なぜテレビは万博を「美談」で誤魔化すのか…元テレ東社員が指摘する「大阪万博と東京五輪」の不気味な共通点

2024年4月27日(土)10時15分 プレジデント社

テレビ朝日「万博の太陽」公式ウェブサイトより

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1970年の大阪万博をテーマにしたテレビドラマ「万博の太陽」(テレビ朝日)が放送され、SNSでは「なぜいま万博を賛美するのか」などの指摘が相次いだ。元テレビ東京社員で桜美林大学教授の田淵俊彦さんは「万博や五輪などの国家的イベントは、美談と感動の物語を作りやすい。制作者はスポンサーに喜ばれ、視聴率が獲れると考えているのだろうが、視聴者には見透かされている」という——。

■万博ヨイショ番組と揶揄された「万博の太陽」


3月24日に放送されたテレビ朝日開局65周年記念ドラマプレミアム「万博の太陽」は、1970(昭和45)年にアジアで初めて開催された日本万国博覧会(大阪万博EXPO'70)をテーマにしたドラマである。中園ミホ氏がオリジナル脚本を書き下ろし、主演を橋本環奈氏が務めた。


テレビ朝日「万博の太陽」公式ウェブサイトより

東京の下町生まれのヒロインが1964年の東京オリンピックをみて、「世界中の人たちとつながりたい」という思いを抱き、大阪万博のコンパニオンとして働くことを目指す。番組ホームページによると、「ヒロインの青春と、その家族の物語を心温まるタッチで描き上げるヒューマン・ホームドラマ」だ。


テーマが万博であったため、SNSなどでは「なぜ2025年に大阪で開催予定の大阪・関西万博の問題が山積み状態とバッシングされているこの時期に、テレビ局はこんな『万博ヨイショ番組』を放送したのか」という批判も散見された。


そこで今回は、ドラマ「万博の太陽」を糸口にして、ドラマが「なぜ」「どうやって」企画され作られるのかを解き明かしながら、テレビ局の世間の感覚とはかけ離れた「特異な構造」や「特性」を浮き彫りにしてゆく。


まず、最初に言っておきたい。視聴者が「なぜこの時期に?」や「政府のプロパガンダでは?」と思うだろうことは、テレビ局は百も承知だ。つまり、「わかっていてやっている」のである。その原因は、以前、私が「プレジデントオンライン」で指摘してきたテレビ局の性癖とも言うべき最近の悪しき傾向にある。


そう、その傾向とは「マネタイズ」である。


■ドラマを量産したがるテレビ局の意図


「黒船」のごとく日本に上陸した外資系配信プラットフォームと争うことを断念し、「共存」への道を選択したテレビ局は、いま必死に生き残り策を模索している。そんななか、「カネ」を稼いでくれる優良コンテンツとなったドラマをいかに量産してゆくかが、企業としての勝敗を決める重要な要素となった。


配信にコンテンツを回して手っ取り早く金儲けするためには、“安く”“多く”作るのが一番だ。そうなると、もともと少ない制作費で番組を作っていたテレビ東京は有利だ。事実、テレ東は深夜ドラマを多く生み出し、本数を稼いでいる。


このような事情から「1時間ドラマ」が増加傾向にある反面、2時間規模の単発ドラマは少なくなっている。単発ドラマは視聴習慣につながりにくく、配信にまとめて売ることもままならないため、効率が悪いと考えられているからだ。


しかし、冒頭で触れた「万博の太陽」は通常のドラマより制作費がかかる2時間ドラマだった。なぜわざわざ効率が悪い2時間ドラマにしたのだろうか。これを考えるにはドラマに冠された「開局記念番組」という仕組みを理解する必要がある。


写真=iStock.com/ppengcreative
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ppengcreative

■「普通のドラマ」と「開局記念ドラマ」の違い


これはテレビ局にとっては重要な戦略の一つになっている。「開局記念番組」は通常の単発ドラマより多くの制作費が投入されることが多い。その額は、ドラマの場合は数億円規模になる。そしてそれだけ「制作費をかけられる」ということは、それ相当の売り上げをスポンサーから得ることができることを意味している。


今回のドラマ「万博の太陽」もテレ朝の「開局記念番組」である。視聴者が「なぜ2025年予定の万博が問題になっているこの時期に、『万博ヨイショ番組』をやるのか」と感じることをわかっていながら放送するのは、「営業利益」をあげるために他ならない。


単発ドラマが激減する状況のなか、「開局記念番組」という大義名分にのっとって堂々と金儲けができる。そんな旨い話をテレビ局が放っておくわけがない。それが最初に私が今回の番組化の原因として「マネタイズ」を挙げた理由である。


■「美談」と「感動」はスポンサーが喜ぶと思っている


昨年の2023年は、民放で最初に開局した日本テレビの70周年であった。11年遅れて開局したテレビ東京も今年60周年を迎えた。各局の「開局記念番組」は目白押しだ。しかも、「周年期間」にはバッファがある。


例えばテレ東の場合は2024年4月〜2025年3月が開局60周年にあたるが、放送としての期間は2023年10月〜2025年3月と半年間多く設けている。その間に放送すれば(もちろん、すべての番組ではなく“選ばれた”番組だけだが)「開局記念番組」という「冠」をつけてスポンサーに高く売ることができるというわけだ。


しかし、読者は疑問に思うかもしれない。なぜテレビ局は、賛否両論が巻き起こる万博をテーマにしたドラマを企画・制作したのだろうか。


今回のドラマのテーマは1970年の大阪万博だが、テレビが“国を挙げての”イベントを番組を通じて盛り上げる同様の手法は、過去のオリンピックでも頻繁におこなわれた。


■万博も、五輪も根っこは同じ


オリンピック時期の番組は選手にまつわる「美談」や「感動」一色で、マイナスイメージを伴う内容が流されることはない。映像のインパクトは強いため、見ている視聴者にも感動は伝播し、共感が広がる。そして高い視聴率につながる。多くの視聴者が見る番組のスポンサーは宣伝効果があったと喜ぶ。


テレビが「美談」や「感動」といったプラスイメージだけを放送するのは、視聴率を取って提供スポンサーを喜ばせるためだ。


そう考えると今回のドラマも、過去の万博をテーマとしているとはいえ、2025年万博を盛り上げようとしている企業に「開局記念番組」として提案するのにふさわしい内容であったと言えるだろう。社内の企画選定のおりにも、「これならスポンサーがつきやすい」と競合企画を跳ねのける充分な要素になったであろうことは、想像に難くない。


EXPO 2025 大阪・関西万博公式Webサイトより

■「開局記念番組」という「冠」の効果


目線をスポンサー側に移してみたい。彼らにはどんなメリットがあるのか。スポンサーはなぜ、通常より高めの「開局記念番組」のCM枠を買おうとするのか。それも賛否両論が巻き起こる万博をテーマにした番組を、という疑問だ。


まずは「視聴率が獲れると踏んでいるから」という答えが浮かぶ。だが、いまの地上波に視聴率を見込める番組はめったにない。結果的に「万博の太陽」のALL視聴率(個人全体視聴率。テレビ視聴率の主な指標となっている)は3.2%と、裏番組の「全日本高校先生クイズ」(TBS)や「家、ついて行ってイイですか?」(テレ東)よりも低い数字だ。


記念番組だからと言って、スポンサーが視聴率を度外視しているわけではない。だが、スポンサーが求めているのは「視聴率だけではない」。むしろ、視聴率と異なる基準で「CM枠を買うか、買わないか」を判断していると言ってもいい。


それは、「放送文化を支えよう」という考え方だ。


長年、テレビ局の営業幹部を務め、番組スポンサーである企業と直接向き合い、「テレビ局とスポンサー」の関係値を知り尽くしている人物に話を聞いた。彼は、「企業は大手のメディアを大事にし、トップ企業になるほどその意識は高く、テレビ局が力を入れているもの(番組や取り組み)にはおつき合いしよう(広告を出そう)としてくれる」と語った。


■高い広告費でもスポンサーが集まる


こうした傾向は、外資系企業より国内企業のほうが強く、テレビ局の営業担当と企業の宣伝部長との間の信頼関係によって成り立っている。両者の関係の深さは、以下の元テレビ局営業幹部の証言からもうかがえる。


「各局の周年が近くなると、企業の宣伝部長も気にして、『開局記念番組』を提供するための広告予算を確保しておいてくれる」。それが、「開局記念番組」という通常より高めのCM枠を企業が購入する動機になっているという。


もちろん、企業側にもメリットがある。「開局記念番組」を支えられるだけの力がある企業であるという自負とアピールである。そして巨額な制作費を投入した番組は当然、クオリティがいい。そんな番組の間に流れる企業のCMも引き立つというわけだ。


写真=iStock.com/Rui Xu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Rui Xu

■ステレオタイプな「成長物語」に対する違和感


では、なぜ視聴者に「万博ヨイショ番組」と思われてしまったのか。


今回の「万博の太陽」の番組提供はNTT、サントリー、トヨタ、花王、明治、IHI、大正製薬と大手のナショナルスポンサーがずらりと顔を揃えている。2025年万博のスポンサー企業であるくら寿司や大和ハウス、パビリオンを出展するアサヒグループなども提供クレジットに名を連ねている。これだけ「万博色」が強ければ、「万博ヨイショ番組」と思われるのも当然だが、それは直接の理由ではない。


はっきり言おう。それは、制作サイドの問題だ。


視聴者に偏重した主義・主張の番組だと思われないためには、企画を選んだ編成セクションがその内容やクオリティをコントロールする。今回の場合も「世界への憧れを胸に、夢に邁進したヒロインと家族の物語!」とキャッチフレーズされているように、編成は「あの古き良き時代を回顧しながら描くのだから問題ない」と判断したはずだ。「ヒューマンドラマ」という要素も企画決定の追い風となっただろう。


しかし、世間の受け捉え方は違った。ここに作り手の「誤算」がある。


作品の内容はあまりにも「ステレオタイプ」過ぎた。「お見合いを繰り返すが、うまくいかない女性」が自分の夢をあきらめずに頑張る「成長ドラマ」を描きたかったのだろうが、「頑張る」という部分が消化不良で、「主人公は結局運がよかっただけでは?」と思ってしまった視聴者も多かったのではないだろうか。


■「一方的な意見の押しつけ」に視聴者は辟易している


「昭和感」を出す演出においても中途半端さが否めない。唐沢寿明氏の演技は見事で安心して見ていられたが、話題を呼んだドラマ「不適切にもほどがある!」を意識し過ぎたのか、「女は早く結婚して元気な子どもを産め」「女は世界のことなんか知らなくていい」など、「男女差別」だけを一辺倒に描く表現が視聴者にとって鼻についた可能性は否めない。


一番の欠点は、万博への想いの描かれ方である。


「主人公の万博へのあこがれ=皆のあこがれ」という紋切り型のロジックで話が展開されてゆくため、どうしても見てゆくうちに「万博のよい面だけを強調されている」ような気持ちになってくる。それが、視聴者にとって「一方的な意見の押しつけ」に思えて、共感を得られない原因となったのではないか。


写真=iStock.com/danieldep
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/danieldep

■無意識に芽生えるスポンサーへの忖度


以上に挙げたような番組内容における「負の要素」が積み重なって、視聴者に「国策ドラマ」という印象を与えてしまった恐れがある。


いま、こういった局の意向と制作現場の実務との乖離が顕著になってきている。その理由は大きく3つ挙げられる。


①制作現場の能力やスキルが落ちている
②制作現場が忙しすぎる
③制作者側がスポンサーに対して忖度もしくは迎合をおこなった


①はこれまでプレジデントオンラインで述べてきたように、テレビ局からの人材流出やリテラシーの低下が原因となっている。②はこれも過去に指摘したような「ドラマ多産化現象」が原因となっている。


問題は③だ。「忖度」や「迎合」は、意図しなくとも無意識におこなわれることがあるからである。例えば、主人公の万博への想いがあまりにも「万博讃美」に偏って描かれていたことは作り手の「力量の問題」だと言い切れるだろうか。


もしかしたらそこに、協力して制作費を出してくれたスポンサーへの配慮や気遣いといった忖度があったという可能性はないか。無意識のうちに、万博を応援するスポンサー企業に迎合する気持ちが芽生えたということもあり得るのではないか。


■私にも同じような経験がある


私の経験からの実例を挙げよう。テレビ東京開局55周年特別企画ドラマスペシャル「二つの祖国」を企画・プロデュースしたときのことだ。大手スポンサーの宣伝部長が原作者、山崎豊子氏の大ファンだと局の営業から聞いた。


そのとき私は「そうか、では原作になるべく忠実に作ったほうがウケがいいだろうな」と無意識に考えていた。それは純粋なモノづくりの精神というより、スポンサーに対する「忖度」や「配慮」であった。視聴率を獲ることに関しても同様だった。「通常よりも高いCM枠を買ってくれた」スポンサーのためだと考えていた。それは、クリエイティブセンスとはまったく別の感覚だ。


テレビ番組は人間によって作られる。だからこそ、そこには様々な思いと考え方が交錯する。そしてテレビ局は、スポンサーを大事に思うあまりに、その気持ちを斟酌して忖度しようとする傾向があることを指摘しておきたい。


「相手の気持ちになってものごとを考える」ことは悪いことではない。だが、テレビ局が考える以上にスポンサー企業は社会の反応や動き、そして市井の感情や意見に敏感であることを忘れてはならない。


写真=iStock.com/ebico
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■視聴者のニーズからどんどん離れている


過剰な忖度は禁物だ。スポンサー側からすれば、「そんな忖度は不要」ということかもしれない。テレビ局が勝手にやったことと言われてしまえば元も子もない。


テレビ番組を提供するスポンサー企業は多額のカネを出している。よい企画を選び、その都度、決断している。「いいもの」だから買ってくれるのだ。そこには信頼関係もある。スポンサーに買ってもらえるように制作現場は、いい作品を生み出してゆかなければならない。制作費を出してくれるスポンサーは決して「打出の小槌」ではないということを番組作りに関わる一人ひとりが肝に銘じる必要がある。


スポンサーだけでなく、有力芸能事務所や自民党や総務省などの政府に対する忖度による問題も噴出している。ジャニーズ性加害問題や放送法を巡る問題である。


だが、テレビ局というものはそういった齟齬や乖離を生み出してしまう特性を持っている。多くの人が集まる集合体だからだ。意見や考え方も多様で、統一を図るのが難しい。また、近年、優秀な人材の流出やリテラシーの低下が起こり、組織としての構造にもほころびが生じてきている。


■「美談」や「感動」が視聴者を惹きつける、という思い込み


テレビ局は「国家的イベント」と親和性が非常に高い。先に挙げたオリンピックの例だけでなく、3月5日に放送された日本テレビ開局70年スペシャルドラマ「テレビ報道記者 ニュースをつないだ女たち」も「国際女性デー(国際婦人デー)」に合わせて放送されたものだった。


前述したように、国家的イベントの「美談」や「感動」は多くの視聴者を惹きつけ、高い視聴率を獲得する。そしてそれは結果的にスポンサーを喜ばせる。そうテレビ制作者側は考えている。それは必ずしもスポンサーの意思ではない。テレビ制作者の勝手な思い込み、すなわち「忖度」なのだ。


前述の元テレビ局営業幹部は繰り返して言った。


「スポンサーには“忖度”や“ご祝儀”といった考えはない。いいものだから買ってくれる。だから、テレビ局は買ってもらえるためにいいものを作らなければならないのです」


テレビは依然として社会へのインパクトが大きい。そのテレビが、知らず知らずのうちに国を挙げての行事・イベント、あるいは特定のイデオロギーに加担し、国民感情をステレオタイプへと指向させてしまう特性があるということを、視聴者は意識しなければならない。それが、テレビを見る側にも必要なリテラシーなのだ。


■もうテレビは「昔のまま」ではいられない


4月8日、市民グループ「テレビ輝け!市民ネットワーク」は、テレビ朝日ホールディングス(HD)に対して「権力に忖度や迎合をしない」ことを求める株主提案をおこなった。この団体は昨年発足したが、田中優子前法政大学総長と前川喜平元文部科学次官が共同代表を務めている。メンバー48人でテレ朝HDの株を購入して、株主としての発言権を得た。


こういった動きからもわかるように、テレビ局による政治への忖度や迎合は社会問題として認識されてきている。そして、そのことに市井の人々も気づき始めている。視聴者側のリテラシーが高まってきている証拠だ。


価値観が多様化し、テレビに対する視線は厳しさを増している。そのような状況下で、テレビ局は独りよがりで勝手な思い込みをしていないか。過剰な忖度によってかえって「自己規制」をしてしまっていないか。それによって歪んだ報道や番組作りをしていないか。放送文化を享受する権利があるはずの国民に健全な情報を届けられているのだろうか。


最も視聴者に近い存在であるべきテレビに関わる者、一人ひとりが改めてそういった「問い」を自分自身にしながら、番組作りにあたらなければならない。


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田淵 俊彦(たぶち・としひこ)
元テレビ東京社員、桜美林大学芸術文化学群ビジュアル・アーツ専修教授
1964年兵庫県生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、テレビ東京に入社。世界各地の秘境を訪ねるドキュメンタリーを手掛けて、訪れた国は100カ国以上。「連合赤軍」「高齢初犯」「ストーカー加害者」をテーマにした社会派ドキュメンタリーのほか、ドラマのプロデュースも手掛ける。2023年3月にテレビ東京を退社し、現在は桜美林大学芸術文化学群ビジュアル・アーツ専修教授。著書に『混沌時代の新・テレビ論』(ポプラ新書)、『弱者の勝利学 不利な条件を強みに変える“テレ東流”逆転発想の秘密』(方丈社)、『発達障害と少年犯罪』(新潮新書)、『ストーカー加害者 私から、逃げてください』(河出書房新社)、『秘境に学ぶ幸せのかたち』(講談社)など。日本文藝家協会正会員、日本映像学会正会員、芸術科学会正会員、日本フードサービス学会正会員。映像を通じてさまざまな情報発信をする、株式会社35プロデュースを設立した。
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(元テレビ東京社員、桜美林大学芸術文化学群ビジュアル・アーツ専修教授 田淵 俊彦)

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