決勝での「強さが足りない」。最高速不足を補うヤマハYZR-M1の武器/MotoGPマシン開発の裏側
2020年1月末、ヤマハは矢継ぎ早に新しい体制について発表した。28日、マーベリック・ビニャーレスとの間で2022年までの契約を交わしたこと。29日、2021〜2022年のヤマハ・ファクトリー・レーシングMotoGPチームにファビオ・クアルタラロを登用すること。同日、バレンティーノ・ロッシの2021年シーズン以降のレース活動計画は2020年シーズン半ばに決断すること。そして30日、2020年のテストライダーとしてホルヘ・ロレンソを起用すること──。
連日の華々しい発表は、ヤマハに耳目を集めるという点で確かに功を奏した。そして2020年シーズンの幕を開けるマレーシア公式テストでは、3日間連続してファビオ・クアルタラロ(ペトロナス・ヤマハSRT)がトップタイムをマーク。カタール公式テストもヤマハが1-2-3で終えている。「ヤマハの時代」が始まろうとしているかのようにさえ見える状況だ。
だが、2019年のヤマハは決して良いシーズンを送ったわけではなかった。ビニャーレスが2勝を挙げてランキング3位につけたものの、2017年シーズンから3年連続となる「ヤマハ最上位はランキング3位」。タイトル獲得を狙うファクトリーチームとしては、ホンダはもちろんのこと、ドゥカティにも届かない苦戦が長く続いているのだ。
2019年末、ヤマハMotoGPグループリーダーの鷲見崇宏氏は「特に2017年と2018年は非常に苦しいシーズンでした」と振り返った。「もちろん毎年チャンピオン獲得を狙って全力を尽くしています。でもこの2年間は、モノを作っても作ってもマシンのスピードにつながらなかった。チーム、開発者、そしてライダーとみんながストレスを抱えていました。それぞれにみんな頑張っていたのに、成果が得られずにいたんです」
■見直したヤマハの武器
2019年からグループリーダーとなった鷲見氏が最優先したのは、問題点の絞り込みだった。「今、自分たちに足りないのは何かを洗い出したんです。ヤマハYZR-M1はコーナリング性能が武器と言われていましたが、2017年、2018年はそこさえも弱くなっていた。かと言って、最高速でライバルに並べるエンジンが手元にあるわけでもない。では、どうするか。2019年は『コーナーの前後100mで誰にも負けないマシンを作ろう』と」。つまり、ブレーキングパフォーマンスとコーナーからの脱出加速の改善に集中したのだ。
具体的な方策としては、主にエンジン開発に力を入れた。「コーナー前後100mというと車体の領域と思われるかもしれませんが、実は2019年は車体にあまり手を入れませんでした。力を注いだのはエンジン開発です。先ほど申し上げたように、改善の大きなポイントはブレーキングとコーナー脱出加速でしたから、それらがうまくこなせるようなエンジンを作り込んだんです。率直に言えば、最高速の不足をそれらで補おうとしました」
2018年型から2019年型になった際、「エンジンは中身の構造をすべて変えています」と鷲見氏。「爆発間隔やボアストロークは同じですが、出力特性を作るためのすべての寸法や形状をすべて変えました。狙ったのは変化量の大小ではなく、(パワーカーブの)どこを盛り上げ、どこを下げたらどういった特性になるか、ということです。正直、特性の作り込みに関してすべてが把握できているわけではありませんので、試行錯誤を繰り返しながら仕様を決めました」
「エンジンパワーも例年同様に向上させているが、上積み幅は少ない」と鷲見氏は明かす。ピークパワーの絞り出しではなく、エンジンブレーキ特性やコーナー脱出の加速性能など過渡特性の作り込みに集中したわけだが、必ずしも「大成功」ではなかったようだ。
「ライダーからは『安定していて悪くないね』という評価をもらっていましたが、実はキモを冷やしていました。ホンダがドゥカティに並ぶ最高速を手に入れていましたからね。我々ももちろんパワーを追い求めてはいますが、相対的に遅れを取ってしまっていた。さらにKTMも速さを増しているなかで、ライダーたちに厳しい戦いを強いてしまうことになります。ですが、パワーはそう簡単には手に入らないものなんです」
ストレートでライダーができることと言えば、体をできるだけコンパクトにしてアクセルを全開にすることぐらいだ。テクニックではなく、エンジンパワーに委ねるしかない領域だ。当然、ライダーはパワーも求める。だが、マシン開発において「あれもこれも」は方向性を混乱させるだけだ。鷲見氏はきっちりと交通整理をした。腹を割ってライダーと対話したのである。
「2019年シーズン開幕前、2月に行われたマレーシアテストで、ライダーひとりひとりと話をしました」と鷲見氏。「今すぐにできることもあるが、できないこともある。我々はAに的を絞って開発しているから、今はBを辛抱してくれ」と、率直に現状を共有するとともに、「今後はこういうスケジュールを考えている。このタイミングでこういうモノを投入するから」と、期待も持たせた。
「前向きであることとモチベーションをライダーと共有できれば、苦境も乗り越えられると考えたんです。レースをしている限り、山もあれば谷もある。それらに一喜一憂せずに、ポジティブさをキープするやり方です」。これでチーム内の空気はかなり前向きになった。
■混乱を招いた「うれしい誤算」
だが、ヤマハにとっては「うれしい誤算」とでも言うべき問題も発生した。新人、クアルタラロのめざましい活躍である。2019年2月上旬のマレーシアテストは16番手だったクアルタラロだが、下旬のカタールテストでいきなり2番手に急浮上。サテライトチームながらファクトリーチームのマーベリック・ビニャーレスに迫る勢いを見せたのだ。
「彼はヤマハのなかでもコーナリングスピードが速い。そして、それ以上にブレーキングが非常に上手なライダーなんです。クアルタラロは、他のライダーとは違うやり方でYZR-M1の良さを引き出すことができる。もちろんYZR-M1が新人でも限界域で走らせやすいマシンだ、と言うことでもありますが(笑)」。だが、クアルタラロの新人離れした速さは、2019年シーズン開幕前のヤマハに若干の混乱を招いた。
「我々も、ファビオがあそこまでやってくれるとは思っていませんでした。決して悪いことではありませんが、ファクトリーライダーたちにとっては複雑な事態でした。我々は各ライダーのデータをすべてオープンにしていますが、そのなかでも『どうなっているんだ』という話になったんです。特にマーベリックは動揺していましたね」
ライダーのメンタルは戦績を左右する重大な事柄だ。テストの時など、鷲見氏はあえてビニャーレスに「今は混乱するから走り込まなくてもいい」など踏み込んだアドバイスもした。ビニャーレス自身が感情のコントロールを心がけたこともあり、落ち着いてテストに集中できるようになったと言う。
■「決勝レースではまだ強さが足りなかった」
明らかになったエンジンの不足部分。そしてクアルタラロの思いがけない存在感。2019年シーズンのヤマハは序盤から不穏な空気があったが、鷲見氏を中心に「やるべきことをやる」というスタンスは動じなかった。「エンジン開発に集中した」と言いながら、車体も「レースでは、フレームの板厚、リブの数や位置を変えた2、3種類を使った」と、進化させていった。それらが功を奏し、シーズン中に徐々に成績は向上していった。
そして第8戦オランダGPでビニャーレスは2018年オーストラリアGP以来10戦ぶりとなる優勝を果たし、続く第9戦ドイツGPでも2位表彰台に立ったのである。
「マシン作りにおいて、新しい試みによって全方位的に良くなることはほとんどありません。どこかが良くなれば必ずどこかに問題が生じます。例えばハンドブレーキのような新しいデバイスを採用したとして、ブレーキングが向上するかもしれない。でも補機類が増えることで重量が増す、といった具合です」
微妙なバランス取りは、2019年シーズン中にもマシンの各部でたゆまず行われた。その成果として、「速さを見せつけることはできたと思います」と鷲見氏。2019年シーズン、ポールポジションを獲得したのは3人だけだ。レプソル・ホンダ・チームのマルク・マルケスが10回、ヤマハのクアルタラロが6回でビニャーレスが3回。ホンダとヤマハだけである。しかも、圧巻のマルケスに新人クアルタラロが食らいつけているのは、ヤマハYZR-M1が「速いマシン」であることを確実に示している。
だが、優勝は結局ビニャーレスの2回。「決勝レースではまだ強さが足りませんでした」。“強さ”とは、具体的にはトップスピードということになるだろう。「最高速という武器があれば、ライダーは決勝レースでいろいろな戦略を立てることができるんです」と鷲見氏も言う。「我々がホンダやドゥカティに届かないのは、やはりそこ。ライダーが戦える幅が少ない。我々の目標は常に、タイトルの獲得です。そのためには、ライバルに少しでも近付けるよう頑張って行く、ということです」
それは決して容易なことではない。ひとつでも武器が多ければレース戦略の幅が広がるのは確かだが、一方で、その武器がデメリットにもなりかねない。最高速ひとつ取ってみても、それが高まることで例えばブレーキング性能など別の部分に影響することが十分にあり得るのだ。「何かを良くすれば別の問題が出るのがマシン開発の常です」と鷲見氏は言う。だが、“強いヤマハ”を現実にするためには、新たな領域に踏み込む必要も出てくるはずだ。「2020年はシンプルに、マルケスからチャンピオンの座を取り返したいですからね」
2019年型ヤマハYZR-M1の細部ショットはコチラ
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