原則は「恨みっこなし」 江戸の仇討ちは厳格なルールが存在

12月26日(月)7時0分 NEWSポストセブン

「仇討ち許可証」入手で合法的な復讐が可能に

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 元禄赤穂事件(忠臣蔵)に象徴されるように、「仇討ち」は日本人の琴線に触れるものがあるようだ。しかし江戸時代の仇討ちには厳格なルールがあった。江戸東京博物館名誉館長で歴史学者の竹内誠氏が解説する。


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 尊属を殺害した者に対する“私刑”として復讐を行う仇討ちは、江戸時代には幕府公認の制度となった。討ち手が藩領の者なら、まず藩に届け出る。理由が幕府によって検証され、仇討ちが認められると、帳付けといって情報が記録されて、そこではじめて討ち手は藩を離れて移動することなどが許されたのである。


 仇討ちは長幼の序があり、子が親の仇を討つなど主に血縁関係がある目上の親族のために行われ、その逆は認められない。その他、討ち手と仇人には「恨みっこなし」が原則で、仇人の遺族が討ち手に対して仇討ちをする“重敵”や、返り討ちにあった討ち手の遺族が仇討ちをする“又候敵討ち”は禁止。仇討ちの連鎖は許されなかった。仇討ちをして良い場所も決められており、廓内や寺社仏閣などの境内では禁じられていたのも興味深い。


 本来なら自分の手で討つべき仇が、何らかの事情で公権力に捕縛され処刑される場合に、討ち手が斬り手を願い出るケースもあった。これは“太刀取”と呼ばれた。事前届け出制で細かいルールが定められたのは、強盗目的などの殺人で「実は親の仇だった」などと申し開きをするのを防ぐ目的もあった。その他にもこんなルールが存在した。


【1】「仇討ち許可証」入手で合法的な復讐が可能に


 公的に認められた殺人であることを証明するため、また他藩へスムーズに移動するため、仇討ちには許可証が必要となる。評議は「勘定奉行」「寺社奉行」「町奉行」の三奉行が行い、認められれば公儀御帳に「帳付け」が行われる。仇討ち後は捕縛されるが、「帳付け」で仇討ち事案と確認後、無罪放免に。


【2】「助太刀」が女子供の代わりに仇を討つ


 討ち手が女性や子供で、仇を討つことが難しい場合には、他者の力を借りることが認められていた。助太刀も、藩や奉行所へ許可を求める際に申請が必要だった。


【3】「女敵討ち」は不名誉な仇討ちだった


 妻が寝取られた際に姦通相手と妻を討つこと。姦通が発覚した際の女敵討ちは武士にとっての義務だったが、不名誉なことであったために公にしないこともあった。


【4】「後妻討ち」で女の無念を晴らす


 夫が妻を離縁して1か月以内に後妻を迎えたとき、前妻が予告した上で後妻の家を複数の仲間と共に襲い家財を破壊するもの。前妻の顔を立てるために行われていた儀礼的な風習。


【5】「さし腹」を迫られれば断れない


 敵を指名して腹を切り、相手に腹切を迫る復讐法。指名された側が切腹を拒むのは「武士の恥」とされた。


◆文/竹内誠(江戸東京博物館名誉館長・歴史学者)



◆取材・構成/HEW(大木信景、浅野修三)


【PROFILE】たけうちまこと/1933年東京都生まれ。東京教育大学大学院博士課程修了文学博士。信州大学助教授、東京学芸大学教授、立正大学教授を経て、現在、徳川林政史研究所所長、江戸東京博物館名誉館長などを務める。主著に『江戸社会史の研究』(弘文堂刊)、『元禄人間模様』(角川書店刊)、『春夏秋冬 江戸っ子の知恵』(小学館刊)など。


※SAPIO2017年1月号

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