なぜ有楽町駅前の「銀座インズ」には住所がないのか…東京・銀座に広がる「6000坪の番外地」の正体

2024年3月6日(水)13時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/georgeclerk

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東京・銀座には約6000坪もの住所不明の土地が存在する。なぜそれだけの番外地が生まれたのか。筑波大学名誉教授の谷川彰英さんの新刊『増補改訂版 東京「地理・地名・地図」の謎』(じっぴコンパクト新書)より、一部を紹介する——。(第2回/全2回)
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■関東大震災と東京大空襲で姿を変えた


太平洋戦争の空襲で焼け野原となった東京は、その後、高度成長期へと突入し、めざましい復興を成し遂げる。国の威信をかけたオリンピックというビッグイベントも手伝って、街は大きく姿を変えていく。


明治時代から近代化の先端をいく存在だった銀座もまた、大変貌を遂げることとなった。もともと銀座一帯は、江戸時代に埋め立てられてできた土地で、そこに川や堀をつくって巡らせ、廻船を使って物資を運び込んでいた。


しかし、この水運によるにぎわいは、鉄道や車などの陸上交通が発達するとともにすたれていくことになる。三十間堀川、京橋川、汐留川、さらには江戸城の外濠(そとぼり)など、いくつもあった川や堀は、つぎつぎに埋め立てられていった。


出典=『増補改訂版 東京「地理・地名・地図」の謎

最初の変貌は、1923(大正12)年の関東大震災のあとに訪れた。震災で出た膨大な灰燼の処理に困り、川や堀に投げ込んだのである。


そして決定打となったのが、東京大空襲だ。銀座界隈で焼け残ったのは服部時計店(現・和光)、松屋、松坂屋くらいで、大半は焦土と化し、結果、大量の瓦礫が至るところに積み上げられた。行き場もなく復興の妨げとなった瓦礫は、近くを流れる川や堀へとつぎつぎ投げ捨てられたのだ。


■なぜ銀座に「○○橋」という地名が多いのか


水辺の景観が失われたばかりか、水は淀みひどい悪臭を放つようになり、衛生面の問題も生じたため、本格的に埋め立てられることが決まったのである。舟が通れず、もはや浄化も困難であることから、「不要河川」と判断されてとられた策だった。


さらに、東京でのオリンピック開催が決まると、それに向けて準備が進むなか、わずかに残っていた一帯の河川も埋め立てられて、代わりに道路が整備された。


こうして、川や堀を舟が行き交い、橋のたもとには柳が揺れる江戸風情は過去のものとなったのである。たしかに今の銀座を見ても、橋も架かっていない場所に、呉服橋、鍛冶橋など「○○橋」という地名がたくさん残っている。


ラジオドラマ「君の名は」により、全国に名を馳せた数寄屋橋も同じ憂き目にあった橋である。1952(昭和27)年から2年間放送され、のちに映画化もされた男女の運命を描いたドラマだ。空襲の最中、主役の男女が出会い、再会を約束した場所が、数寄屋橋だった。数寄屋橋の名は、交差点名として今に残され、その面影は、近くにある小さな公園には「数寄屋橋」と書かれた碑でしか確認できない。


■約6000坪もの土地の住所が未定のまま


銀座界隈の変貌ぶりは、当初、未来都市のシンボルとして好意的に見る人が多かった。川や堀の埋め立てによって生まれた土地は、売却され、戦後の復興事業にひと役買ったし、1960年代の高度成長期には、その頭上が高速道路のルートにもなり、銀座を大きな街に成長させてきたことはたしかである。


しかし、この発展に問題がなかったわけではない。今に至るまで引きずり続けている現実的な問題が存在する。それは、東京の一等地にもかかわらず、住所がない場所が生まれたことである。外濠と汐留川の埋め立てによって誕生した約6000坪もの土地の住所が未定のままなのである。


番外地が生まれてしまったのには訳がある。


埋め立て前の外濠は、濠の中央部分で中央区と千代田区を分ける境界線として使われていた。一方の汐留川も、川を挟んで中央区と港区の境界としていた。水が流れていたころは、当然ながら、そこに住所を定める必要はない。


ところが埋め立て地ができたことで、話がややこしくなる。


「それは昔の話だろう。どこに区境を引くか決めればいいだけのことではないか?」と簡単に思うかもしれないが、土地の帰属問題は難しいのが常である。区と区の話し合いが何度も持たれたが、なかなか合意に達しないまま、今日まで時間が過ぎてしまっている。結局その間、住所不明のままなのである。


出典=『増補改訂版 東京「地理・地名・地図」の謎

■「所属する区」は建物のオーナーが選べる


もちろん、住所不明だからといって、こんな一等地を空き地にしておくはずもない。中央区と千代田区の境には銀座インズや銀座ファイブ、NISHIGINZA、中央区と港区の境界には銀座ナインなどのショッピングセンターが入っている。


住所がなければ、所属する区も未定なわけで、この土地にある店舗が、土地の管理や税金の支払いなどの行政上の手続きを、どうしているのか不思議である。


じつは、建物のオーナーが、いずれかの区を選び、住所登録を自己申告している。たとえば、銀座インズの場合、「銀座西二丁目二番地先」というように、「銀座西」という実際には存在しない地名を便宜的に利用している。


さらに、こうしたショッピングセンターの名称には、地名のブランド力の変遷もあらわれていておもしろい。


1958(昭和33)年に開業した銀座インズは、当時「有楽フードセンター」であり、「千代田区有楽町○番地」と名乗りを上げていた。フランク永井の「有楽町で逢いましょう」が大ヒットし、有楽町があこがれのデートスポットとして注目されたころのことである。銀座インズとなったのは、1990(平成2)年である。


銀座インズは「銀座西二丁目二番地先」という実際には存在しない地名を便宜的に利用している(写真=Kentin/CC-BY-SA-3.0、2.5、2.0、1.0/Wikimedia Commons

銀座ナインについても、1961(昭和36)年に開業したときは、「SC新橋センター」という名の商店街だった。しかし1985(昭和60)年、銀座に新たに九丁目をつくるという意味をこめて「ナイン」に生まれ変わったのである。


それまで弱かった銀座という地名ブランドが、大きな意味を持ってきたことがわかるだろう。


■大雨が降るたびに、渋谷の一帯が水浸しに…


渋谷もまた、高度成長期に大きく姿を変えた街のひとつである。


東京オリンピックに向けての準備が急がれた際、都内の各所で川をふたで覆い、その上を道路とする(暗渠(あんきょ))策が進められたが、渋谷もそんな工事が行なわれたエリアである。


ふさがれた川は渋谷川。新宿御苑や明治神宮の池の水などが流れ込み、宇田川などと合流して渋谷へと至る川である。地下に隠れてしまったため、あまり知られていないが、実際に今も存在する。暗渠となったあとも、渋谷駅の南側にある稲荷橋のところで再び姿をあらわし、恵比寿駅の方向へ流れている。


暗渠となった背景のひとつには、渋谷の地形が関係している。


道玄坂、スペイン坂、宮益坂など、渋谷には坂が多く、渋谷駅からどこへ向かうにも坂を登らなければならない。駅周辺がすり鉢状の底にあたる地形だからだ。それゆえ、かつては大雨が降るたびに、渋谷川の水があふれ、一帯が水浸しになるという問題があった。


そこに高度成長の波が押し寄せ、渋谷川で水質汚染が進み、悪臭を放つようになった。


こうした状況を受けて、渋谷川ではコンクリートによる護岸工事が行なわれ、川の上にふたがされたのである。キャットストリートは、かつては渋谷川歩道と呼ばれた通りで、暗渠となったのは1961(昭和36)年ごろのことだ。


■銀座線の渋谷駅が地下鉄なのに地上にあるワケ


渋谷のこの特異な地形は、今日のユニークな街を生んできた。


たとえば、東急百貨店東横店。2013(平成25)年3月に東館、2020(令和2)年3月に西館・南館も閉館してしまったが、ここは川の上をまたぐように建てられた珍しいデパートだった。渋谷川が流れているため、地下一階の売り場がなかったのである。



谷川彰英『増補改訂版 東京「地理・地名・地図」の謎』(じっぴコンパクト新書)

また、銀座線の渋谷駅が地下鉄でありながら、地上三階に設けられたのも、この地形のためである。銀座線はいち早く戦前に開通し、比較的地下の浅いところを通っている。渋谷まで路線を延ばす際、大きく勾配をつけて谷底をくぐらせるより、あまり高さを変えずに地上を走らせるほうが、コストも安く、かつ容易だったからだ。


結果、渋谷駅では地下鉄銀座線が地上の三階で、その下(二階)にJRが走るという不思議な状況が生まれたのである。


渋谷駅周辺は現在も再開発が進められている。東急東横線は渋谷駅と代官山駅の間の約1.4キロが地下化し、2013年3月、渋谷ヒカリエ地下五階に東横線の渋谷駅が移って、副都心線との相互直通運転が始まっている。渋谷の変貌はまだまだ続いている。


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谷川 彰英(たにかわ・あきひで)
筑波大学名誉教授、元副学長
地名作家。1945年、長野県松本市生まれ。千葉大学助教授を経て筑波大学教授。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学退職後は地名作家として全国各地を歩き、多数の地名本を出版。2019年、難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されるも執筆を継続。主な著書に『京都 地名の由来を歩く』(ベスト新書、2002年)に始まる「地名の由来を歩く」シリーズ(全7冊)などがある。
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(筑波大学名誉教授、元副学長 谷川 彰英)

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