池上彰・増田ユリヤが語る教育「後進国」日本のこれから
2017年12月27日(水)18時15分 リセマム
いじめへの対応や主体的・能動的な学びの推進といった教育現場の課題から、世論によって大きく方針が変わる日本の教育方針までをおもなテーマに、フランス、フィンランド、ベネズエラの教育プログラムを参考にしながら、およそ70年にわたる日本型教育の功罪を読み解く。日本の教育が打つべき「次の一手」のヒントは海外教育にある、とするふたりに、児童生徒だけでなく、先生や保護者が抱える課題とこれからについて聞いた。
多忙な先生…模索する保護者との関わり方
--今回の新著、「偏差値好きな教育“後進国”ニッポン(ポプラ新書)」は、前著「突破する教育(岩波書店)」発行の2013年から4年を経て再編集された一冊ですね。今回の新書を拝読しても、学校の先生の多忙さが目立っているように感じます。
池上氏 :かつて文部省、いまの文部科学省を担当していた記者としての経験から言いますと、たとえばいじめなどの問題がおきると、すぐに文部科学省、都道府県の教育委員会、市町村の教育委員会など、それぞれの教育委員会レベルが学校に調査報告の依頼をかけます。何かあるとすぐに調査したり、報告をしたりと、教育現場にはさまざまな“しめつけ”があります。
学校内で新しいことを始めるには許可をとるとか、起案するとか、企画会議などがあったりして、会議が終わったら次は報告書を書く…ということでもう、先生たちは忙しい。子どもたちのようすを見るとか、どうやって教えるかを研究する時間がなくなってしまって、本来の「教える」ということ以外の仕事が多くなりすぎてしまっているのかな、と思います。フィンランドなんかを見ると、学校の先生が教えることに専念できるでしょう。
写真:インタビューに答える池上彰氏
増田氏:それはそうですね。先生は学校の授業と、子どもに向き合うことだけに専念すればよくて、それと、私生活を大事にすることがイコール子どもたちの教育にもいい影響を与えると基本的に考えています。そういったところから、子どもたちに生きた学びを提供できると考えています。しかし日本の場合、保護者からの要求が多大に、過大になっていることで先生方が忙しくなり、それが難しくなっていると感じています。教育委員会も、保護者から何か言われたときの対策をマニュアル化していますが、取材中に「自分たちの仕事ができるようになるのは5時以降よね」という話を聞いたこともあります。
学校の授業時数が、2000年の学習指導要領改訂を境に減らされたあと、増やす方針に転換された際(編集部注:それぞれ1998年と2008年の改訂)、東京23区のある区では、水曜日の授業が終わる時間が午後3時台になり、保護者から「うちの子の塾に間に合わないじゃない、どうするのか」との声があったそうです。
学校が保護者の声にどのように応え、どこに判断の基準を置くのか、きっちり線引きしていくのかどうかということが、わかりにくくなってきています。塾にいろいろ任せるという話もありますが、塾のために学校の授業を変えるのは、一体どういうことなのかと感じています。保護者の声や教育委員会の声などに、現場の先生がわたわたさせられる、ということが起こっていますね。
保護者には保護者の悩みあり
池上氏:わたしの知り合いの奥さんも学校の先生をやっているんだけど、入学式の日に保護者の方から携帯番号を教えて、と言われることもあるんですって。深夜だろうと、早朝だろうと、いろいろ連絡がくるんだって。教えてくださいって言われて、教えられませんとは言いにくいですよね。深夜でも携帯への連絡に対応しないといけない妻はかわいそうだって、知人は言っていましたよ。
--最近はLINEでの連絡も増えていますね。
増田氏:わたしの友人である保護者は、LINEができなかったのですが、保護者同士の連絡も何でもすべてLINEでやるから、LINEができないと保護者失格、だっていうんです。
池上氏:現代版「村八分」ですね、LINEはずしだ。
増田氏:だから、やるしかないですよね。連絡が自分に入ってこないから。保護者は保護者で、いろいろなことに参加する難しさはありますよね。保護者が出過ぎると、「出る杭は打たれる」と保護者間でなりますので、やりづらい。
たとえば、保護者会で仕事をするとなったら、誰がやるのか、誰が立候補するのか、となる。みなさん忙しいのは同じだから、無理のないところでやると合意できるクラスで、集まった保護者の方たちで仲良くできればよいのですが、やはり複数の保護者が集まりますから、子育て中だったり、介護中の保護者、働いている方もいろいろあるわけじゃないですか。そういった場合は、みなさん大変なことを合意のうえで進められればいいのではないかと思いますね。
どの国・教育現場も悩む「いじめ」という課題
--本書では、変わらない日本の教育の課題として「いじめ」への対応もあげられていますね。子どもたちのいじめについては、加害者側でも被害者側でも、我が子がいじめに関わっているのではないか、と不安な保護者もいらっしゃると思います。保護者はどのように関わっていけばよいでしょうか。
写真:27年にわたり、高校で世界史・日本史・現代社会を教えた経験を持つ増田ユリヤ氏
増田氏:わたしがその答えを出せればきっと何の問題もないのだと思いますけど(苦笑)、ある意味、教員が開き直るということも大事なのかと思っています。わたしも実際に、担任ではないけど、新人教員2年目、3年目のころに授業をしていたクラスでいじめがあったんです。よってたかって一人の女の子を攻撃していましたから、いじめは周知の事実なんですね。
見て見ぬふりをしている先生が大半で、わたしが職員会議でいじめについて発言したら、「君の指導力のなさが露呈することになる」と言われたことがあります。先生の間でも、面倒くさいことを排除したいということが、ないこともないんだと思います。
いじめられていた子からその後、「あのとき死のうと思ったけど死なないで良かった、今は専門学校に通っていて楽しい」と連絡がありました。いじめという問題については、腫れ物にさわるようになることもありますが、真剣に向き合わないといけないんだなと思った事件でした。
正直な気持ちをぶつける、ということは、今はしないような気がするんです。どこまで正直になれるか、というのもあるのですが、学校に限らず、最近はそういうことが足りないのかなと思います。家庭でもそのような気がします。口をきかなくても済みますからね(笑)。子どもがどこまで話してくれるかな、というのが大事ですね。だからこそ、子どもには親のほかになんでも話を聞いてもらえるような第三者がいることが大事ですよね。
池上氏:だから保健室に行って、担任の先生には言えないけど、保健室の先生になら話せる、となるわけですね。
学校はいじめを隠したがる?いじめ定義の変更
--報道を見ていると、学校はいじめがおおごとにならないよう隠す体質がある、とする意見もありますね。
池上氏:わたしがまだ文部省をもっているころに、東京都中野区の中学校でいじめ事件が起きて(編集部注:池上氏がNHK社会部で文部省記者クラブに所属していた1986年)、文部省がいじめの件数を初めて都道府県ごとに出しました。
全国でものすごい差があって、すごくあるところと、ほとんどありません、という県があった。つまり、発生件数がほとんどない県は、いじめを見て見ぬふりをしたり、何の対策もしていなかったり、単に気づかなかったりして件数が少ない。対策をちゃんとしているところは件数がはねあがる。そこで、「そうじゃない、こういうのがいじめというんだ」と文部科学省が基準を作って、ようやくいじめの件数が増え始めた。だから、いじめが増えているのではなくて、前からあったものを、認知する件数が増えたんだ、ってことですよね。最近は単に、からかいもいじめに入りますとなったとたん、件数がはねあがりました。
--いじめの定義は「発生件数」から「認知件数」に変更されたということですね。数字や報道量が増えると、いじめが多くなったように感じますが、一方でいじめを隠すのではなく、先生方の意識も変わってきている可能性が指摘できるのですね。
公立vs私立
--いじめのほか、保護者の心配ごとのひとつには公教育と私学の差があります。都内は中学受験を考える家庭もありますが、公立校での学びの内容や質には多くの保護者が関心を寄せています。
増田氏:わたし自身の個人的な考え方でいうと、公立の学校が充実していることが一番だと思うんです。たしかに、ただ教えるだけのテクニックに収斂(しゅうれん)すれば、塾の先生のほうがうまいのかもしれません。でも、学校に何を求めるのかということもありますよね。
池上氏:公立校のレベルは低くないですよね。公立はいま、がんばっていますよ。なんとなく「私立のほうがいいんだ」というイメージがありますが、生徒が一定程度のレベルの学校なら、結果的に進学成績はよくなりますよ。私立の場合、問題のある先生が何年も学校に居続けるという場合もあります。
増田氏:子どもは本当にひとりひとり違いますから、私立の場合は、音楽に長けた教育をしてくれる、子どもの才能を伸ばす教育をしてくれる、などの理由で選ぶ意義や意味があります。ただ、受験をさせて学校に入ると、同質な子が集まっていますから、同質でない子を理解できるとか、考えるその気持ちを持てるのかな、という疑問はあります。
花開く「ゆとり世代」
--公教育を不安視する声は、ゆとり教育が話題を集めた当時に強くなりましたね。
写真:池上氏がNHKの首都圏ニュースをキャスター、増田氏が横浜放送局のニュースリポーターだったころからの付き合いのふたり
池上氏:特に言いたいのは、ゆとり教育が始まったとき、大人たちが「円周率は3.14が3になるんだ」って、勘違いした。もうひとつは、台形の面積。三角形の面積を学ぶなかで結果的に台形の面積も求められるようになっていたのに、台形の面積は学校で教えなくなる、と思いましたよね。テレビでよく「ゆとり世代は円周率は3だから…」なんて言いますけど、あれは勘違いです。ゆとり世代も、3.14でやってたんですよ。
増田氏:先生の裁量によると思います。学校で教える、教えないっていうのは。学習指導要領を熟読している先生はどこまでいるのか、ということに繋がりますから。
池上氏:そうそう。
増田氏:大抵の人は今までの教え方を維持しますから、学習指導要領の内容に沿って(教科内容の一部を)外す、外さないっていうことは、テストの問題を作るときに話題としてでてきたり、保護者や生徒から指摘されてはじめて問題化するものであって、割合、硬直したものだと思いますよ、授業って。
池上氏:最近、若い人たちがスポーツなどでも活躍しているでしょう。あれはみんな、ゆとり世代ですからね。ゆとり世代は学力がないんだっていう一方で、活躍を始めたらゆとり世代だって、誰も言わないんですよね。授業時間が減ったり、「総合的な学習の時間」があったり、幅広くいろんなことをやれるチャンスが生まれて、それが花開いたんだと、わたしは思っていますよ。
どうなる?2020年からの日本型教育
--いよいよ新学習指導要領の本格実施が迫っています。プログラミング教育の必修化や英語教育の早期化、教科化が話題です。
池上氏:学習指導要領については、文部科学省の諮問機関である「中央教育審議会(中教審)」というところが、10年ごとに専門家による会議を開いて「教育の方針をどうするか」、とやるわけです。話題のプログラミング教育は、第一次安倍政権の時に「ITをやんなきゃいけないんだ」という流れになって、取り入れられたものですね。
英語については、英語の専門家の鳥飼玖美子(とりかいくみこ)さんが小学校からの英語教育に反対していますよね。英語の授業をやるのはいいですけど、その分、ほかの授業を減らさなきゃいけないでしょ。国語を削ったら本末転倒ですよ。要するに、母語がきちっと喋れなくて、母語で物事を考えられないような人間が、英語で何ができるんですか、っていう話です。
増田氏:英語に関してはそのとおりだと思います。言葉で表現できないことが、感情の不満をためるんです。
池上氏:あぁー…。
増田氏:それが、暴力行動になる、というのは心理的にあると思います。だから、思いをうまく伝えられないと、手が出るというのは、なきにしもあらずだと思います。
池上氏:思い出した。小学校のころ、すぐに手がでて、乱暴するやつがいたんだけど、自分の言葉で表すことができなかった。
増田氏:下手な子っているんですよね。これまで不登校の子の取材とか、いろいろなことで問題を起こした子の話を聞いているなかで、子どもが自分の言葉で話すことを繰り返し聞いてあげることで、子どもの不満は解消されるという気がしています。感情を溜め込み、それを言葉にできないとなると、今度は行動に出る。だから、英語と日本語が中途半端になると、都合のいいことはどちらかの言葉で言うけれど、それ以上のことは言葉で表現できない…という状況になることがありますね。
いくら英語ができようと、日本の作法や表現など、英語で話すのに求められる力は、日本人としての素質に関する内容が多くなる。海外に行って思うのが、大学から留学をしてそのまま向こうの生活に入られて時間が経った方は、大学生の日本語のままなんですよね。
池上氏:政治家たちが海外に行ったら、夜に立食パーティなどがあるわけです。そこでは、昼の話、つまり政治の話をしてはいけないんです。ご法度です。そうすると、趣味や教養を語ろうとするんですよね。そこで喋る内容がないことの責任を、英語教育になすりつけているんだと思いますけどね。あれは、英語が喋れないんじゃない。英語で喋るべき内容を持っていないんです。海外に行って一番大事なことは、日本のことをどこまで知っているかということなんですよ。
増田氏:わたしが質問を受けるなかではよく、靖国問題についてどう思うかとか、日本は右傾化しているのか、といったことです。そういったことに対しても、英語で答えられるような教養とか、自分の国について知っていることのほうが、大事だということですね。
池上氏:そういうこと。自分の国のことを知っていれば、いくつか単語を並べれば伝えられるんだもん。日本に生まれて、日本に育っているんなら、使う日本語をきっちり学びましょう。そこにはいろいろな言葉があるでしょう。熟語にしても、背後には日本の歴史とか、日本と中国との関わりとか、そういうのがあってはじめて日本語が成立しているわけです。二十四節気の言葉とか。それを何のことかわからない、ということにならないように、ということです。
ホントは「教育先進国」 多くのものさしを持とう
--2020年とその先に向けて変容を迎える日本の教育のなかで、お子さまの学びや育ちを支える保護者に向けたメッセージをお願いします。
増田氏:日本の中学生は今、高校にほぼ100%進学します。義務教育が済んだところで、大半の子どもは読み書きできるし、新聞も読めるし、そういう力を義務教育の段階で身に付けられるということは、これまできっちりと教育が積み重ねられた結果なんですよね。生真面目な性格なんですよね、日本人って。「もっともっと!」「もっと勉強をできたほうがいい」「上を目指したほうがいい」という、国民性のようなものがあるんだと思いますけどね。
池上氏:だから言いたいのは、日本は「教育先進国」なんですよ。なんだけど、日本の教育は遅れているとか、だめだ、みたいなことをやると本が売れるもんだから(笑)、結局そう思い込んじゃう。本当はすばらしいのに、だめなんだと思い込んでいる。そして何を基準にするかというと、偏差値という唯一絶対のはかりだけで物事を考えてしまう、これは教育 "後進国"ではないか、ということで、タイトルを「教育"後進国"」としたんです。日本の公立校の教育現場っていうのは、ほかの国に比べても、ものすごくすばらしいと思うんです。それを、マスコミだとか、政治家だとか、親たちが「そうじゃないんだ」と思い込んで、過大な要求をするから、先生たちに負担が増えてくるのは“後進国”じゃないの?ということです。
--衝撃的な新書タイトルでしたので、その意味が気になっていたところでした。池上さん、増田さん、本日はお話をありがとうございました。
「偏差値好きな教育“後進国”ニッポン」(ポプラ新書)は2017年12月8日から販売中。冬休みや、年末年始のまとまった連休中に一読してみてはいかがだろうか。
(取材協力:ポプラ社)
※編集部注:初出時、名前のよみがなに誤りがありました。修正のうえお詫び申し上げます。