【大塚英志氏書評】言葉が壊れ異質の記号となる危機感

12月27日(金)16時0分 NEWSポストセブン

『季刊文科78 令和元年夏季号』

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 年末年始はゆっくり腰を据えて本を読む絶好の機会。2020年は果たしてどんな年になるのか? まんが原作者の大塚英志氏が選んだ2020年を読み解く1冊は、『季刊文科78 令和元年夏季号』の「特集 国語教育から文学が消える」だ。


●『季刊文科78』令和元年夏季号 特集 国語教育から文学が消える 紅野謙介×伊藤氏貴 対談/鳥影社/1500円+税


 今、物議を醸している大学入試の改悪とともにもう一つ問題となっているのが、高校の国語教育から「文学」が消え「論理国語」に取って代わるかもしれぬという危惧だ。一応は「文学国語」との選択制だが、新井紀子のパフォーマンスじみた対AI教育やプログラミング教育との互換性が喧伝され、「論理国語」優位が同調圧力となってさえいる。


 その中で紅野謙介と伊藤氏貴は危機感を持って語ってきたが、それは肝心の文学の当事者に届いているのか。「文学」を守るなら「保守」だろうと、保守派の論客が編集委員に名を連ねる『季刊文科』誌上での紅野・伊藤対談を読んだ。


 対談はほぼ初対面の二人が互いのこれまでの見解を擦り合わせていく誠実なものだ。しかし対談に同席した編集委員の一人がひどい。例えば紅野・伊藤は学習指導要領が告示されてしまった以上、教科書をつくり、使う現場がそれをいかに解釈で読み替えるかしか「文学」を教育で生かす術がないと戦略を語る。


 しかしその「解釈」の一言に編集委員の一人は「憲法九条と同じように(笑)」と口を挟むのだ。憲法を批判する文脈では全くない。それこそ「論理国語」の必要性を感じもする。掲載された論考も保守派とおぼしき人は、文学の衰退を「3S政策」を引き合いに出したりスマホを呪詛するだけだ。これでは新井のような情報論と結びついた新しい保守に太刀打ちできない。


 たった今、起きているのは明治期に言文一致体が成立したような根本的なことばの変化だ。明治の作家たちはその変化を把握し、新しい日本語を作ることに自ら参画したから「文学」者たり得た。しかし今、その変化に専門家たる文学者は気づかず、参加もせず、スマホを呪って済ませようとするから場当たり的な対症療法の新井を論破できない。何が起きているか「文学」が理解しようとしない以上、この変化は制御不能となって、ことばは壊れ、異質の記号に変わる。


 そういう始まりの年だ。


※週刊ポスト2020年1月3・10日号


季刊文科 78号 特集 国語教育から文学が消える 対談 紅野謙介×伊藤氏貴

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