしれません。

<後編につづく>

婦人公論.jp

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