スケート界が驚いた、高橋大輔のアイスダンス転向を導いた村元哉中の「勝負」
2023年12月6日(水)12時0分 JBpress
文=松原孝臣 撮影=積紫乃
2人で取り組む種目ならではの難しさ
2018年8月、クリス・リードとのパートナーシップに終止符を打った村元哉中は、アイスダンスをする相手を失い、「廃人でしたよ」と表す日々を過ごしていた。
いつかパートナーがみつかったときに備え、スケートをしておこう、滑っていようという気持ちは——。
「なかったです」
当時、姉の小月がタイでコーチをしていたことから、時折タイを訪ね、リンクに上がることはあった。ただ、容易に前を向けなかった。
「アイスダンスを続けたいけれどいい人がみつからないというのがいちばん大きかったです。それと、自分がほんとうに続けたいか、続けたくないかというところもありました。また大変な思いをするのか……いったんスケートから離れたいというのがありましたね」
アイスダンスに転向し、2人のパートナーとアイスダンスをする中で、2人で取り組む種目ならではの難しさも実感していた。
「お互いのバランスをどう合わせるか。例えば今日、私は100%体調がよくても相手が怪我していたり、体調が悪かったりすると本来の40%くらいがフルだったりする。そこをどう合わせるか、バランスを取るのかは難しかったですね。リフトとか技術を磨いていく分にはやるしかないんですけど、どういう風に伝えたら相手に伝わるのかコミュニケーションの部分も簡単ではありませんでした」
「大ちゃんいいんじゃない」
それでも時は過ぎる。おのずと変化も起こる。
村元は、あるスケーターを意識するようになっていた。それが高橋大輔であった。高橋は2014年の引退以来4年ぶりに復帰し、シーズンに臨んでいた。
きっかけは周囲の声にあった。
「コーチの濱田美栄先生だったり、田村岳斗先生だったり、『大ちゃんいいんじゃない』と軽いノリでしたけれどよく言っていて」
2人のコーチの言葉をはじめ、高橋の名前を耳にする中で、パートナーとして少しずつ像を結び始めた。何よりも高橋とアイスダンスをする将来は魅力的であった。尊敬するスケーターであり、アイスダンスでその魅力が発揮される可能性も感じていたからだ。
でも当の本人がアイスダンスをどう考えているのか分からないし考えなければいけない要素も少なくなかった。
「まず、大ちゃんのファンの方々がどう思うかを考えました。またシングルに復帰して1シーズン目、私も一ファンだったのでまた観られるうれしさもありましたし、戻ってきてアイスダンスをやるとなったら(高橋を指導する)長光(歌子)先生から離れることになるのも申し訳ないという思いもありました。それで最初は遠慮しちゃいました」
それでも一歩踏み出した。
「駄目だったら駄目でいい、なによりも聞いてみたいという思いがありました」
やってみたいと思わせるしかない
コンタクトをとり、2019年1月、村元は高橋と会った。
「カフェで会いました。私はめっちゃ緊張していましたが、『大ちゃんとアイスダンスをやってみたい。でもオリンピックには興味がない。とにかく滑ってみたい』と伝えました」
高橋はこう答えたという。
「俺も興味はあるけど、考えさせてほしい」
村元は続ける。
「『分かりました』と答えました。びっくりしていたのを覚えています。とにかく返事を待ちました」
3月には7月に予定されていた舞台「氷艶」出演のオファーが舞い込み、やがて公演へ向けての準備が始まった。
「でもなかなか返事が来なくて、連絡して『もう1回会おう』となりました。会ったら『やってみたい気持ちはある』ということで、1回トライアウトをしようという話になりました」
7月、「氷艶」の合宿で新潟を訪れた。
「誰にも知られないよう、早朝に貸切をとっていただいてトライアウトの日を迎えました。びっくりしたのがアイスダンスの靴を用意していて、エッジもつけていたことです。『いつの間に?』と驚きました」
そしてトライアウトは始まった。
「私にとっては勝負でした。とにかくやってみたいと思わせるしかない、そこでいいやと思われたら終わりだったので。貸し切りの1時間、覚悟して滑りました」
貸切が終わる頃にはリハーサルの時間が迫っていた。
「すぐに撤収してもう何もそのことに関しては話さなかったですね」
それから3日ほどが経った。
「『ちょっと哉中ちゃん、話そう』と。新潟の、あれは川沿いなのかな、土手みたいなところで、『やってみたい』、と。びっくりしすぎて何もリアクションできなかったというか、めっちゃ冷静な感じになってました(笑)。
先生を誰にしようかと大ちゃんと悩んでいて、何かのタイミングでマッシモが日本にいたんですね。マッシモに『大ちゃんと滑ることになったけれど』と相談したら『マリーナがいいんじゃないか』と言っていただいて」
村元はマリーナ・ズエワのいるフロリダを訪れた。
「『新しいパートナーがみつかったので、戻りたいです。いいですか』と相談しました。相手が誰なのかを尋ねられ、大ちゃんであることを伝えると驚いていましたね」
アイスダンスに一から挑んだ高橋と村元の2人は、結成2シーズン目にして四大陸選手権で日本アイスダンス最高成績となる銀メダルを獲得し世界選手権にも出場。2度目の出場となった今年3月の世界選手権では日本最高タイの11位の成績をあげた。また活動の中でリズムダンス、フリーダンス、総合得点のいずれでも日本歴代最高得点を残している。
3シーズンの活動は、ただただ、鮮烈な輝きに彩られた。今年の世界選手権はさいたまスーパーアリーナで行われたが、国内で開催される大会ではかつてないほどアイスダンスに観客が詰めかけたのは、2人の存在あればこそだった。
今年4月、世界国別対抗戦を経て、5月、競技生活から退くことを発表。
「最高の終わり方でした」
村元は言う。
そこにはやりきったという思いと、高橋への感謝の念が込められていた。(続く)
村元哉中(むらもとかな) 5歳のときスケートを始める。シングルのスケーターとして活動したあと2014−2015シーズン、野口博一をパートナーとしてアイスダンスに転向する。2015年6月、クリス・リードとカップルを結成し、2018年平昌五輪に出場。2020−2021シーズンよりシングルからアイスダンスへの転向を発表した髙橋大輔と新たにカップルを結成。2022—2023シーズンの全日本選手権で優勝し、世界選手権では日本歴代最高タイの11位。2023年5月に引退、プロフィギュアスケーター・アイスダンサーとして活動を始める。
筆者:松原 孝臣