いのちはやどり、つながる
2022年6月、多摩美術大学での特別講義「医術と美術」にて「いのち」に関係する広範な講義を行った。「術」は使い方次第だ。包丁は扱う「技術」により、おいしい料理をつくることもできれば、人を刺すことさえもできる。医と美の「術」を、人を幸せにする「術」と考えてみたとき、2つの領域はどういう場で出合えるだろうか。感染症が流行する時代に、美術を志す学生さんも発表する場や、集い研鑽する場を奪われている。医療従事者も心理的な疲労はピークに達している。そうした心理的葛藤を、新しい時代の創造へと変換させる「術」は2つの領域が出合うことによって生まれるのではないだろうか。
作品展示に際して、美術を学ぶ学生さんには病院へ足を運んでもらった。実際の空間を感じてもらいながら、個人個人に病院空間の場の変容を依頼した。若い学生さんはあまり病院という場に馴染みがない。だからこそ、友人や家族と対話をしてもらいながら、病院に訪れるときはどういう気持ちなのか、空間の違いにより人の心身はどう変化するのか、通常の美術ギャラリーとは違う発想で病院という場を考えてもらいたいと思った。例えば、小児科外来の場を動物やキャラクターで喜ばせるのは簡単かもしれない。今回は、そうした具体的で直接的なものではなく、岡本太郎が言うところの「なんだこれは」と感じられる、より抽象度の高い作品を求めた。効率性・合理性・機能性が場を支配するのではなく、「不思議」が場の中心に据えられることで、人の心身に何か思いがけない変化が起きるかもしれない。深い森の中で四つ葉のクローバーを見つけるようにして、出口のない負のスパイラルの中で出口への光を見出す“心の地殻変動”が起きるかもしれないと考えた。
共通テーマを「円(Circleな言葉を探すことができていないだけで、いろいろと考えていることがある。頭の中にある考えを表現作品として適切に外在化することができたとき、作品にはその人のいのちが宿る。わたしたちが物理的に出会うことができない場合でも、いのちといのちが触れ合うことが、深い井戸を介して出会うことができる秘密の通路ではないだろうか。途中までは、あえて作品にキャプションを置かなかった。言葉で理解するよりも、なんだろう? と想像力と無意識を活性化させながら、わたしたちが普段使わない心の層を呼びさましてほしいと思ったからだ。
画家の猪熊弦一郎は「日本に美を分かる人をもっと増やしていきたい。美を分かる人こそ、平和を求める人だと思います」と述べている。人の心は争いを生む種だが、争いをやめることも、平和を創造することができるのも人の心だ。芸術や美を前にして、感受性が「違う」ということから対話が生まれる。「同じ」ように感じる必要はなく、「違う」ように感じるからこそ尊いのだ。人間の尊厳は、そうした「違い」を尊ぶ心の中にこそあるのだから。
文:稲葉俊郎 写真:友岡洋平
いなば・としろう
1979年熊本県生まれ。医師、医学博士、東京大学医学部付属病院循環器内科助教(2014−20年)を経て、2020年4月より軽井沢病院総合診療科医長、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授を兼任(「山形ビエンナーレ2020」芸術監督就任)、2022年4月より軽井沢病院院長に就任。在宅医療、山岳医療にも従事。単著『いのちを呼びさますもの』(2017年、アノニマ・スタジオ)、『いのちは のちの いのちへ』(2020年、同社)、『ころころするからだ』(2018年、春秋社)、『いのちの居場所』(2022年、扶桑社)など。www.toshiroinaba.com
記事は雑誌ソトコト2023年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
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