『光る君へ』本当は慕われていた?藤原道兼の生涯、弟・道長との仲は?妻は15歳年上、次男は紫式部の娘の夫?
大河ドラマ『光る君へ』第18回「岐路」では、玉置玲央が演じる藤原道兼が、念願だった関白就任の直後に病没した。序盤の悪役から一転し、民を思う執政者への道を歩もうとした矢先の死に、涙した方も多いのではないだろうか。今回は、ドラマではあまり描かれなかった道兼の妻や子、人との関わりを中心に、ご紹介したい。
文=鷹橋 忍
「七日関白」は裏切りの報い?
藤原道兼は、応和元年(961)に生まれた。
父は段田安則が演じた藤原兼家(藤原師輔の三男)、母は三石琴乃が演じた時姫である。
同母兄の井浦新が演じる藤原道隆より8歳年下、異母兄の上地雄輔が演じる藤原道綱より6歳年下、同母弟の道長より5歳年上となる。
寛和2年(986)に起きた「寛和の変」において、道兼は本郷奏多が演じる花山天皇の出家の手引きをし、ともに出家するという約束を破って、逃げ帰ったとされる。
その後、内大臣、右大臣と昇進を重ね、長徳元年(995)に兄・道隆が没すると、関白に就任したが、その数日後に死去した。
世の人々は、この道兼の「七日関白」を、花山天皇に対する裏切りの報いとみなしたという(繁田信一『殴り合う貴族たち』)。
道兼の二男は、紫式部の娘の夫?
次に、道兼の妻子をみていきたい。
道兼の正妻は、藤原遠量(藤原師輔の四男)の娘である。
遠量の娘が産んだ道兼の二男・藤原兼隆は、紫式部と佐々木蔵之介が演じる藤原宣孝の娘である藤原賢子の夫だったといわれるが、一時的な交際であった可能性が高いという見解もある(服藤早苗 東海林亜矢子『紫式部を創った王朝人たち——家族、主・同僚、ライバル』所収 栗山圭子「第十三章 天皇乳母としての大弐三位——母を越えた娘」)。
また、歴史物語『大鏡』第四巻「右大臣道兼」によれば、遠量の娘がのちに「二条殿御方」と呼ばれる女子を出産しているが、道兼は神仏に祈願するほど待ち望んでいた娘の顔を見ることもなく、死去してしまった。
二条殿御方は、道長の娘・藤原威子に仕えたとされ、遠量の娘は道兼が没した後、宮川一朗太が演じる藤原顕光の「北の方」となったという。
妻は15歳年上?
山田キヌヲが演じる藤原繁子も、道兼の妻とされる。
繁子は兼家の妹とされ、道兼の叔母にあたる。生没年は不詳とされるが、角田文衛『王朝の映像——平安時代史の研究——』では、道兼より15歳年上としている。
兼家の娘の吉田羊が演じる詮子に仕え、詮子が懐仁親王(のちの塩野瑛久が演じる一条天皇)を産むと、御乳母に任じられた。
繁子は、正式な妻ではなかったとみられている。
道兼との関係は一時的なものだったといわれ、正暦3年(992)ごろ、兼家の家司・佐古井隆之が演じる平惟仲と再婚している。道兼がこの結婚に異議を唱えることはなかった。
惟仲が亡くなると、繁子は出家して好明寺に隠棲し、静かに余生を送った。
道長は叔母にあたるこの繁子を深く敬愛しており、好明寺を訪ね、孤独を慰めたという(以上、角田文衛『王朝の映像――平安時代史の研究――』)。
娘は、暗戸屋(くらべやの)女御
道兼との繁子の間には、永観2年(984)に娘・尊子が誕生しているが、道兼は娘を特に可愛いとは感じていなかったようである(『栄花物語』)。
道兼の死後、尊子は長徳4年(998)2月、一条天皇の後宮に御匣殿別当として、入内している。
尊子の入内は、一条天皇の御乳母であった母・繁子の意図が働いたとみられている。
長保2年(1000)8月に、ようやく女御となった。前年に内裏が焼けため、一時期、暗い曹司で暮らしたせいか(保坂弘司『大鏡 全現代語訳』)、尊子は「暗戸屋(くらべやの)女御」と呼ばれた。
寵愛を受けることのないまま、寛弘8年(1011)に、一条天皇は32歳で崩御した。尊子は長和4年(1015)に藤原通任と結婚している。
道兼は慕われていた?
鎌倉時代の説話集『古事談』の巻第四「頼光、頼信の無謀を制する事」には、道兼の家人で、河内源氏の祖となる源頼信が、我が君である道兼を奉じるため、道兼の兄・道隆を殺害しようしていたが、兄の源頼光に静止されたという説話が綴られている。
また、道兼の家司で、歌人の藤原相如は、道兼に関白の宣旨が下った際に、大変に喜び(『大鏡』第四巻「右大臣道兼」)、道兼が長徳元年(995)5月8日に急逝すると、相如自身も病に倒れ、道兼の御法事に立ち会えず死にゆく無念さを繰り返し口にし、5月29日、亡くなったという(『栄花物語』巻第四「みはてぬ夢」)。
これらの話が真実で、道兼は慕われていたと信じたい。
道長と仲は良かった?
最後に、道長との関係をみてみたい。
歴史物語『栄花物語』巻第四「みはてぬ夢」には、道兼と道長は互いに好意を抱いており、仲は大変に良かったことが記されている。
道長は「不吉」とは思わず道兼の世話をし、その死を非常に悲しんだという。
『栄花物語』が記すように道兼と道長の仲が本当に良かったのかは定かでないが、できるなら、ドラマで描かれたように、道兼は道長に最期まで寄り添われ、その死が孤独なものではなかったことを願うばかりである。
【藤原道兼ゆかりの地】
●粟田口
藤原道兼は、山城国愛宕郡粟田郷(京都市東山区)に山荘を構えていたことから、「粟田殿」とも称された。
粟田の山荘は風雅な別荘で、ここで道兼は多くの歌人と交流をもった。
『栄花物語』巻第三「さまざまのよろこび」には、粟田の山荘の障子に描かれた名所絵に合わせ、さべき人々(しかるべき歌人)たちに歌を詠ませたことが記されている。
筆者:鷹橋 忍
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