「いい子ぶってると思われたくない」とボランティアをためらう中学生を動かした"校長先生のお話"の意外な内容

2024年3月14日(木)14時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/webphotographeer

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教育界には「きずな」や「心」といった言葉が溢れている。横浜創英中学・高等学校校長の工藤勇一さんは「心の教育は一見わかりやすいようだが、抽象的で曖昧だ。麹町中の校長時代、この曖昧さと向き合うことが大切だと考えて、全校集会での講話をしたことがある」という——。

※本稿は、工藤勇一『校長の力 学校が変わらない理由、変わる秘訣』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。


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■教育界にあふれる「きずな」「心」という言葉


教育界には、「きずな」「心」「和を大切にする」といった精神主義的な言葉が溢れています。それらはいかにも抽象的で具体性を欠いており、教育についてはもっと具体的に課題を認識する必要があると私は考えています。


日本の教育に浸透しているこうした「心の教育」は一見するとわかりやすいようですが、よく考えてみると「心」という一字がいったい何を示すのか抽象的で曖昧です。何かを伝えているようでいて何を示しているかがわかりにくい。そのため、心の教育を大事にしていることの意味を忘れてしまいがちです。


良い行動ができる人になること。


それが教育の目標であり、心の教育がめざすところでしょう。


目標を実現するために、心を鍛えているのです。心の教育は、言ってみれば手段にすぎません。


しかし教育の場ではなぜか、心が一番大切なことのように扱われがちです。


そう、目標と手段とが入れ替わってしまうのです。


僕は麹町中の校長時代、この曖昧さと向き合い、曖昧な部分をきちんと言語化していくことが大切だと考えました。


■全校集会での講話をコラムとして配布


そこで、全校集会でどのような話をしようかと考えて、ある時「心と行動、どちらが大事か」というテーマを取り上げました。


修学旅行で奈良・薬師寺を訪ねた時に聞いたエピソードから話を始めてみました。みんなの記憶に残っている具体的なエピソードが一番、生徒たちの興味をかきたてるからです。


話をする時は「どのような話題から入っていくのか」という筋立て・構成も、伝える工夫としてとても大事です。使う言葉や話のテーマ設定と同じくらい、時間をかけて考えるべきです。


また、話をしたらそれで終わりではなく、僕が考えていることを伝えるために、さまざまな発信の工夫をしました。


そのひとつとして、配布したのがコラムです。講話の内容をあらためてコラムの文章にまとめて全保護者に配りました。全校集会ごと、継続的にコラムを配布し続けたのです。


その理由は簡単です。


学校に赴任した最初の頃は、僕がいったい何者か、校長として何を考えているのか、皆さんはまったく知らない。そのため僕から積極的に発信することが必要でした。


今ならば、ちょっとネット検索すれば僕のインタビュー記事や書籍紹介等も見つかるので、工藤という人間がどんな考えを持っているかわかるかもしれません。しかし、麹町中学に赴任した当時は、他校から突然やってきた見知らぬ一人の校長にすぎません。


■教員たちにも価値観の揺らぎを与える


また、もうひとつの理由は、一人ひとりの中に、価値観の揺らぎを作って、本質的なことを見つめるきっかけを作りたかったことです。特に子どもたちが教員とか保護者から影響を受けてきた価値観に対し、揺らぎを与えることができます。


同時に、生徒たちと一緒に僕の話を聞いている教員たちに対しても、価値観の揺らぎを与えることも重要です。校長と正反対のことを言うと、「えっ、違うよ」という生徒からの反応があるわけです。こうして教員が日常使う言葉が洗練され、意識も改革されていくわけです。


写真=iStock.com/mapo
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ここで、麹町中で配布したコラムを紹介しましょう。


■麹町中で配布したコラム「心と行動、どちらが大事か」


「心と行動、どちらが大事か」(文責)校長 工藤勇一


《先日の3年生の修学旅行において、奈良の薬師寺の僧侶の方がこんな話をしてくれました。


「心の持ち方、あり様によって行動が変わり、行動を変えると心を変えることができる。」と。


具体的にはこんなニュアンスのお話だったでしょうか。


「『面白くない、つまらない』と思って授業を受けていると、ついつい頭が下がり、居眠りしてしまったりする。それは、自分の中にあるぐうたらな心が自分の行動をそうさせているのだと。しかし、たとえ、寝不足などで体がひどく疲れきっていたとしても、無理やりにでも姿勢を正し、頭を上げ、顔をしっかり意識して向けていくことによって、元気な心が生まれてくる」


心が行動を決め、行動は心を変える。薬師寺でのお話は心と行動の密接な関係を捉えたとても興味深いものでした。


さて、人は時々「心」にこだわることがあります。特に中学生ぐらいの年代は、自分の心のあり様がとても気になる時代です。自分を見つめ、自分の生き方を深く考える。それは、自分を成長させるためにとても大切なことです。素敵なことだと思います。


しかし、心にこだわりすぎると、善いことをしようと思っても、人目を気にするあまり、臆病になってしまうことがあります。実際せっかく善い行動をしても、「本当はあの人、優しくないのにね」「いい子ぶっているだけだよ」「結局、内申のためだよね」など、否定的に捉える言葉が聞こえてくることがあるのも残念ながら人の世の現実です。


しかし、ここでよく考えてみましょう。ここに、まったく正反対の二人がいるとしましょう。一人は「心の底から優しいことをしたいと思っているのに人目を気にするあまりできない人」。そしてもう一人は、「決して純粋な理由ではないけれど、善いことを行っている人」です。


さて、どちらがより人として価値があるのでしょうか。


人は行動の積み重ねでこそ評価されていくものだと私は思います。そもそも人の心の中など簡単にわかるのでしょうか。私などは自分の心さえ、よくわからないところがあります。誰しもきっとそんなものだと思います。だから生徒の皆さんに言いたい。


「善い行いをしている人をけなしたりしないで。そして、善いと思うことは、できる限り行動に移そうよ」》


■「いい子ぶっている」と思われたくないからボランティアをしない


心の持ち方や心のありようで行動が変わる。行動を変えると心を変えることができる、ということは日常の中でよく聞く話でしょう。しかし、そこで終わらずに、「心」の曖昧さについても深く考えて伝えてみたい、と僕は思いました。


人は心にこだわる生き物だ。


特に中学生は自分を見つめて迷ったりする。


深く考えることは成長のために素敵だけれど、でも心にこだわりすぎてしまうとどうなるだろうか。


例えば、ある生徒は心の中で「ボランティアをしたい」と思っていた。しかし、まわりから「いい子ぶっている」と言われたくない。そんな気持ちもあって悩んだ。結果として、「ボランティアをやらない」ということを決めた。


もう一人はその逆で、内申書や受験に有利になる、と考えて毎日ボランティアを続けた。


さて、君たちはどっちの子が好きですか?


僕は全校集会で、生徒たちに問いかけました。


すると大半の生徒が「いい子ぶっていると思われたくなくて、ボランティアをしない子のほうが好き」と手を挙げました。


「そうか、なるほど。振り返ると僕もそうだった頃があるなあ」と伝え、すぐに「でも、どうなんだろうか」と投げかけました。


■本質的な問いや価値観が子どもの心を揺さぶる


「純粋な理由からではなくボランティアを一生続けた人間と、売名行為だと思われたくなくてボランティアをしないまま死んでいった人間がいる。さあ、どっちの人の行動に価値があるかな?」


問いかけると、子どもたちは急に迷い始めるわけです。


僕はさらに聞きました。


「他人の心の中って見えるだろうか? その前に、自分の心だって見えないと僕は思うんだよね。例えば電車の中でおじいちゃん、おばあちゃんに時々座席を譲ることがあるんだけど、それは思いやりの心があるから譲ったのか、いい人ぶりたくてやったのか、今の僕ですらよくわからないんだね。自分のこともわからないのに、人の心の中のことなんかわかるだろうか?」


と正直に問いかけました。


写真=iStock.com/Maron Travel
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Maron Travel

校長の僕は、当時50代の後半です。その校長が「自分の心すらわからないんだ」と言うわけです。その時、子どもたちは「人間の本心に触れた」という実感を受ける。


うわあ、自分たちに向かって本当の自分の気持ちを言っているんだな、と直感するのです。


これまでの人生では聞いたことのない本質的な問いや価値観と出会うと、子どもたちは心を揺さぶられます。


「心の教育が大事、心を大事に」と繰り返し聞かされてきたけれど、自分の心がよくわからないと校長先生から言われて考え始める。


学校を変えていく時には、一人ひとりが自分の価値観を揺さぶられる体験をしなければなりません。


揺さぶられるところから、変化は始まるのです。


■生徒たちが堂々とボランティアに参加するようになった



工藤勇一『校長の力 学校が変わらない理由、変わる秘訣』(中公新書ラクレ)

僕は話の最後に「僕は行動こそ価値があると思う。麹町中は心がどうのこうのじゃなくて、良い行動を続けられる学校でありたい。ボランティアの日に多くの人に参加してほしい。麹町中が、行動に価値があることを知っている生徒たちでいっぱいになってほしいからです」と締めくくりました。


それ以降、多くの生徒たちが堂々とボランティアに参加するようになりました。以前は参加したいけれど迷っていたり躊躇していたりした子どもたちが、誰にも気がねすることなくどんどんボランティアに集まってきました。


こうした語りかけは「ボランティアに参加しなさい」と上から指示するのとは大きく違う。そのことがおわかりいただけたでしょうか。


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工藤 勇一(くどう・ゆういち)
横浜創英中学・高等学校校長
1960年山形県鶴岡市生まれ。東京理科大学理学部応用数学科卒。山形県公立中学校教員、東京都公立中学校教員、東京都教育委員会、目黒区教育委員会、新宿区教育委員会教育指導課長等を経て、2014年から千代田区立麹町中学校長。2020年4月1日より横浜創英中学・高等学校校長。教育再生実行会議委員、経済産業省「未来の教室」とEdTech研究会委員等、公職を歴任。著作に『学校の「当たり前」をやめた。—生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革』(時事通信社)、『子どもが生きる力をつけるために親ができること』(かんき出版)など。
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(横浜創英中学・高等学校校長 工藤 勇一)

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