専業主婦になった彼女と「働きバチ」の私…それぞれが失ったもの【均等法30年史・2】

12月26日(月)10時44分 弁護士ドットコム


1986年に男女雇用機会均等法(以下、「均等法」)が施行され、2016年でちょうど30年を迎えた。連載の第1回(https://www.bengo4.com/c_3/li_436/)では、地方出身の女性が、東京でどう生き残ったのか、その奮闘を追った。第2回目では、管理職としての肩書きを得た女性が、何を得て、何を得られなかったのか。切実な声をお伝えしたい。(ルポライター・樋田敦子)


●「妊娠・出産でキャリアが分断されなかったら・・・」


ひとつの会社で仕事を続け、現在部長職の肩書きを持つ石川紀子さん(53歳)=仮名、メーカー勤務=は、先日再会した5年先輩の山田涼子さん(58歳)=仮名、専業主婦=から言われた言葉が忘れられない。山田さんは、社内初の総合職に抜擢された初の女性社員。慶應義塾大学卒で、同期の中でも際立って優秀な社員だったという。


「そんな先輩が、会社を辞めたことを今でも後悔しているというのです。退職は妊娠が理由で、当時、35歳。高年齢出産はその頃30歳でしたから、やっとできた子なので家族から仕事を辞めるように促されたということでした。『あなたが管理職になってうらやましい。妊娠・出産でキャリアが分断されなかったら、今はどうなっていたかと思うの』と話しました」


同じ部署の先輩、後輩だった時代に多くのことを涼子さんから学んだ。紀子さんは、彼女が辞めるとき、正直「もったいないなあ」と感じたという。しかし、出産しても海外出張の多い夫が育児を手伝ってくれるはずもなく、遠方に住む両親の手は借りられず、泣く泣く退社した。


●離婚、そして乳がんに・・・


石川さんとて、順風満帆な働く女性人生を歩んできたわけではない、朝夜なくがむしゃらに働いてきて、夫との離婚も経験した。「一緒にいる意味ないでしょ」と夫は告げた。子どもがいなかったので離婚は簡単に成立した。


その後は今までにも増して仕事にのめり込んだ。海外赴任も経験しある意味、エリート街道を走ってきたが、40代半ばで乳がんにかかった。


「両親はすでに介護が必要な年齢に差し掛かっていたので、心配させないように入院から手術まで、すべて一人でやりました。一生懸命仕事をしてきて、なんでガンなの。神様はなんて冷酷なんだと病院のベッドで泣きました」


病気になってからは、少しずつ働き方を変えた。無理をしない、一人で仕事を抱え込まないで部下に振った。規則正しい食事を心がけ、有休も積極的に消化した。効率の上がる働き方を考えて朝型にシフト。その結果、部署の売り上げを倍増。部長職に就いた。


「夫がいて、子どもがいる専業主婦と、夫も子どももいない働きバチの私。どちらがいいか分かりません。でもどちらでも選択できる世の中であってほしいと思います」


保育園待機児童の問題など、女性が働きやすい環境を整備しないと、出産後も働く人は増えない。それとともに、一度は妊娠・出産でキャリアを分断されても、それを救い上げ、再構築できる企業側の姿勢も必要だろう。


【著者プロフィール】


樋田敦子(ひだ・あつこ)


ルポライター。東京生まれ。明治大学法学部卒業後、新聞記者として、ロス疑惑、日航機墜落、阪神大震災など主に事件事故の取材を担当。フリーランスとして独立し、女性と子供たちの問題をテーマに取材、執筆を続けてきた。著書に「女性と子どもの貧困」(大和書房)、「僕らの大きな夢の絵本」(竹書房)など多数。


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