88歳医師が競争心に満ちた「東大中退の教え子の攻撃的な物言い」を交わすために徹底した驚きの態度

2024年2月10日(土)12時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

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運がいい人はどんな考え方をしているか。浜松医科大学名誉教授の高田明和さんは「自分や相手の欠点や失敗は、できるだけ無視すればいい。物事の『悪いところは見ない』ことを徹底し、『いい面』を見ると運勢は上向いていく。実際、明るい面を見て相手を信じているときの人は、顔つきや声も違うから良好な関係を築くことができ、『得すること』が増える」という——。

※本稿は、高田明和『88歳医師の読むだけで気持ちがスッと軽くなる本 “年”を忘れるほど幸せな生き方』(三笠書房)の一部を再編集したものです。


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■ポジティブに考えるだけで、解決する問題が9割


物事の「いい面」を見る。


たとえば、グラスにビールが半分残っているとき、「まだ半分もある、ラッキー!」と考えるか、「もう半分しか残っていないんだ、悲しいな」と考えるか。


往年の名優、ヘンリー・フォンダに言われるまでもなく、「ポジティブに考えたほうが運はよくなる」というのは、いろいろなところで実証されています。


いわゆる「ポジティブ・シンキング」です。


大勢の成功者がそう述べているのは知っていましたが、私は若いころ、「この人たちは、何を言っているんだろう?」と思っていたのです。


だって、世の中には悪意を持った人が大勢いるのですから。


常に「最悪の事態が起こるかもしれない」と警戒し、心の準備をしておかないと、いざというときに対処できないじゃないか、と思っていました。


そうやってネガティブな予測ばかりしながら生きていた私は、自分の失敗や無能ぶりばかりが強く自覚され、次第に、起こるであろう悪いことばかりに恐怖するようになっていたのです。


でも、あるとき、大学の一般教養の授業で数学の先生が、しみじみと「人生のコツは、物事の悪い面をできるだけ見ないようにすることです」とつぶやいたことがあったのです。


教師というものは、ときに学生たちにポロリと本音を漏らすことがあります。それを感じとった私の脳裏に、この言葉はずっと焼きついていました。


私は、将来を悲観する傾向はあるものの、人の意見やアドバイスは素直に聞きますから、その数学の先生の教えに従って、それ以降、「悪いところは見ない」ことを徹底するようにしたのです。


■悪人に見える人間だって、その奥には「いい面」も潜んでいる


そして年をとってからは、物事の「いい面」を見ることの重要性がよくわかってきました。


その一例として、浜松医科大学で教鞭を執っているとき、こんなことがあったのです。


教え子の中に、東大を中退して入ってきた学生がいたのですが、彼の私に対する態度には、「自分のほうが優れているのに、どうして、この先生に従わなければいけないのか」「いつか追い越して、地位や立場を逆転してやろう」というエリート意識や競争意識に満ち満ちていました。


写真=iStock.com/AH86
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AH86

しかし、私の立場は指導者です。あの数学の先生の教えに従って、東大中退の彼の攻撃的な物言いも、いい方向に解釈するようにし、「悪いところは見ない」ことを徹底するようにしたのです。


それを実行するようになって、すぐに彼が私に対して好意的になったわけではありませんが、最初は刺々しかった彼の態度も、だんだんと柔らかくなっていき、やがて良好な関係が築けるようになっていったのです。


そしてあるときに彼から、こんなことを打ち明けられました。


「先生、自分はどんな人の言葉も、6割しか信じられません」
「だから、誰ともいい人間関係が築けないんです。先生に親友はいらっしゃいますか?」


当初の敵対的な態度からすれば、驚きの変化でした。


世界遺産にもなっている京都・天龍寺の庭園をつくった鎌倉時代の禅僧、夢窓疎石(むそうそせき)は、「人は本来、仏だ。欠点はあっても、それはそれで欠点の黒い雲のその内側には、きれいな心があるんだ」という言葉を残しています。


悪人に見える人間だって、その奥には「いい面」もちゃんと潜んでいるのです。


そのときどきによって、表面に現れる部分がいい面だったり悪い面だったりするだけなので、私たちは誰かに接したとき、その「いい面」を見つけるようにしていけば、いろいろな人間関係がかなりラクになると思うのです。


私も実際にこのことを心がけると、運勢は次第に上向いていきました。


自分や相手の欠点や失敗は、できるだけ無視すればいいのです。


■余計な情報があるほど迷い、心配や不安も多くなる


物事の明るい面を見るようにすると、なぜ運勢が上向くのでしょう?


心理学の世界では、さまざまな調査や検証をしていますが、わざわざそんな小難しい調査をしなくても、シンプルに、「暗い面や嫌な面を見るほどに楽しくなる」という人は、いないと思いませんか。逆に「明るい面」を見るようにしていけば気分も高揚してやる気も湧いてくるのです。


人間関係においても、私の明るい面を見て私を信じてくれる人と、暗い顔で私を疑っている人、どちらと一緒にいたいかといえば、どう考えても前者でしょう。


実際、相手を信じているときの人は、顔つきや声も違うのです。


だから相手も、こちらを疑わなくなります。すると、相手から何かを頼まれたり、何かをしてもらえたりする可能性も高くなりますから、当然、こちらも「得すること」は増えるでしょう。


もう一つ、判断力や発想力などにおいても、「暗い面」を見る人より「明るい面」を見る人のほうが優れた成果を出します。


では、どうすれば、うまいこと明るい面に目を向けられるのでしょうか?


イギリスの作家であり、科学者でもあったオルダス・ハクスリーは、「愛は恐怖を追い出す。反対に、恐怖は愛を追い出す」と述べています。


愛を持って物事を見たら不安や恐怖がなくなり、明るい面が見えるようになり、いろいろなことがうまくいったということです。


彼はさらに、「あらゆることについて知りすぎると、何が重要か判断できなくなる」とも述べています。余計な情報がたくさんあるほど、私たちはいろいろ迷うようになるし、心配や不安も多くなります。


「あの山へ登りに行こう!」
「そういえば、最近あの山で遭難者が出なかったっけ? いや、占いでは明日は登山には吉日だとある。登山者が増えすぎて環境破壊が進んでいるみたいよ。天気予報はバッチリ登山日和となっている。でも、ふもとまで交通渋滞が起きているそうだ」
「いったい、どうしたらいいんだ???」


——こんな具合です。


■人の心は、バケツに入れた汚水のようなもの


「人間の心は、バケツに入れた汚水のようなものだ」と言った人がいました。


なぜ汚水なのかといえば、私たちの心の中には、ネガティブなものがたくさんあるから。そして物事を悪い方向に考える人は、何か問題が起きると、心を乱してこの汚水をかき混ぜてしまうのです。


そのせいで水はドロドロに濁ってしまい、光を通さなくなります。それでは見通しが利きませんから、いい解決策が見つからないわけです。


写真=iStock.com/Nadya So
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nadya So

物事を悪いほうに考える人は、過去の悪いことも次々と思い出しています。


それは、まるで海底火山のマグマのように、嫌な気持ちをふつふつと噴き上げて水を濁らせている状態なので、気持ちが落ち着くことはありません。飲みに行っても、散歩に行っても、夜ベッドに入っても、いつまでも心は濁り続けたままで先が見通せることはなく、問題は解決されません。


バケツの水に混じった泥は、嫌なことに目を向けずに、しばらく待っていれば、やがて底へ沈み、水はだんだん澄んでいきます。いったん立ち止まって気持ちを落ち着かせれば、視界が開けて解決策は見つかるということです。


ただし、単に放っておいても、人の意識はネガティブなものに向きがちです。ポジティブな面を見ようとすることで、ほどなく心は静寂をとり戻すでしょう。


■ポジティブ6、ネガティブ4で上出来


仏教では、私たちの心は本来、仏のように清らかだと教えています。


先に言葉を紹介した、天龍寺を開山した夢窓疎石が詠んだとされる道歌に次のようなものがあります。


雲晴れて 後の光と思うなよ もとより空に 有明の月


雲が晴れたから、今、月明かりが差したのではない。もともと月の光はあったのだが、それが雲でさえぎられていたから闇になっていただけだ……そんな意味です。


つまり、起こった出来事は、悪いことでもなんでもない。あるいは、どんな人も悪人ではなく、いい心を持っている。ただ、私たちの心の曇りが起こった出来事について「最悪だ」と思わせ、出会った人を悪く評価させてしまうということです。


仏教はそんなふうに、この世の中のことを明るくとらえています。


「たとえ年をとり、周りの環境が変わったとしても、不安になったり疑心暗鬼になったりする必要はない。ただシンプルに『自分にはいいところがあるのだ』と信じて、あるがままに任せてしまえば、人は幸運になれる」と教えています。


でも、そうやって物事をすべてプラスに受け止める、スーパーポジティブな状態になることはできるでしょうか?


私は、無理でした(笑)。どんなに明るく考えたって、人は裏切ることがあるし、ガッカリさせられることもあるからです。


だから、私の場合は、せめて「6対4」で考えようと努力しています。


確かに嫌なことは起こるけれど、それは4割のこと。実際に起こることの6割方は、「いいこと」なのではないでしょうか? 人には確かに悪意もあるけれど、それは4割のことで、6割は善意にあふれているのでは?


そんなふうに考えると、物事の「明るい面」が見えてくるのです。


とり立てていいということはなくても、「おはよう」と声をかければ、「おはよう」と返ってくる、そんなごく普通の人間関係を築いているだけであっても、それは間違いなく「幸せなこと」なのです。


そういうこともカウントしていけば、6割くらいは簡単に埋まるでしょう。私たちは本当に、普段の「明るい状態」に雲がかかっているだけなのですね。


■解釈が変われば、過去の出来事だって変わる


イギリスの心理学者、リチャード・ワイズマン博士は、1000人以上を調査し、「自分は運がいい」と思っている人と「運が悪い」と思っている人の、行動の違いを明らかにしました。



高田明和『88歳医師の読むだけで気持ちがスッと軽くなる本 “年”を忘れるほど幸せな生き方』(三笠書房)

「自分は運がいい」と思っている人は、物事の明るい面を見て行動を選択し、「自分は運が悪い」と思っている人は、物事の悪い面を見て行動を選ぶという結果でした。


たとえば、成功している昔の友人から飲みに誘われた場合。


明るい面を見る人は、「何か楽しい話が聞けるかな? いや、世知辛い話しか聞けなくても、それはそれで興味深い」と遊び心を持って誘いに乗っていたのに対し、暗い面を見る人は「どうせ自慢話でもされるのだろう」と思って断っていたのです。


この傾向を発見したワイズマン博士は、暗い面を見る傾向のある学生たちに、あえて「自分は運がいい」と思っている人がしている選択をするように指導しました。


その結果、指導された学生たちの80%が、「運がよくなった」「いいことが次々と起こるようになった」と実感したといいます。


「いいこと」も「悪いこと」も、結局のところ解釈の問題です。


思い出も「楽しい部分」が心に強く残っていれば、「いい思い出」になるし、「辛い部分」が強く残っていれば、思い出したくもない「悲しい思い出」や「嫌な思い出」になります。


たとえば、学生時代の恋愛経験は象徴的です。片思いではなく恋愛経験ですから、当然二人で楽しい時間をすごした日々はあったし、二人がその後別れているのであれば、辛い時間もあったでしょう。


その楽しい時間に焦点を当てているか、辛い時間に焦点を当てているかで、「素敵な青春の一ページ」になっている人もいれば、「二度と会いたくない人」となっている人もいます。


まずは夜寝る前にでも、一日のいろんな出来事のうち6割はありそうな「いいこと」、を確認することから始めてはいかがでしょうか?


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高田 明和(たかだ・あきかず)
浜松医科大学名誉教授 医学博士
1935年、静岡県生まれ。慶應義塾大学医学部卒業、同大学院修了。米国ロズウェルパーク記念研究所、ニューヨーク州立大学助教授、浜松医科大学教授を経て、同大学名誉教授。専門は生理学、血液学、脳科学。また、禅の分野にも造詣が深い。主な著書に『HSPと家族関係 「一人にして!」と叫ぶ心、「一人にしないで!」と叫ぶ心』(廣済堂出版)、『魂をゆさぶる禅の名言』(双葉社)、『自己肯定感をとりもどす!』『敏感すぎて苦しい・HSPがたちまち解決』(ともに三笠書房≪知的生きかた文庫≫)など多数ある。
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(浜松医科大学名誉教授 医学博士 高田 明和)

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