遠藤保仁は“努力の人”…プロ生活21年目、ついに達成したJ1通算600試合出場
サッカーキング2018年11月14日(水)18時5分
フィールドプレーヤー史上初のJ1通算600試合出場を達成した [写真]=J.LEAGUE
11月10日に行われた明治安田生命J1リーグ第32節、ガンバ大阪対湘南ベルマーレの一戦で、遠藤保仁がJ1通算600試合出場を達成した。これはJ1最多出場記録を保持する楢崎正剛(名古屋グランパス)に次ぐ数字で、フィールドプレーヤーでは史上初となる。試合前のセレモニーでは4人の子供たちから花束を渡され笑顔も見せたが、ピッチに立てば相変わらず冷静沈着にゲームをコントロール。攻守に安定感のあるパフォーマンスを披露し、チームの勝利に貢献を見せた。
「シーズンの残り試合での目標は勝ち続けることにあったし、今日に関して言えば“残留”を自分たちで決められる試合でもあったので、連勝を伸ばせて非常に嬉しい。個人的にも600試合目を勝利で飾れて良かった」
1998年、遠藤は横浜フリューゲルスの一員として最初の一歩を踏み出した。しかも、同年のリーグ開幕戦だ。鹿児島実業高校の卒業式から1カ月も経たない3月21日、そうそうたる顔ぶれが揃うフリューゲルスの一員として先発出場を飾った遠藤は、52,083人が詰めかけた満員の横浜国際競技場で延長戦を含めた120分間をフルで戦い抜き、堂々たるデビューを飾った。
「当時はまだ10代で上の人たちが随分大きく見えたし、最初は大人の人と一緒にサッカーをしている感覚がすごくあった。ただその人たちをリスペクトしながらも、『負けない』、『ポジションを取ってやる』ということは、いつも考えていた気がします。当然ながら18歳の自分と日本代表クラスの選手との差は明らかだったけど、『なんとか差を埋めてやる』と思っていたし、常に『試合に出るためにはどうしたらいいか』ということだけを考えていました。差はあるとは思っていたけど、埋められないレベルの差ではないと思っていたというのも正直なところ。実際に試合を重ねるうちに慣れていくところもたくさんあり、そうすればできるプレーも増えていくと実感していただけに尚更です。と同時に、だからこそ、とにかく常に試合に出ること。そのために自分が何をすればいいのかばかりを考えていました」
これはプロ20年目の節目を迎えた昨季に実施したインタビューで彼が発した言葉だが、考えてみれば遠藤が戦ってきた600試合をはじめとするすべての公式戦は『常に試合に出ること』を意識することによって積み重ねられてきた。プロ1年目に所属チームが消滅するという衝撃に見舞われ、1999年に京都パープルサンガへ移籍をした際も、2001年にガンバ大阪に移籍をした際も。日本代表として絶対的な存在となり、前人未到の歴代最多出場記録を打ち立てても、目の前の試合に先発出場することへの欲が彼を突き動かしてきた。
理由は一つ。彼の言葉にもある「試合に出ることでしか積めない成長がある」と考えていたから。選手というのはどれだけポテンシャルが高くても、心身両面で最も強度の高い公式戦を戦わなければ、右肩上がりに成長し続けることはできない。プロ1年目から公式戦に出場した経験、そして試合に出続けてこそ成長につながるという確信があったからこそ、常に公式戦に出る必要性を求め、そのための努力を積み重ねてきた。しかもそれを21年間、毎日だ。にも関わらず、湘南戦を終えて報道陣に囲まれた遠藤は、さらりと今後の目標を口にした。
「長い間、コンスタントに戦ってこなければ達成できない数字だと考えれば素直に嬉しいですが、まだまだ上の方(楢崎)がおられるので。そこを追い抜くことも楽しみにしつつ、もっともっと中身のある試合をして数字を増やしていきたいし、あらゆる努力をしてチームに貢献できる選手であり続けたい」
プロ21年目、600試合出場という数字を打ち立てても、プロになってから日本代表戦などを合わせれば1000試合近い公式戦を戦ってきても、変わらない温度で“努力”を自身に求め、さらなる成長を望む。遠藤の凄さは、そこにある。
文=高村美砂
「シーズンの残り試合での目標は勝ち続けることにあったし、今日に関して言えば“残留”を自分たちで決められる試合でもあったので、連勝を伸ばせて非常に嬉しい。個人的にも600試合目を勝利で飾れて良かった」
1998年、遠藤は横浜フリューゲルスの一員として最初の一歩を踏み出した。しかも、同年のリーグ開幕戦だ。鹿児島実業高校の卒業式から1カ月も経たない3月21日、そうそうたる顔ぶれが揃うフリューゲルスの一員として先発出場を飾った遠藤は、52,083人が詰めかけた満員の横浜国際競技場で延長戦を含めた120分間をフルで戦い抜き、堂々たるデビューを飾った。
「当時はまだ10代で上の人たちが随分大きく見えたし、最初は大人の人と一緒にサッカーをしている感覚がすごくあった。ただその人たちをリスペクトしながらも、『負けない』、『ポジションを取ってやる』ということは、いつも考えていた気がします。当然ながら18歳の自分と日本代表クラスの選手との差は明らかだったけど、『なんとか差を埋めてやる』と思っていたし、常に『試合に出るためにはどうしたらいいか』ということだけを考えていました。差はあるとは思っていたけど、埋められないレベルの差ではないと思っていたというのも正直なところ。実際に試合を重ねるうちに慣れていくところもたくさんあり、そうすればできるプレーも増えていくと実感していただけに尚更です。と同時に、だからこそ、とにかく常に試合に出ること。そのために自分が何をすればいいのかばかりを考えていました」
これはプロ20年目の節目を迎えた昨季に実施したインタビューで彼が発した言葉だが、考えてみれば遠藤が戦ってきた600試合をはじめとするすべての公式戦は『常に試合に出ること』を意識することによって積み重ねられてきた。プロ1年目に所属チームが消滅するという衝撃に見舞われ、1999年に京都パープルサンガへ移籍をした際も、2001年にガンバ大阪に移籍をした際も。日本代表として絶対的な存在となり、前人未到の歴代最多出場記録を打ち立てても、目の前の試合に先発出場することへの欲が彼を突き動かしてきた。
理由は一つ。彼の言葉にもある「試合に出ることでしか積めない成長がある」と考えていたから。選手というのはどれだけポテンシャルが高くても、心身両面で最も強度の高い公式戦を戦わなければ、右肩上がりに成長し続けることはできない。プロ1年目から公式戦に出場した経験、そして試合に出続けてこそ成長につながるという確信があったからこそ、常に公式戦に出る必要性を求め、そのための努力を積み重ねてきた。しかもそれを21年間、毎日だ。にも関わらず、湘南戦を終えて報道陣に囲まれた遠藤は、さらりと今後の目標を口にした。
「長い間、コンスタントに戦ってこなければ達成できない数字だと考えれば素直に嬉しいですが、まだまだ上の方(楢崎)がおられるので。そこを追い抜くことも楽しみにしつつ、もっともっと中身のある試合をして数字を増やしていきたいし、あらゆる努力をしてチームに貢献できる選手であり続けたい」
プロ21年目、600試合出場という数字を打ち立てても、プロになってから日本代表戦などを合わせれば1000試合近い公式戦を戦ってきても、変わらない温度で“努力”を自身に求め、さらなる成長を望む。遠藤の凄さは、そこにある。
文=高村美砂
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