「"絶縁とクビ"を選んだ私は今最高に幸せ」40代女性を連帯保証人地獄に引きずり込んだ毒母社長からの脱出劇

2024年2月17日(土)11時16分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kayoko Hayashi

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元社長令嬢の母親から精神的に支配され続けてきた女性。母親経営の会社で働かされ、会社の運転資金に必要だからと銀行からの借金の連帯保証人になるよう命じられる。従業員が辞めたことを自分のせいにされ、母親から土下座を強要されたことも。母親の“恐怖政治”から逃れるために女性は再婚相手を探すが、そこにも毒母が立ちふさがった——。(後編/全2回)
写真=iStock.com/Kayoko Hayashi
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■天国と地獄


家庭を一切顧みず、育児を放棄して、朝帰りを続ける夫と離婚した山口紗理さん(仮名・当時33歳)。離婚が決まると、約4年前に建てたばかりで多額のローンが残る家を売却することに。住まいを、隣接する実家に移す選択肢もあったが、そこには幼少時から紗理さんを虐待してきた母親(当時60歳)がいた。同居は避けるため、ボロボロの小さなアパートを借りて、子供2人(10歳、5歳)とともに暮らし始めた。


「実家の隣に住んでいた頃は、母は暇さえあればわが家に来ていたので、常に監視されている気分でした。でも、母と離れてみると、生活が一変しました。とにかく楽で、呼吸が苦しくないのです。貧乏でしたが、子どもとのかけがえのない毎日が本当に幸せでした」


山口さんの子どもたちは、山口さんと母親(子どもたちにとって祖母)の歪な関係を感じ取っていたのか、母親(子どもたちにとって祖母)に対してご機嫌を取るような言動や、山口さんをかばうような行動が見られていた。


一方で、離婚後の山口さんをさまざまな試練が待ち受けていた。


持ち家を売却したところ、母子家庭が受けられるはずの児童扶養手当が止められてしまったのだ。


土地は山口さん名義、建物は夫名義で、建物のみ住宅ローンを組んで購入しており、売却して入ったお金は、すべて残っていた住宅ローンの返済に消えた。それなのに、土地が山口さん名義だったため、収入が増えたとみなされてしまった。


急いで役所に掛け合ったが、窓口の担当者には、「お気持ちはわかりますが、こればかりはどうしようもありません。仕事を減らして生活保護の申請をするか、ご実家があるなら帰られては……?」と提案されてしまう。


山口さんは結婚を機に短大卒業後に母親の口利きで入社した金融系の会社を退職。父親が亡くなった後、母親が経営する化粧品販売会社を継ぐために戻ってきていた兄に誘われ、山口さんもやむなく母親が経営する会社を手伝っていた。


「実家に戻れば24時間365日母と一緒で、一生母の奴隷として生きることが確定し、私の精神が崩壊することは明らかでした。きっと、もっといろいろな人に相談すれば他の制度やサポートがあったのだと思いますが、当時の私は一人で抱え込み、離婚も計画性が必要だということを思い知りながら、がむしゃらに働きました……」


山口さんは母親の会社の仕事の他に、母親には内緒で日払いの夜のバイトを始めた。昼の仕事が終わるのが18時。その後夕食の準備をし、子どもたちと一緒に食べた後、20時から通常は23時、忙しいときは深夜1時まで働いた。


「長女のことは長男に頼んで働いていました。翌年長女が小学校に上がったのですが、ランドセルは入学式の2カ月前に半額セールで購入しました。長女に申し訳ない気持ちでいっぱいでした……」


■毒親がつくり上げた我慢体質


当時61歳の母親は、山口さんの離婚後、実家に身を寄せない山口さんに憤り、さらに強く当たるようになっていった。母親の会社を手伝っている手前、母親とは毎日顔を合わせる。


「あんたに実家は要らないんだね。私のことが必要ないなら親子の縁を切ろうか」


と口癖のように縁切り宣言をしてくる。


その度に山口さんは、「また始まった。本当にめんどくさい。縁を切りたいのはこっち方だし!」と思いながらも耐えた。


一方、元夫は離婚後、会社を辞め、行方をくらました。夫婦関係を破綻させた原因をつくった慰謝料はおろか、養育費さえも一度も払うことなく、子どもたちに会いに来ようともしなかった。


「元夫は、浮気をしたことも、仕事で集金したお金をギャンブルに使ってしまったこともありました。ボーナスは全てギャンブルに注ぎ込み、決して裕福ではないのに、車検が来る度に車を買い替えていました。私は付き合い始めた高校2年から、ただひたすら我慢していました。毒親育ちの特徴の一つである異常なまでの我慢強さが、全て悪い方へ働いたと思っています。『私が我慢すれば誰も悲しまず、平穏無事に終わる』と思っていましたが、我慢は結局、問題から逃げているだけでした。私は元夫や母親の言葉にこれ以上傷つきたくないから、反論せずに石のようになっていたのです」


写真=iStock.com/y-studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/y-studio

■人生を狂わせる連帯保証人


山口さんが結婚して母親の会社で働くようになる年の6年前。兄は20代後半で結婚し、夫婦で母親の会社を手伝っていたところ、兄嫁が里帰り出産をすることに。ひとり残った兄が母親に兄嫁いびりについて抗議すると、たちまち激しい口論に発展。そのまま兄は実家を出て、帰らなくなってしまった。


山口さんは離婚の翌年の仕事中、社長である母親から相談があると呼び出された。社長室に行くと、銀行の営業マンが来ている。母親は言った。


「兄ちゃんが帰ってこないからあんたが後継ぎになる。会社の運転資金を借りるから、連帯保証人のところに名前を書いて」


山口さんは言われるままに名前を書いた。


「毒親社長に育てられた私には、社長の言い付けにNOと言う選択肢は教えられていません。一体いくら借りるのか、毎月いくら返済するのか、何年で返していくのかなどという詳しい説明を求める勇気はすでにもぎ取られているため、躊躇しながらも名前を書きました」


この行動が自身を追い詰めることになるとは想像もしていなかった。


■心の崩壊


「母は、常に一番でなければならない“女王様”です。相当な自己中であるため、会社のスタッフやお客様ともよくトラブルを起こしていました。そのたびに“家来”の私は、謝罪や仲裁に奔走していました」


母親の前で山口さんを褒める人が現れようものなら、みるみる不機嫌になる。


「お願いだから、そっとしておいて。私を褒めないで。いつもそう思っていました」


しかし母親の会社で働き始めて約20年。ずっと反抗期もなく従順ないい子だった山口さん(当時43歳)だが、母親に振り回されてきた人生についに嫌気がさし始めた。言いつけを守らなくなっていく山口さんに苛立ちを感じた母親は、他の従業員をいじめ始める。いじめられた従業員は、耐えきれず辞めていく。


従業員に辞められて困るのは、穴埋めをする山口さんだった。求人を出して採用するが、母親は「勝手に採用した!」と激怒。採用したばかりの新人をいびり、1週間で追い出してしまう。ある新人が辞めた日。ドヤ顔で母親は言った。


「ほら見てごらん、すぐ辞めていったろ? あんたに見る目がないのが分かったか! あんな人を雇った責任はどう取るつもりかね?」


渋々謝罪する山口さんに、母親は畳みかける。


「口先だけで謝るのは簡単よ。土下座してもらおうか?」


大通りに面したガラス張りの店の中で、いつ客が来るか分からないという状況の中、山口さんは土下座した。山口さんが床についた自分の手を見ると、細かく震えていた。


しばらく土下座をしていた山口さんだが、母親が何も言わないので顔を上げると、母親は笑っていた。顔を上げ、立ち上がろうとした山口さんと目が合った途端、こう言った。


「あんたかわいいねぇ。抱いてあげる!」


母親は山口さんに抱きついた。山口さんに、そこからの記憶はない。


「長年、必死で保ち続けていた私の心は、この時に崩壊したのです……」


■拒絶反応


その日から山口さんの体に異変が生じ始めた。


母親の姿を見ると身体が硬直し、手は震え出し、唇は真っ青になる。めまいと吐き気に襲われ病院へ行くと、メニエール病の診断を受けた。その後も突発性難聴、自律神経失調症などを発症した。


それでも休むことなく働いていると、母親が「こんな利益じゃ給料は払えないし、銀行へ返済できない。もっと利益を出せ」と追い打ちをかける。


「母は私を含む部下に仕事を丸投げするようなところがあり、自分は気ままにカラオケやボランティアに精を出していました。それに不満を抱きつつも、私は全力で仕事に取り組んできました。私が、『社長も遊んでいる暇があるなら、少しは仕事をとってきてください』と言うと、『あんたは70過ぎたお婆さんに仕事させる気? お兄ちゃんは優しかったけど、あんたはひどいね』と都合の良いときだけ年寄りぶっていました」


そして連帯保証人になって一年も経たないある日のこと、再び銀行の営業マンが会社を訪問。「保証人さんも同席お願いします」と言われる。


話の内容はこうだ。


「会社の借入金の返済がきつい」と母親から連絡があったため、返済期間を延ばすのだという。疑問を感じた山口さんは、「この前の借入したお金はどうなったんですか?」と母親にたずねる。


すると母親は、「今まで会社のお金が足らないとき、私が立て替えて出してたから、(借入金は私の口座に)全部戻してもらってもうないよ」と平然と答える。本当に立て替えたのか、いくら立て替えたのか。すべては藪の中だった。


「え? もうない? ないのに返済が苦しいからって、月々の返済額を減らして返済期間を延ばす……? 70歳を過ぎた母親の借金の返済期間を延ばすことができるのも、私という連帯保証人がいるからできることでしょうけれど、意味が分かりませんでした」


連帯保証人になった手前、自分にも関わる話だからと、山口さんは勇気を振り絞って質問や意見をしてみたが、「あんたは経営者じゃないからわからんのよ。たかが雇われ店長のあんたにはわからん」と一蹴された。


写真=iStock.com/Panuwat Dangsungnoen
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Panuwat Dangsungnoen

■再婚と絶縁


山口さんが44歳になったとき、長男は就職し、長女は高校生になっていた。山口さんはふと、これからの自分の人生を考えてみた。


「子どもたちが巣立っていけば、私は一人になる。それは寂しい。子どもたちがいなくなれば、私は実家に呼び戻されるかもしれない。再婚した方がいいのではないか……」


そう思った山口さんは、結婚紹介所に登録してみることに。登録から1カ月後、男性を紹介された山口さんは、何度か面会するうちに、その男性との再婚を決意する。


そんなある日の仕事終わりに、山口さんは母親に切り出す。母親には結婚紹介所に登録したことも交際を始めたことも伝えていた。


「あの……私、再婚したいと思っています。(再婚相手が)今度のお休みに挨拶にきたいと言ってるんだけど、大丈夫?」


すると母親はすごい形相をしつつもうなずいた。そして当日。予約したレストランへ男性と向かう。山口さんの母親が待つテーブルにつくと、「初めまして。この度……」と男性が挨拶を始めた途端、母親はそれを遮った。


「あなた、うちの借金がいくらあるか知ってるの?」


瞬時に「破談にする気だ」と察した山口さんは、母親を止めようとする。しかし男性は平然と答えた。


「はい。聞いています」
「へぇー……じゃあ、あなたが払ってくれるわけ?」


山口さんが「あ〜、もう終わった……」と思って下を向くと、「はい。僕も協力したいと思っています」と男性は毅然(きぜん)として言う。


母親は一瞬面くらい口ごもったが、


「はいはい、どうぞ勝手に結婚でも何でもしてくだい。あんたらは幸せになればいい。私は一人で生きていきます。親子の縁を切りましょう。あ、それからあんたクビね」


と言って山口さんをにらみつける。


「母はお得意の『親子の縁を切る』を持ち出せば、私が結婚をやめると思っていたのでしょう。今までずっとそれで言うことを聞いてきたから。でもさすがの私ももう限界でした。悩むことなく私は『絶縁とクビ』の方を選びました」


その瞬間、激昂した母親はレストランという場所だということも忘れ、一方的に山口さんを罵倒する。


「どこの馬の骨ともわからん人を急に連れてきて、今まで育ててもらった恩も忘れて! あんたは自分のことしか考えてない! あんたがどんなに悪い人間か、私がこの人に教えてやろうか? あんたは子どもたちと私を不幸にした! あんたは人を不幸にする! あんたはクビだ! いつ出ていく?」


言うだけ言うと母親は、一人で立ち去っていった。


「母はもともと破談にする計画だったのでしょう。家出した兄の代わりに家業を継ぎ、会社の借金の連帯保証人にさせられ、必死で働いてきた22年間は一体何だったのでしょう?」


母親の車が去っていくのを呆然と見届けたあと、男性の車に乗った山口さんは、子どものように声を上げて泣いた。その日は山口さんの45歳の誕生日だった。


■山口家のタブー


筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つがそろうと考えている。


結婚が認められないからといって駆け落ちした山口さんの両親は、間違いなく短絡的だった。一時的に燃え上がった2人の熱は長続きせず、山口さんが物心ついた頃には仲が良いとは思えない夫婦に成り果てていた。


また、菓子工場で働いていた父親とその工場の娘だった母親は、全く畑違いの会社を夫婦で始めたが、山口さんの話では、事業がうまくいっていたとは言い難かったようだ。そのことも夫婦仲悪化の要因になっていたと思われる。


子ども嫌いの母親は育児にわれ関せずで、化粧品販売の仕事に夢中。父親は建設会社を経営しながら子育てを担うが、多くの家庭では子育てを主に担うのは母親だ。おそらく父親では、母親同士のコミュニティには入れなかっただろう。


自己中心的で、化粧品販売の仕事に夢中な母親も言わずもがな。山口家は社会から孤立していた。だから山口さんは、自分の家庭や母親が他と違うことに気付くのが遅れてしまった。


母親の異常性に気付く大きなきっかけとなったのは離婚だった。離婚後に母親から離れ、小さなアパートで暮らすことを選んだこと。母親に内緒で夜の仕事を始めたことが、山口さんにとって母親から自立する大きな転機となったに違いない。


自分の力で子ども2人を養い、育てていく中で自信がつき、従業員やお客さん相手に好き勝手に振る舞う母親を目の当たりにするうちに、この人は「おかしい」「異常だ」と感じる自分の感覚が確信に変わっていったのではないだろうか。


■毒の連鎖


現在山口さんは、母親と絶縁し、自分で美容関係の会社を経営している。「絶縁とクビ」を選んだ山口さんは初めての起業。不動産屋を回り、資金調達方法を考えた。


だが、その道を阻んだのは、母親の会社の借金の連帯保証人になっていたことだった。


独学で起業の勉強しながら事業計画書を作り、4軒の銀行と商工会議所に融資を依頼しに行ったが、「連帯保証人になられているので、これ以上の融資はできません」とすべて断られてしまう。


一方では支払いを滞る母親のせいで、銀行からの督促電話は毎日のようにかかってくる。山口さんは鬱になりそうだった。


らちが明かないため山口さんは、市外にある銀行まで行って相談。すると、その銀行の支店長は連帯保証人になっていることを知った上で、「信用商売なので嘘はなしにしてください。あなたを信じます」と言って500万円の融資を受け入れてくれた。そのお金で山口さんは母親の会社の負債を一部負担。晴れて自由を手に入れることができたのだ。



旦木瑞穂『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)

「今思えば正常な判断ではなかったと思います。そのときはただ、母との関係がこれで終わるなら。この取り立てから逃れることができるのなら。それしかないと思ったのです。結果私は500万円の借金を背負いましたが、自由と子どもたちを金銭トラブルに巻き込まなかったこと、起業して得た仕事と再婚した夫との静かな暮らしを得られました。絶縁した母が失ったものは計り知れないと思います」


4年前にはその500万円も完済した山口さん。子どもたちは成人し、それぞれ結婚して幸せに暮らしている。自身は50代となって心が平安になった今、母との関係をこう振り返る。


「私の母は毒母ですが、それでも私は母のことが好きだったんだと思います。嫌われたくない。愛してほしい。幼い頃は必死でした。それは私が大人になって、母の言動に嫌気がさしても変わらなかったのでしょう。母の機嫌をとるために、連帯保証人の欄に名前を書いてしまいました」


山口さんいわく、母親の5人の姉妹たちは全員毒母となっており、現在も毒の連鎖が続いているという。おそらく母方の祖父母も毒親だったのだろう。


「毒親育ちの私ですが、私は子どもたちを毒牙にかけず、無事に育てられたかな……? これからも遠くから見守っていきたいと思います」


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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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