司馬遼太郎の小説『関ヶ原』「著者」が登場する冒頭をどう受け止めるべきか?

2023年12月21日(木)6時0分 JBpress

(歴史家:乃至政彦)


歴史小説家の嘘

 今月某日、都内で友人たちと雑談に興じた。

 話題は珍説・奇説を広めておられる小説家たちのことに及んだ。

 みんな否定的ではない。

 私はそのロールモデルの1人として、作家・八切止夫(1914?〜87)の名前をあげた。日本ならではの歴史異説ブームは、彼の独自性によるところが強いと思っていた。

 すると、ある友人は「みんな忘れがちなことだが、八切氏が増産したトンデモ説は、彼はそれを小説という形の範囲を守っている」という趣旨の指摘をされた。

 一部の作家が「小説家」の肩書きを使い、小説ではない場で放談をされているのは、八切流と違うというのである。

 この点、言われてみるまで本当に忘れがちだったことに気づいた。

 確かに小説の中でなら、どのような嘘をついても大きな問題はないと私は思う。ただし、これからはそれも許されなくなっていくかもしれない。

 八切作品が小説の範囲で、小説とは思えない技法を(意識的にか無意識にかはわからないが)使ったことで誤解され、その作り話をひとつの説であるかのように、Wikipediaで紹介されているものもある。これに驚いた人が小説の嘘は有害だと声をあげるかもしれない。

 これについて是非を唱えるつもりはないが、考えるための材料として、今回は、小説で許されてきた嘘の範囲について、少し話をしてみたい。


司馬遼太郎『関ヶ原』の書き出し

 司馬遼太郎の小説『関ヶ原』(新潮社、1966・新潮文庫、1974)の導入部は、昭和の作家ならではの書き出しで、とても名文に思う。

 引用するので、一読してほしい。

 いま、憶(おも)いだしている。

 筆者は少年のころ、近江国(おうみのくに)のその寺に行った記憶がある。夏のあついころで、長い石段をのぼって行った。何寺であったかは忘れた。

 寺の縁側にすわって涼(りょう)を入れると、目の前に青葉が繁(しげ)っていたことが、きのうのようにおもいだせる。そのむこうにひろびろとした琵琶湖畔(びわこはん)の野がひろがっていた。

「わしがいますわっているここに」

 と、私どもをここまで連れてきた老人が、縁側の板をトントンとたたいた。老人は、身ぶり手ぶりをまじえて、私ども少年たちに寺伝の説明をしてくれた。

「太閤(たいこう)さんが腰をおろしていた。鷹狩(たかが)りの装束(しょうぞく)をなされておった。その日も夏の盛りでな。きょうのように眼に汗のしみ入るような日中やった」

 と、老人は汗をぬぐった。

 司馬遼太郎の文体は、「自転車こぎだし文体」とも呼ばれている(清水義範『大人のための文章教室』講談社現代新書、2014)。

 自転車を漕ぎ出すように短い文章で情報を小出しして、徐々にこれを加速させることで、作品世界にワープさせるわけである。ある程度進んだら読者の視界は安定していく。


小説世界の著者体験談

 司馬遼太郎は、この先を次のように続けている。

 町のおとなたちはこのひとを「かいわれさん」と呼んでいたが、なんという姓のひとだったかは、その当時から知らなかった。

 老人は、洋日傘(ようひがさ)と、扇子を一本もち、糊(のり)のきいたちぢみのシャツとズボン下の上に、生帷子(きびら)の道服じみたものを一枚身につけている。

 この一文は、内容となんの関係もない。

 老人が「かいわれ」さんと呼ばれていたことなど、読者にとってどうでもよく、本作の最後までまったく意味をなさない情報である。だが、あえてこうした蛇足をここに加えているのは、この体験談が、あたかも「著者」にとって思い入れの深い──つまり実体験であるような──印象を醸し出し、真実味を与えるスパイス効果が大きい。これが司馬の狙いだろう。

 ここにこんな嘘(と決めつけさせてもらおう)を挟み入れるのは、司馬の狡賢さであり、あるいは良心でもある。

 しかも次の行で、「茶を所望じゃ」と、同寺に立ち寄った豊臣秀吉のセリフが現れる。そしてこの先、「老人」と「著者」が、作品世界に再登場することはない。

 ここで語られた「著者」の体験談は、“ここから先は異世界だよ”というゲート役を果たしているだけであって、導入以上の目的は何もない。

 この先、読み進めていくと、実際こんな体験談はどうでもよくなっていく。

 ここには自転車のこぎだしだけではなく、我々を現世界から異世界へと旅立たせる魔法の翼がある。


作中に登場する著者の体験談

 それにしても歴史小説に「筆者」自身を登場人物させるのは、とても大胆である。

 たぶん令和の作家は同じことを気軽にはできないだろう。

 読者の目がそれだけ厳しくなっているからだ。

 試しに現役の歴史小説家を誰でもいいから思い浮かべてもらいたい。

 そしてその先生が、「筆者はある史跡でこんな体験をした」と、物語の入り口に都合のいい昔語りを挿入させて、あなた自身がこれを信じるかどうかを想像してみてほしい。

 ここに今の歴史小説にとって、司馬の文体と技術はもはや模倣できない禁じ手となっていることが理解されるであろう。

 こういう手法を今のクリエイターがやれるとすれば、エッセイストがギリギリであろうか。

 だが、エッセイ漫画家である犬のかがやき氏は、作中人物に「導入部や関係性の説明の部分を多少都合よく変換する」ことは、エッセイストならよくあることだと言わんばかりに風刺的に描写している(「イヌ・ゲーム7」)。

 こういう懐疑的な視点がすでに発せられている以上、エッセイストもおいそれと手軽には使えなくなる未来が見えてくる。


司馬遼太郎の自転車こぎだし文体

 ちなみに今回の冒頭での「友人」や「雑談」が実在するかどうかは、どうやっても読者に証明できない。記憶違いや、読者に読みやすいよう工夫している可能性もあると考えておくべきである。「友人」へのプライバシーの配慮も視野に入れておくのが望ましい。

 文章は書き手個人だけでなく、受け手との対話をもって完結する。司馬遼太郎が作品に嘘を織り交ぜていたとして、それをどう受け止めるかは、我々の責任でもある。

 そもそも小説とは文字通り、取るにならない小さな説のことである。だから、嘘と事実を明確に書き分ける責任などない。そこを忘れてしまっては、フィクションをフィクションとして楽しむことは難しくなるであろう。

 騙されるか騙されないか、その境界を危うく渡っていくところに、フィクションの醍醐味がある。


余話として

 本題から話は逸れるが、余談を加えておこう。

 昭和のフィクションには、司馬遼太郎の手法などかわいいものだと思えるぐらい作り物のエビデンスを添えた説明が当たり前に使われていた。

 これは、映画『キングコング対ゴジラ』(東宝、1962)の生物工学博士の「重沢博士」(平田昭彦)が好例となるであろう。

 氷山に7年間も閉じ込められていたゴジラが、海面温暖化によりこれを突き破り、活動を再開しはじめると、「ゴジラは冷凍冬眠の状態で生きていたのだ」といい、「ニューメキシコでも200年前の地殻から、ずっと冬眠を続けていたとしか思えない蛙が発見されている」と、エビデンスを持ち出して説明する。ところがそんな「発見」は、実在していないらしい。

 また、亜細亜通信の記者から「日本に来る危険はあるでしょうか」と質問された重沢博士は、「来るね、必ず日本にやって来る──。いや、戻ってくると言った方がいいかな」「戻る?」「そう。動物がみんな持ってる帰巣本能、つまり生まれた巣は忘れないっていう本能だよ」と、顔色も変えず確信的に返答する。

 そして「重沢博士の予言」が的中して、宮城県北東部からゴジラが上陸。ついでキングコングも千葉県東海岸から上陸。

 重沢博士は、キングコングがゴジラのいる方面に急速移動をすることについて、「キングコングが動物本能によってゴジラの存在を知り、接近してるのであろう」などと、これまた都合のいい説明をする。

 しかもこうした説明はどんどんエスカレートする。

 100万ボルトの高圧線に触れたキングコングが「高圧感電のショックで帯電体質になった」時、驚いた記者が「そんなバカなことってあるんですか」と半ギレ気味に尋ねると、重沢博士は「スイスにあった実例だが、ある郵便配達員が落雷に打たれてね。運よく助かったんだが、彼の体は蓄電池みたいになったことがあるんだ」と、多分実在しない「実例」を持ち出して観客を驚かせる。

 もはや笑うしかあるまい。実に「小説」的だ。

 このようなエビデンスまがいを多用していたのが昭和のフィクション群だ。民明書房、ミノフスキー粒子、ヘビー・スモーカーズ・フォレスト、ファンタジーハンバーグ問題など、まだまだかわいいもので、司馬遼太郎の作り話ですら、取るに足らないものに思えてくる。

 とはいえ、司馬のやり方は昭和でもギリギリだったのだろう。だから、今でも議論になる。昭和フィクションのエビデンス創作は、その時代ならではの離れ業だったのかもしれない。

【乃至政彦】ないしまさひこ。歴史家。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(ともにJBpress)、『謙信×信長 手取川合戦の真実』(PHP新書)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中。現在、戦国時代から世界史まで、著者独自の視点で歴史を読み解くコンテンツ企画『歴史ノ部屋』配信中。

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筆者:乃至 政彦

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