自転車事故で始まる「慰謝料地獄のリアル」をご存じか…無保険で歩行者をはねた25歳男性の"末路"

2024年5月12日(日)16時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yamasan

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■自転車事故の「天国と地獄の分かれ目」


自転車が交通事故の加害者になった、歩行者が死傷したという事故が起きても、ほとんどは断片的な外形しか報じられていない。


裁判傍聴マニアである私は、自転車事故の刑事裁判を数多く傍聴してきた。そのなかで、「自転車事故はここが天国と地獄の分かれ目だ!」と強く感じることがある。死傷事故が起こってなにが「天国」だ、ではあるのだが。どこがどんな分かれ目か、今回はその話をしよう。


写真=iStock.com/yamasan
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先に、全体を見渡すため、データ等を少し確認しておきたい。自転車の事故は、主に「過失傷害・致死」「重過失傷害・致死」の罪名で起訴される。刑法に定められた法定刑は、それぞれこうだ。


過失傷害 30万円以下の罰金又は科料(第209条)
過失致死 50万円以下の罰金(第210条)
重過失傷害・致死 5年以下の懲役もしくは禁錮又は100万円以下の罰金(第211条後段)

■「ついうっかり」は過失、違反を伴うと重過失


実は、こうした罪名の事件が実際に法廷へ出てくることはあまりない。法務省の2022年の統計(図表1)を見てみよう。公判請求とは、正式な裁判への起訴だ。略式命令請求は、略式の起訴。略式の裁判は法廷を開かない。罰金刑の事件は原則、略式で処理される。


検察統計調査(2022)より筆者作成

このうち、「過失傷害」のみが親告罪だ。つまり被害者の告訴を要件とする。不起訴の理由は、3311人のうち2921人が告訴の取下げ等となっている。示談の成立などによるのだろう。


公判請求の合計は、全国で1年間に合計20人でしかない。それら罪名の刑事裁判を、私は狙って傍聴してきた。その数は、2008年3月〜2024年2月の16年間に、主に東京簡裁、地裁、高裁で81件に上る。


犬の咬みつきも数件あった。まれに、立体駐車場のパレットの操作ミス、スキーヤーとスノーボーダーの衝突事故、道端に駐車して開けたドアに自転車が突っ込んだ事故などもあった。しかし、ほとんどは自転車の事故だ。


単に「ついうっかり」のケースは「過失……」、赤信号無視など明白な違反を伴うケースは「重過失……」、そんな運用が浮かび上がる。


■業務上過失致死罪で問われるケースも


2022年1月に1度だけ、ウーバーイーツ配達員が当時78歳の歩行者をはねて死亡させた自転車事故が「業務上過失致死」(第211条前段、法定刑は5年以下の懲役・禁錮または100万円以下の罰金)で法廷へ出てきた。


新聞配達中の事故も、オフィス機器のメーカー社員による電動アシスト自転車での得意先回り、その途中の事故も「重過失……」だったのに、なぜ? コロナ禍でウーパーイーツが注目されたので、検察が“挑戦”をしてみたのか……。


とにかくこの事故は極めて異例であり、自転車事故のほとんどはさきほど紹介した罪名で審理される。


さて、以上を踏まえて、実際に重過失傷害罪に問われた裁判例を3件、レポートしよう。


■早朝から夜まで賠償のために働く日々が始まる


被告人は、黒スーツに濃紺のネクタイ、スリムでマジメそうな25歳男性だ。仕事は「飲食店従業員」。自転車で出勤途中、信号が赤になった。左側の歩道から青信号の横断歩道へ、数人の歩行者が出てきた。


被告人は、その前を通過できるだろうと考えた。やや右へハンドルを切り、約20キロの速度で進行。しかし注意が足りず、65歳の男性に衝突した。男性は転倒して頭を打ち、脳挫傷などで加療約9カ月、後遺障害を伴う重傷を負った。


「今後の見通し」についてまとめた書面を弁護人が読み上げた。メモしきれなかった部分を「……」でつなぐ。


弁護人「治療費等……払いたいが、保険には一切入っていない……午前11時から午後9時まで、土日も勤務……生活費で一杯いっぱい……実家は借家……父親は59歳、病気……母親は57歳、パート……兄も弟も派遣社員……現状では被害弁償は困難……」


被害弁償が困難なケースはよくある。弁護人は続けた。


弁護人「アパートの家賃……現在月8万円……もっと安いところ、敷金、礼金不要のアパートに引っ越しまして、早朝6時から9時まで弁当屋で掛け持ちのアルバイトをする、それを現実のものとしますと、少なくとも月に7万円を支払える。10年間にわたってお支払いし、少しでも慰謝に努め……」


求刑は禁錮1年。2週間後に言い渡された判決は、禁錮1年、執行猶予4年だった。


一般には知られていないようだが、交通事故の判決は、たとえ死亡事故でもほとんどのケースで執行猶予がつく。猶予は最長5年。3年が圧倒的に多い。本件は4年なので、重い判決といえる。


被告人はこれから安アパートに住み、早朝から夜まで賠償のためだけに働く日々を、35歳まで送ることになるわけだ。身近で手軽な自転車の、一瞬の不注意から。


■赤信号を見落とし、歩行者に突っ込んだ


被告人は24歳の大学院生だった。長袖シャツもジーンズもお洒落なのだが、スニーカーがひどく汚れている。ある日の夜、研究室からアパートへいつもの道を「夕食に何を買おうか」などと考えながら、自転車で走っていた。途中に下り坂があった。速度は約20キロになった。被告人は車道の右側を走り、赤信号を見落とした。


当然、歩行者信号は青だ。青信号の横断歩道へ、被告人から見て右側から歩行者(29歳女性)が横断歩道へ出てきた。女性からすれば、まさか右側通行の自転車が信号無視で突っ込んでくるとは夢にも思わなかったろう。衝突! 両側下顎骨骨折、歯槽骨骨折などで治癒まで約4カ月を要し、後遺障害を伴う重傷を女性は負った。


写真=iStock.com/Martin Dimitrov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Martin Dimitrov

情状証人は被告人の母親だった。病気をおして遠方から証人出廷したという。


■大学院生は両親の老後の蓄えを失わせた


母親「相手の方が若い女性で……一生かかってでもめんどうをみていくつもりで、覚悟して……」


弁護人「示談金は……今まで550万円……今後、1000万円を超える賠償を……支払っていく余裕は……」


母親「正直いって、とても不安……主人の退職金を前借りしてでも……示談に応じてくださったことに感謝を……」


両親の老後の蓄えを崩させてしまうことになり、被告人はうなだれるばかりだった。求刑は禁錮1年。弁護人は罰金刑の判決を強く求めた。被告人は、遺伝子疾患の治療に関する公的な研究機関への就職を予定している。執行猶予付きでも禁錮刑を受けると、公務員の欠格事項に該当してしまうのだ。


2週間後、判決。「禁錮1年、執行猶予3年」に決まっている、と私は予想した。ところがなんと、裁判官は「罰金100万円」を言い渡した。禁錮刑の求刑に対し罰金判決は、極めて異例だ。この若者から研究職への就職を奪っても、被害者にも社会にも何ら得るものはないと考えたのだろう。大胆な温情判決といえる。こういう判決は検察官の失点になると聞く。


■バイト掛け持ちの29歳女性に「救いの手」


最後に紹介する被告人は、29歳の女性だった。黒いパンツスーツで、スタイルも姿勢もぴしっと良い。ただ、だいぶ緊張している風だ。朝8時すぎ、自転車便のアルバイトへ、スポーツタイプの自転車で出勤途中のことだった。咳き込んで赤信号を見落とした。前傾姿勢のまま、約20キロの速度で交差点へ進入。すでに青信号となった横断歩道へ、左側から60歳の男性が出てきた。そこへ衝突。男性は転倒し、脳挫傷等の傷害を負った。直近の症状を、検察官が述べた。


検察官「病院から病状を聴取……外傷によって精神障害が生じた……徘徊し、5分前の経験も忘れてしまう……回復見込みなし……」


被告人の父親は会社を経営していたが、不景気で倒産。被告人は東京へ出て、自転車便と日本料理店と2つのアルバイトを掛け持ちしていたという。治療費等をいったいどう支払っていくのか。弁護人がこう尋ねた。


■1万5000円の掛け金で1億円まで補償


弁護人「火災保険に入ってたんですね」
被告人「はい」
弁護人「アパートを借りたときの」
被告人「はい。だいたい2年ぐらい前です」


アパートの契約時、火災保険に加入させられていた。掛け金は「1万5000円ぐらい」だったという。そこに特約として「個人賠償責任保険」がついていた。


弁護人 「1億円までは、この特約で出る……」
被告人 「はい」


なんと! 私は傍聴席で、どんなにホッとしたことか。個人賠償責任保険は、洗濯機のホースが外れて階下を水浸しにしてしまったようなときばかりでなく、自転車の事故にも保険金が出るのだ。


被害者の傷害があまりに重かったため、求刑は禁錮1年10月。判決は禁錮1年10月、執行猶予3年とされた。


■個人賠償責任保険が運命の分かれ目に


自転車事故の裁判を多く傍聴してきて「ここが天国と地獄の分かれ目だ!」とはっきり感じること、それは加害者側が個人賠償責任保険に加入しているかどうかだ。もちろん、被害者は回復不能な後遺障害を負わされ、あるいは死亡させられ、「天国」も何もない。しかし、治療費等が支払われるかどうか、被害者本人にとって、また家族等にとって、重大な問題だ。


個人賠償責任保険は、火災保険や、自動車の任意保険の特約としてつけることが多い。特に認識しないまま、その両方に加入している方も多いのではないか。掛け金は1000円前後か2000円程度だ。保険金の限度額によって異なる。保険会社によっても異なる。


■年間2500円弱で「万が一」の備えに


私の場合、自転車事故の「天国と地獄」をさんざん傍聴して、新たに契約することにした。


いちばん安い傷害保険に加入し、その特約として限度額3億円の個人賠償責任保険をつけた。掛け金は傷害保険と特約と併せて年間2496円だ。個人賠償責任保険は、同居の親族の自転車事故にも支払われる。心強い。


写真=iStock.com/CarlaNichiata
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自転車は身近で手軽な乗り物だ。交通ルールなど知らなくても乗れる。免許停止もない。クルマやバイク以上に、不注意な運転、身勝手な運転をする者がいる。自分がそうならないよう注意したい。かつ、危ない自転車の被害者にならないよう注意したい。加害者がどんなに重く処罰されても、賠償金がどれだけ入っても、失われた健康や命は戻らないのだから。


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今井 亮一(いまい・りょういち)
交通ジャーナリスト
1980年代から交通違反・取り締まりを取材研究し続け、著書多数。2000年以降、情報公開条例・法を利用し大量の警察文書を入手し続けてきた。2003年から裁判傍聴にも熱中。傍聴した裁判は約1万1000事件(2023年4月現在)。
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(交通ジャーナリスト 今井 亮一)

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