『源氏物語』22歳の源氏と結ばれた14歳の紫の上。まだ幼い紫の上は<結婚>について誰からもきちんと教えてもらっておらず…
2024年12月12日(木)11時24分 婦人公論.jp
(写真提供:Photo AC)
現在放送中のNHK大河ドラマ『光る君へ』。吉高由里子さん演じる主人公・紫式部が書き上げた『源氏物語』は、1000年以上にわたって人びとに愛されてきました。駒澤大学文学部の松井健児教授によると「『源氏物語』の登場人物の言葉に注目することで、紫式部がキャラクターの個性をいかに大切に、巧みに描き分けているかが実感できる」そうで——。そこで今回は、松井教授が源氏物語の原文から100の言葉を厳選した著書『美しい原文で読む-源氏物語の恋のことば100』より一部抜粋し、物語の魅力に迫ります。
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紫の上の乳母子の言葉
<巻名>葵
<原文>あだなることは、まだならは(わ)ぬものを
<現代語訳>浮気なんてことは、まだ知りませんのに
源氏とともに一夜を過ごした、ある朝のこと、紫の上はいっこうに起きてきません。源氏は紫の上の枕もとに、そっと手紙を置いていきます。
紫の上がその手紙の歌を読むと、そこには紫の上との結婚がようやく実現したことへの、満ち足りた気持ちが歌われていました。
源氏が22歳、紫の上が14歳ほどのことです。
平安時代の結婚の習俗
当時の結婚は、一族の家長同士が、それぞれに最適な結婚の相手を選んでおこなわれる、とても公的なものでした。
しかし、源氏と紫の上の間には、そうした表だった関係はなく、親子のような、兄妹のような、仲のよい間柄でした。
そんな関係の延長としての結婚でしたから、紫の上にとって、この結婚はとても意外なことでした。
紫の上には、なんの心の準備もなく、結婚については、誰からもきちんと教えてもらっていなかったのでしょう。
三日夜の餅
源氏は惟光(これみつ)を呼んで、三日夜(みかよ)の餅の準備をさせます。結婚三日目の夜に、新婚の夫婦がお餅をともに食べる習慣があり、これを三日夜の餅といいました。本来は、同じものを食べることによって、家と家とが結びつき、同族となる公的な儀式です。
惟光は源氏の乳母子(めのとご)です。当時は高貴な貴族は、乳母(めのと)によって育てられました。
(写真提供:Photo AC)
乳母子は、その乳母の子であり、主君が乳児のときからともに育った乳兄弟です。
惟光は三日夜の餅を、紫の上の乳母の娘を呼んで渡します。弁という、紫の上の乳母子です。
惟光は「これは祝いのお品です。おろそかに扱ってはいけませんよ——あだに、なさるな」と言葉をそえます。
それを聞いた弁の応えが「あだなることは、まだ習わぬものを——浮気なんてことは、まだ知りませんのに」でした。
「あだ」は、いい加減、軽率という意味と、男女の間の移り気という二つの意味があります。
異例だった結婚
源氏の乳母子と、紫の上の乳母子の会話ですが、それぞれの主君や姫君の気持ちがよくあらわれています。
源氏はこの結婚を少しでも公的なものにしたいと思い、一方の紫の上は、まだ状況がのみ込めていないのだと、幼さを主張しています。
もっともこのとき、紫の上の乳母である少納言の乳母は、源氏からの敬意のこもった心遣いに、涙を流して感謝するのでした。
少納言の乳母は、源氏がこれほどまでに、紫の上を大切にしてくれるとは思っていなかったからです。それくらい、二人の結婚は異例なことでした。
平安時代にはありえなかった、私的な愛情だけで結ばれる、新たな結婚のスタートです。
※本稿は、『美しい原文で読む-源氏物語の恋のことば100』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
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