志尊淳「自己肯定感ゼロの闇の時代を10年間。1ヵ月ほぼ寝たきりの闘病生活で人生観が変わった。朝ドラ『らんまん』でファンの年齢層もひろがり」

2024年2月26日(月)12時30分 婦人公論.jp


「自分はなんて無力なんだ、でもだからこそ、僕に何かできることはないかという思いが強く湧き上がってきました」(撮影:小林ばく)

〈発売中の『婦人公論』3月号から記事を先出し!〉
2021年に本屋大賞を受賞し、大きな話題を呼んだ『52ヘルツのクジラたち』がこの春、映画化される。作品で大きな役割を持つ役を好演した志尊淳さんに、映画にかけた思いを聞いた(構成=平林理恵 撮影=小林ばく)

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生半可な気持ちではかかわれないと


——この映画のお話をいただいて、初めて原作本を手にとりました。出演する作品の原作には必ず目を通すようにしているものの、僕はあまり小説を読むのが得意ではなく、これまではいつもどこか「重い腰を上げる感」があったのです。

ところがこの小説は読み出したら止まらなくなり、最後まで一気に読んでしまいました。

読み終えて、いろんな意味でショックを受けました。トランスジェンダー、ヤングケアラー、虐待と、登場人物たちはそれぞれ孤独や苦しみを抱えています。でも、境遇の異なる僕にも、どこかにこんな思いはあるなあと感じました。

一方で、作中の登場人物たちと同じような思いを抱えている人は大勢いるのに、あまり目を向けずに生きてきた自分もいて。そんな僕が、ここに描かれた人たちの、必死でがむしゃらな、きれいごとではない日々に対して、俳優として向き合うことになる。

自分はなんて無力なんだ、でもだからこそ、僕に何かできることはないかという思いが強く湧き上がってきました。

タイトルの「52ヘルツのクジラ」とは、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴くクジラのこと。仲間に声を届けられないため世界で一番孤独だと言われている。

志尊さんが演じるのは、家族に人生を奪われてきた(杉咲花さん)の声なきSOSを聞き取り、救いの手を差し伸べる、塾講師の岡田安吾。安吾は生まれたときに割り当てられた性別が女性で、性自認が男性の「トランスジェンダー男性」で、自身も大きな孤独を抱えているという役どころだ。

——過去にトランスジェンダー女性を演じた経験から、安吾の人生に生半可な気持ちでかかわってはいけないということはよくわかっていました。自分の身体を通して言葉を発し、安吾に心を通わせていく、その覚悟を僕が決められるかどうか。当然、僕の身体は変えられないなかで表現していくことになる。いったい、どうすれば安吾に寄り添えるのか。

とにかく岡田安吾を生きよう、と気持ちが固まったのは、成島(出)監督とお話をさせていただいたことが大きかったです。僕のほうから「成島さんがトランスジェンダーをどう捉えているのかを伺いたいです」と切り出しました。

原作小説を読んで僕が感じたこと、本をそのまま映像作品にすると、トランスジェンダーが、何かキャラクターの一つみたいに受け止められてしまいそうで、それは違うんじゃないかと思うこと。トランスジェンダーの方々を傷つけることにならないかが何よりも不安であること。

そんなことをわーっと話したら、成島さんが大きくうなずいて「僕も同じことを思っています」と。そして、成島監督自身の覚悟を話してくださいました。そのとき、ああ、このチームでならできる、と僕自身の覚悟も定まりました。それで、その場で「やらせてください」とお伝えしたのです。


「安吾役は、考えても考えてもわからないところがたくさんありました。それらをすべて現場で受け止めてくれたのが、若林佑真くんです」

知ろうとすることが出発点になる


——撮影が始まってからは、とにかく全力で岡田安吾になろう、安吾を通して伝えられることを伝えていこうという気持ちでした。それまでの僕は、役を作り上げるのは役者である僕一人だ、と考えていたように思います。演じる自分がすべて。だから自分一人の力でやらないといけない、と。

ところが安吾役は、考えても考えてもわからないところがたくさんありました。それらをすべて現場で受け止めてくれたのが、若林佑真くんです。佑真くんはこの作品に出演するトランスジェンダー当事者の俳優で、脚本段階から本作のトランスジェンダーをめぐる表現の監修をしてくださいました。

その佑真くんが全シーン、全セリフ、一緒に向き合って考えてくれて、二人三脚で岡田安吾を作り上げていったのです。

たとえば、杉咲さん演じる貴瑚を絶望から救い出したいと思った安吾が、「人生を変えてみないか」「自分で望めば呪いから抜け出せるんだよ」と、貴瑚に語りかけるセリフがあります。僕はこれを、苦しみを乗り越えてきた安吾の実体験から出てくる言葉として捉えて演じたんです。

そしたら佑真くんが、「まだ安吾自身も抜け出せずにもがいていて、貴瑚を通して自分にも言い聞かせているんじゃないか」と。そうなると、言い方や細かい表情は当然変わる。指摘を受けてハッと気づかされるたびに、より深く安吾の心に入っていけたように思います。

佑真くんからの鋭い指摘は、彼自身もつらい思いをたくさん重ねてきたからこそのものでしょう。今も生きづらさを抱える人たちはたくさんいる、この作品を世に出すことが、そんな人たちをそっと支えることになりますように、そう願いながら撮影に臨みました。

それから、こういったインタビューも含めて、自分が発信する言葉には以前にも増して気を使うようになりました。人は悪意なく無自覚に人を傷つけてしまう。性的マジョリティかマイノリティかによって、優劣をつけられてしまうことがあります。

そもそも境界線は曖昧で、誰しもがマジョリティにもマイノリティにもなる可能性がある。だからこそ、誰もが自分らしく過ごせたらいいんですけど……。

そう考えていても時々、言葉選びを間違えてしまい、佑真くんに指摘されてハッとすることの繰り返し。それでも想像力を働かせて他者を捉えようとすることが出発点になるのかなと考えています。

こうやってチームで同じ目標に向かって走り、作品はもちろん演じる役柄そのものを一緒に作り上げて共有できたことは、すごく幸せな経験でした。この作品が役者としての僕のキャリアに何をもたらすのかはまだわからないけれど、少なくとも僕の人生に大切な何かをくれたことは間違いないと思います。

「命があるだけで十分じゃん」


俳優デビューから12年、役柄の幅を着実に広げ、今や若手実力派の一人として注目を集める志尊さん。特に昨年はNHK連続テレビ小説『らんまん』での好演が話題となった。

——順風満帆だねと言っていただくんですけど、そう思ったことは一度もありません。最初の10年間は自己肯定感ゼロの闇の時代でした。自分の描いている理想に近づけず、ずっともがき続けていました。

求められているものには精一杯応えたくて、一つ一つの作品にはしっかり向き合ってきたけれど、そのたびに、違うな、ダメだな、まだまだだなって。満足できる瞬間なんてホントに少ない、自分を咎めてばかりの10年でした。

今はようやくそこから抜け出せた感じですかね。「自分が役者としてどうあるべきか」よりも、「この作品をどう作っていくか、この役をどう生きるか」のほうが、実は自分にとって大切なんだと気づけたことが大きいかもしれません。そうしたら、望んでいた姿になれない自分も含めて、これが自分なんだと認めることができるようになりました。

そう思えるようになった直接のきっかけは、3年前に病気で1ヵ月くらい、ほぼ寝たきりの時間を過ごしたことが影響しているかもしれません。そんなに張り詰めて自分にダメ出ししなくてもいいじゃん、命があるだけで十分じゃん、と思えるようになりました。仕事観はともかく、人生観が変わったことは確かですね。

嬉しいのは、『らんまん』をきっかけに、ファンの方の年齢層がものすごく広がったこと。昨年の秋にファンクラブを立ち上げたんですけど、いやもうビックリ。本当にたくさんのご婦人方が入会してくださって。

ソロイベントをやったときは、上は78歳の女性も来場してくださった。「キュンです」とポーズを決めてくれたりね。もうすごく嬉しくて、ありがたくて、これからはみなさんの人生がより豊かになるような活動をしていきたいと思いました。

今年は、新しい何かを始めるというより、日々挑戦の年にしていきたいです。ファンの方への感謝を忘れずに、僕の近くにいる大切な人たちにしっかり愛を注ぎながら、挑み続けていきたいなと思います。

婦人公論.jp

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