日銀・植田総裁と「市場との対話」、どうすれば期待する効果が出せるのか

2023年5月15日(月)6時0分 JBpress

日本銀行の植田和男総裁には市場との対話が期待される——。メディアでは識者などによるこんなコメントをよく目にする。では中央銀行による「市場との対話」とはどうあるべきものなのか、実際にはどんな対話がなされているのか。米国で銀行破綻が相次ぐなど、世界的に金融政策の舵取りが難しくなる中、日銀は異次元緩和からの「出口」が焦点となっている。植田総裁はどう対話していくことになるのか。元日銀の神津多可思・日本証券アナリスト協会専務理事が解説する。(JBpress編集部)

(神津 多可思:日本証券アナリスト協会専務理事)

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完全にはコントロールできない長期金利

 日本銀行の植田新総裁は、市場との対話を重視する方針を打ち出している。その中央銀行と金融市場との対話とは、具体的にはどういうものなのだろうか。

 将来の政策変更があらかじめ分かるようにすることなのか。そうだとすると、そういう政策運営の方が、金融市場に「ショックと畏怖」を与えるやり方よりも常に効果的と言えるのだろうか。そもそも、金融市場は中央銀行の言うことを鵜呑みにするだろうか。逆に、金融市場は中央銀行に対し、本当にマクロ経済にとって最善と判断した情報を伝えるのだろうか。

 中央銀行総裁が、市場との対話を重視すると言えば、多くの人がそれは良いことと思うが、本質的にその対話とはどういうものなのか、あるいはどうあるべきかを考えてみると、このようにいろいろな疑問が湧いてくる。

 現在の日本銀行の金融政策は、10年もの国債の流通利回りという長期金利の水準も一定の範囲に誘導しようとしている。この点が、米国の連邦準備理事会(FRB)の金融政策とは違う。

 確かについ先頃まで、日本銀行が言う通りに長期金利が決まっていたようにみえていた。しかし、本来、長期金利は中央銀行が完全にコントロールできるものではない。


伝統的な金融政策の対象は短期の金利

 中央銀行が政策金利をコントロールするのが伝統的な金融政策だが、その政策金利はごく短期のものが対象であり、主として銀行が資金の過不足を調整する市場(インターバンクマーケット)で形成される。

 米国のFRBが誘導目標とするFFレート(フェデラルファンド金利)は、基本的にそういう性格を有しており、その金利の変更をするかしないか、するとすればどれくらいの幅で変更するかということについて、現在、中央銀行と金融市場の間で対話が行われている。

 他方で国債の流通市場は、そのインターバンクマーケットよりも規模が格段に大きく、市場参加者も銀行だけではない。資産構成が銀行とは大きく異なる様々な業態の金融機関が参加して長期金利が形成されている。

 そういう長期金利について、将来の金融政策を決める会合で何らかの変更を行うとほのめかすようなことがあれば、直ちにその日の取引に影響する。

 そのため、日本銀行が現在実施しているイールド・カーブ・コントロール(YCC)のやり方の変更をあらかじめ金融市場に織り込ませることは難しいと言われているのである。

 もちろん、短期の政策金利について、その変更を中央銀行がほのめかせば、直ちにより長期の金利に反映される。しかし、それはあくまで金融市場が独自に判断した結果として金利が動くのである。

 長期金利そのものを中央銀行が一定の範囲に誘導しようとする場合、形式的には、金融政策決定の結果として長期金利が動くはずなので、したがって事前での変更の示唆は、丁寧な対話をやるにしてもできないことになる。


金融市場との対話は一方通行ではない

 このように、短期の政策金利と同時に長期金利も誘導する金融政策を行っているため、日本銀行の金融市場との対話は、他国に比べ、また以前に比べ一層、複雑になり、その分、難しくなっている。

 中央銀行が、今後の金融政策をどうしていくかというイメージを金融市場と共有できていれば、実際に政策変更があった際に、金融市場で大きな混乱が起こる可能性を抑えられるだろう。中央銀行と金融市場の丁寧な対話はそのためのものだと整理されることが多い。

 そこで言う「イメージの共有」は、中央銀行が一方的に自身の判断を金融市場に伝えるだけでは実現しない。金融市場の側からも、経済の先行きについての判断が示され、ある種の考え方のキャッチボールが両者でなされて初めてイメージが共有される。中央銀行の総裁が記者会見で丁寧に説明することだけが金融市場との対話ではない。

 ただ、金融市場にもいろいろな参加者がいて、その利害は必ずしも共通ではない。そのため、多様な金融機関から発信される情報は、日本経済全体からみて常に中立的とは限らない。

 さらに、個人のアナリスト、リサーチャーが述べる判断は、程度の差こそあれ、ある種の立場性を免れ得ない。いわゆるポジショントークと言われている情報発信もあり得る。

 中央銀行は、あくまでもマクロ経済全体にとって、どういう金融政策を行うことが最適かを考えている。日本銀行法にも、「通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」とある。

 他方で、それぞれの金融機関や個人の立場から発信される金融市場の情報は、「マクロ経済全体にとって」という立場が優先されているとは限らない。したがって、中央銀行がどのようなアクションをとっても、全ての金融市場参加者が公式にそれを全面支持することにはならない。


プレーヤーの相互信頼が政策効果を高める

 中央銀行による丁寧な金融市場との対話においては、そうしたマクロとミクロの立場の違いが、国民にも良く分かる形で説明されるべきであり、それが中立的に報道されることが大事になる。

 これから日本経済が進む道について、中央銀行と様々な金融市場参加者がフランクに意見を表明し、それらを収斂させて中央銀行の政策決定に反映させる。そうした政策決定の過程が、報道を通じて客観的に国民に対し明らかになる。これがおそらく望まれる中央銀行と金融市場の対話なのであろう。

 金融市場を驚かせ、あるいは金融市場に畏敬の念も持たれるような中央銀行の方が、その政策の効果が高いという考え方もある。確かにそういうケースもあるかもしれない。だが、中央銀行と金融市場のやり取りは、終わりのない、長く繰り返されるゲームである。

 経済学のゲームの理論でも、終わりのあるゲームでは、相手を裏切ることが効果的なこともあるが、無限に続くゲームでは、一定の条件は必要だが、プレーヤーが相互に信頼し合った方が、結局、どちらも良い状態になると教科書にも書いてある。

 中央銀行と金融市場の関係についても、互いに敬意を持ち、尊重し合っていた方が、金融政策の効果は長期的に高まるのではないだろうか。

 その敬意と尊重のためにも、中央銀行には事後的に納得ができる説明が求められる。ポジショントーク的な批判はともかく、多くの金融市場参加者が納得できないアクションを中央銀行がとれば、結局、国民からのサポートも得られないだろう。


大事なのは効果と納得できる説明

 金融政策の決定は、スケジュールが決められている会合においてなされ、その際に発信される情報は対話において非常に重要である。しかし、中央銀行が伝える情報はそれだけではない。

 日本銀行は、様々な調査・研究の結果をいろいろな形で発表している。正副総裁を含めた金融政策を決定する9人の審議委員も、様々な機会に意見を表明している。執行部でも、日々、各部署が金融機関と情報をやり取りしており、全国に32ある支店の支店長もまた、それぞれの地域で情報の発信を行っている。

 そういうルートの全てを通じて、本当のところどうなるかは誰にも分からない未来について考えられるシナリオのうち、どれを、どのような理由で選んだのか。その対応として、やはり複数あるアクションの選択肢のどれを、なぜ選んだのか。結果的に納得できるように伝えることが、新しい総裁の下での日本銀行にも求められているのではないだろうか。

筆者:神津 多可思

JBpress

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