【映画と仕事 vol.14】史上最大級の“死んでいる”怪獣をどうつくるか? “バカバカしさ”を求めた三木聡監督に造形師・若狭新一が示した答え

2022年2月12日(土)17時0分 シネマカフェ

『大怪獣のあとしまつ』(C)2022「大怪獣のあとしまつ」製作委員会

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その“大怪獣”の名前は「希望」。最全長(頭から尻尾の先までの長さ)は380メートルで、これは東京ドームの長径の1.5倍で、渋谷駅前の忠犬ハチ公像から渋谷パルコまでの距離(徒歩約5分)とほぼ同じ。映画の中で描かれる足を空に突き出して倒れた状態での高さは155メートルで、通天閣の約1.5だという。

映画『大怪獣のあとしまつ』に「怪獣造形」という立場で参加し、この大怪獣を作り上げたのが、1990年代から2000年代にかけての東宝の『ゴジラ』シリーズや円谷プロダクションの『ウルトラマンコスモス』シリーズ、『ガメラ2 レギオン襲来』などの特撮映画に携わり、数々の怪獣、モンスターたちを手掛けてきた若狭新一である。

映画・エンターテインメントに携わる人々に話を聞く連載【映画お仕事図鑑】。今回は若狭さんにインタビューを敢行! 日本の特撮映画においても類を見ないほど巨大で、しかも“死体”として登場することになった大怪獣はどのように生まれたのか?

スタッフクレジット:怪獣造形 監督のリクエスト:昔の恐竜図鑑に載っていた恐竜のような巨大な怪獣

——若狭さんがこれまで携わってきた映画のクレジットを見ると「怪獣造形」「特殊造形」「クリーチャークリエイト」など様々な名称で表記されていますが、若狭さん自身はご自身ではどういった肩書きを名乗ってらっしゃるんでしょうか?

特殊メイクから今回のような怪獣の造形までいろんなことをやっていますし、仕事の場も映画やTV、CM、最近ではテーマパークの着ぐるみまで様々なんですが、基本的な仕事の内容は“キャラクターを作る”ということなんですね。その意味で、作品によってクレジットのされ方はいろいろですが、仕事の名前としては「造形」であり、僕自身を紹介していただく場合「造形師」という肩書きで表記していただくことが多いですね。

——今回の映画『大怪獣のあとしまつ』では「怪獣造形」とクレジットされています。このクレジット自体が、日本でいかに怪獣映画が当たり前の存在かというのを感じさせますね。

「怪獣造形」と書いてあれば、それだけでほとんどのみなさんが、なんとなく「怪獣を作ってる人なんだな」とわかってくれますよね。海外の映画だと、「造形」という言葉はわりと抽象的な言葉なので、どう表記するかって難しくて、直訳すれば「model」とか「modeling」なんですけど、実際にそう表記されるかというと、そうでもなくて「Special Make Up Artist(特殊メイクアップアーティスト)」みたいな表記になったりしますね。実際、僕自身も特殊メイクの仕事もしているので、遠からずという感じではあるんですけど。

——若狭さんが造形師を志すようになったきっかけを教えてください。

僕は1960年生まれですから、5〜6歳で「ウルトラQ」、小学生に上がったら「ウルトラマン」の放送が始まって、空前の怪獣ブームがあって…。1960年代生まれの少年の基本という感じで、大人になるまでそういう存在を激しく味わってしまったというのが大きいと思います。

こうしたブームのおかげで、当時は「少年サンデー」や「少年マガジン」といった漫画雑誌のグラビアで、怪獣を作るスタッフの人たちが紹介されていたんですよね。「ウルトラマン」の怪獣にせよ、「仮面ライダー」の怪人にせよ、それらがどうやって作られたのか? ということは、ベールに包まれているわけでもなく明らかになっていたんです。それもあって僕自身は、小学生の低学年の頃から、この仕事に興味はありました。

——以前は着ぐるみで撮影されていた怪獣ですが、本作『大怪獣のあとしまつ』を含め、いまや怪獣映画に登場する怪獣は、ほとんどがCGで制作されているそうですね? 改めて「怪獣造形」という仕事は、映画制作のプロセスにおいてどのようなことをする仕事なのでしょうか?

まず、監督やプロデューサー陣が打ち合わせをして「こんな怪獣にしましょう」というデザインを決定し、その上でプロダクションが「誰にこの怪獣を作ってもらうか?」というのを決めます。監督やプロデューサーの過去の人脈やこれまでの実績などを元に「怪獣造形」のスタッフを決めるわけです。

——その依頼が今回、若狭さんの元に来たということですね?

ただ、今回の三木組で言うと、その前の段階の最初の怪獣のデザインがなかなか決まらなかったんです。デザイナーが描けども、描けども、決め手に欠けて三木さんは「うーん…」という感じだったそうで…。

スタッフの中に特撮監督の佛田洋さん(「スーパー戦隊」シリーズや「平成仮面ライダー」シリーズ、『男たちの大和/YAMATO』などの特撮を担当)がいて、佛田さんから僕のところに「最初のデザインのところから一緒に入ってほしい」という連絡があり、通常とは少し異なる形ですが、最初の怪獣のデザインから参加することになりました。

——大怪獣を一から形にするところから、若狭さんが入ったわけですね? 具体的にどのように怪獣をデザインしていったのでしょうか?

まずはコンセプトですね。この映画に登場する怪獣、映画の中では“希望”と名付けられることになりますが、基本的に死んだ状態で登場するわけです。これまでの僕の仕事で「怪獣の死体を作る」というのは、あまりないことでした。映画全編を通して「死んでいる」わけですから、そのありよう——どういう姿勢、デザインで死んでいるのか? というのを考えるところから始めました。

——三木さんから特にリクエストや絶対にゆずれないポイントなどは伝えられたのでしょうか?

僕が入る前の段階で、佛田さんが三木さんに「どんな怪獣が良いんですか?」と聞いたところ「昔の恐竜図鑑に載っていた恐竜のような怪獣がいい」とのことでした。佛田さんが三木さんにも見せたという昔の恐竜図鑑の写真をいくつか見て、それが“怪獣化”したものということでデザインを考えていきました。

アプローチの仕方としては、僕は1993年以降の「平成ゴジラ」シリーズの敵怪獣(※メカゴジラ、スペースゴジラ、デストロイアなど)を担当しているんですが、その頃と同じやり方でした。

当時、東宝の特撮を束ねていた川北紘一さんという方がいたんですが、この方もなかなかデザインが決まらない方だったんですね(笑)。東宝のスタッフルームに7〜8人のデザイナーがいて毎日、絵を描いては、川北さんがチョキチョキとそれを切って、モンタージュ写真のように切り貼りして、それをクリーンアップする形でデザインを決めていくというやり方をされていたそうなんです。

僕が93年の『ゴジラvsメカゴジラ』の怪獣造形に参加したときは、あまりに時間がなくて、撮影開始の3週間前の段階でデザインがまだ決まってなかったんです。(撮影前の)怪獣の制作期間が3週間ほどしかない状況で、このままでは間に合わなくなってしまうということで、決まっている部分から、粘土で怪獣の模型を作っていくというやり方をしたんです。

今回、まるっきりそれと同じアプローチで、怪獣が死体となって倒れているさまを粘土で作っていき、それから細かい部分…ポーズのディティールや表情などを三木さんのリクエストに沿って制作していきました。

三木さんが一貫しておっしゃっていたのが「僕(三木監督)の作品なので、バカバカしい感じにしてほしい」ということ。もちろん、リアリティが必要なのは当然なんですが、それに加えて「バカバカしさ」がほしいと。例えば、死後硬直によって足がポンっと天に向いて伸びているような姿勢も三木さんからのリクエストでした。

あとは“巨大なもの”を表現するという中で、三木さん自身が牛久大仏(茨城県牛久市)をご覧になったそうで、牛久大仏(※台座を含め全長120メートル)くらいの高さにはしたいとおっしゃってました。死体の足が天に向かって伸びてて、それがとにかくバカでかいんだと。

——とてつもなくデカい怪獣という画で、三木監督の言う“バカバカしさ”が一発で伝わってきます。

僕がこれまで携わってきた多くの作品では、(怪物やヒーローの身長は)たいていは50メートルか100メートルの二択でした。以前はいまのようにデジタルで合成するのではなく、25分の1の大きさのミニチュアの美術を組んで、その中を着ぐるみの怪獣やヒーローが暴れ回っていたんですけど、それも元をたどれば「ウルトラマン」なんですよね。ウルトラマンの身長は約40メートルという設定になっているんですけど、それは身長180センチのスーツアクターが、25分の1の大きさのミニチュアにちょうど収まるようになっているんですね。

ただ、時代と共に街並みも変化して、新宿に高層ビルが立ち並ぶようになってくると、25分の1のミニチュアでは、ウルトラマンや怪獣がビルの陰に埋もれてしまうので、平成の『ゴジラ』シリーズで「ゴジラの身長は100メートル」と設定が変更されたんです。

それが今回の映画では、最全長(頭から尻尾までの長さ)で380メートル、倒れた状態での高さが155メートルですから、かなり大きいんですよね。これほどの大きさの怪獣が、しかも死体として転がっているって、誰も見たことがないわけで、想像がつかないんですよ。この“サイズ感”に関しては、最初に打ち合わせをしていた段階から「そんなに大きいのか…」という思いはありましたね。

——公式のインタビューなどで、三木監督は怪獣の制作にあたって様々な“制約”があったと話されていますが、若狭さんも苦労した点などはあったんでしょうか?

正直、僕自身は制約を感じるようなところはなかったですね。もちろん、今回の作品は三木聡監督による、松竹と東映の合作映画なので、僕が長年、関わってきた東宝の怪獣(ゴジラ)と同じものになってはいけないというのはありましたけど、それは当然ですよね。それ以外には特に制約と感じるようなことはなかったですね。



なぜCGではなく事前に粘土で怪獣の模型を作る必要があったのか?

——先ほどのアプローチのお話で、粘土で実際に怪獣を形作るところから行なわれたとありましたが、あえてそうしたプロセスを採用した理由は…。

正直、佛田さんからお話をいただいて、その話を聞いたとき、僕自身も「何でいまの時代に、いちいちそんな作り方するんだろう?」とは思いましたね(笑)。

——いまの時代、通常はCGでデザインしていき、実際の映画本編でも合成されたCGの映像が使用されるということですよね?

そうです。デザインする段階から3DCGで作っていくというのが、いまの時代の怪獣造形のやり方ですね。

ただ、この映画でVFXをスーパーバイザーとして束ねている野口光一さんがおっしゃっていたことなんですけど、CGで作り始めると、“終わり”がないんですよね。良くも悪くも、CGだといつまででも作業をすることが可能で、ゴールが定かではなくなってしまうと。

先ほど説明したように、まず最初に怪獣のデザインを決定しないといけないというのもありました。どこかに“指標(ゴール)”を定めなくてはいけない。佛田さんが、なぜ僕のところに今回の話を持ってきてくれたのかというと、僕はこれまでにいくつもの怪獣の造形に携わってきているので、その指標を作ることができるからだと。(3DCGではなく)粘土でブレない“指標”としての怪獣を作ることが必要だったのかなと思います。

——あくまでも映画本編における怪獣はCGですが、若狭さんが最初に粘土で作った怪獣は、デザインの“完成形”を示すものとして必要だったと。

約80センチの模型(マケット)を作り、さらに、この模型を3Dスキャンして、約6メートルの美術の造形物を作ったのですが、ただ、これらにはきちんとした使い道があります。

今回の映画は、ある意味で旧来の20世紀の撮影と21世紀の撮影のハイブリッドとも言えるやり方をしたと思っていて、昔であれば、この80センチの模型を元に紙の上に図面を引いて、発泡スチロールを削って美術を作ったりしてたんですけど、それだと手作りなので、職人さんの感性によって、大きさがバラバラになったりすることもあったわけです。

僕としては、最初に80センチの模型を作る時点で、できる限りの情報はそこに詰め込んだつもりでした。理想と言えるものをこの模型できちんと作ることができれば、いまの技術で、それを基準にして、より大きなものもブレることなく正確に作ることができるし、そのデータをロケハンや打ち合わせで活用することもできます。“プリビジュアライゼーション”と言われる、撮影の前の段階での「こんなカットを想定しています」というイメージの共有、シミュレーション作業も可能になるんです。

実際、この模型を元に6メートルの造形美術を作ったと言いましたが、そちらに関しては、佛田さんは東映のスタジオの屋上で、これを使って全ての怪獣のカットを一度、撮影しています。もちろん、映画本編の怪獣は基本的にCGなので、ここで撮影されたカットで実際に本編で使われているものは多くはないと思いますが、(カット割りや構成の参考、イメージの共有のために)一度、6メートルの美術で全てのカットを撮っているんです。

——怪獣造形のスタッフとしては、できることなら“死んでいる”状態ではなく、生きて暴れ回っている姿を作りたかったのでは?

それは…(笑)、当たり前ですけど、僕らは仕事として怪獣の造形をやっているわけですから、自分の中でいくら「これ、生きて動いたらいいのになぁ…」と思ってもしょうがないですからねぇ…(苦笑)。いまでも「キャンペーン用に着ぐるみを作ったりしないのかなぁ?」とか思ってますけどね(笑)。

——この作品に限らず“怪獣”の造形を行なう上で、大切にしていることはどんなことですか?

それは難しいなぁ…。まず一番は、その映画のスタイルに合う怪獣はどんな怪獣か? ということ。それは常に考えますよね。映画を観に来るお客さんが、その怪獣を見てどう感じるのか?

今回の映画に関してはあまり関係ないですが、これまで僕が携わってきた怪獣映画の場合、怪獣は映画の中に登場するだけでなく、マーチャンダイジング(商品化)が深く関係します。デザイン性も求められるし、それが“商品”として認められるのか? というのも重要なポイントです。そこに関しては、頭の片隅どころか、それなりに脳内の大きな割合を占めることになりますね。

——若狭さんが、この仕事をやっていて喜びを感じるのはどういう瞬間ですか?

いまの時代、30年前、40年前の作品を簡単に見られるじゃないですか。自分がやった仕事に関して、後になって「良い仕事でしたね」と言ってもらえるとやはり嬉しいですね。ものすごい数の作品に関わってきて、僕自身が忘れている仕事もいっぱいあるんですけど、それをいまだに「好き」と言ってくれる人もいて、時に感謝されたり、称賛のお言葉をいただけたりすると「あぁ、やっぱりやっててよかったな」って思いますね。

——怪獣造形に限らず、映画の世界での仕事を志す若い人たちに向けて、メッセージやアドバイスがあればお願いします。

大事なのはあきらめないことだと思います。僕自身、これまでやってこれたのは、あきらめなかったから。辞めるのは簡単ですからね。

いまの時代、昔と比べて映画の世界で働くということの敷居が低くなっている部分も確実にあると思います。社会も変わって、昔のようなパワハラや過酷さは減っていると思います。この業界に入ること自体、難しいことでは決してなくて、僕が知る限りでは、むしろいつも人手不足で「誰かいないか?」って探してる状態なので。

僕らがこの世界に入った頃は、理不尽なこともいっぱいあったし、最初の頃は貧乏しながらやってきましたし…。もちろん、いまでもそういう部分が完全にないとは言わないし、大変な部分も多いと思います。でも、環境は確実に良くなってはいるので、大事なのは自分が「何がやりたいのか?」ということを明確にし、そこに向けてきちんとアプローチすることだと思います。

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