フェラーリ元会長「シューマッハーは怪我をしたマッサの代役で2009年に復帰する予定だった」
フェラーリ元会長のルカ・ディ・モンテゼモロは、2009年にミハエル・シューマッハーがフェラーリに復帰する寸前だったことについて語った。
7度の世界チャンピオンであるシューマッハーは2006年にF1レースから引退したが、チームのコンサルタントとしての役目を続けていた。
そして2009年、ハンガリーGP予選の最中にフェリペ・マッサが飛んできたデブリの破片をヘルメットに受け、深刻な怪我を負ってしまった。フェラーリには、マッサの療養中に代役を務めるドライバーが早急に必要になった。
シューマッハーを復帰させようというアイデアを思いついたのはディ・モンテゼモロだったが、当初は見込みがないものと思われた。
「フェリペがブダペストでひどい事故にあってしまい、非常に悲しかった。だからミハエルに私のオフィスに来るように頼んだ」と先週ケルンで開催されたシューマッハー展のオープニングでディ・モンテゼモロは語った。
「私は彼に言った。『ミハエル、復帰してほしい。私とチームのためにそうしてほしい。』」
「30分かけても彼は納得してくれなかったが、1時間経つ頃に彼は『分かったよ、これは断れない』と言ったんだ」
ハンガリーGPが終わった後に、バレンシアで開催されるヨーロピアンGPでの復帰を計画した。当時はシューマッハーにレースでステアリングを握らせるための準備期間が、チームにはちょうど4週間あった。その準備のため2年落ちのF2007で走行が行われた。
「彼はレース部門へ行った。まるで子供か若手ドライバーのように熱意で満ち溢れていた」とディ・モンテゼモロは回想した。「そして彼はムジェロへ向かい、古いマシンで非常に充実したテストを行なった」
しかしこの計画は急遽中止された。シューマッハーは少し前にバイクで事故を起こしており、その時に負った怪我が、想像以上に深刻なものであることが判明したのだ。
「残念ながら、彼の医師が復帰を止める決断を下した。医師は、ミハエルはまだ復帰できる状態ではないと言い、我々全員がっかりしたよ」
結局マッサの代わりにルカ・バドエルが召集されたが、思うような成績が残せず、その後フェラーリは、当時フォース・インディアのドライバーを努めていたジャンカルロ・フィジケラに残りのシーズンを走行させた。
マッサは2010年にフェラーリのドライバーシートに復帰し、新たなチームメイトが合流した。それがフェルナンド・アロンソだった。
時間をかけてバイク事故の怪我から回復したシューマッハーもまた、3シーズンぶりの2010年にグリッドに復帰した。しかし復帰したのはフェラーリではなく、代わりにドイツ人だけのラインアップで揃えた新生メルセデスのファクトリーチームだった。
シューマッハーは2012年末までレースを続けシーズン末で引退。彼の後任には現在もチームで活躍しているルイス・ハミルトンが加入している。
2013年の12月、シューマッハーは息子ミックとフランスのアルプスでスキーをしているときに、事故で頭部に酷い怪我を負ってしまった。現在、彼はレマン湖のほとりにある自宅で療養を続けている。
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