安野モヨコが夫・庵野秀明のドキュメントを見たら「カメラの前でほとんど心を開かないままに終わったのでひっくり返った」。監督の<断固として>との姿勢を生き方の指針に

2024年4月1日(月)12時30分 婦人公論.jp


<『監督不行届』第拾参話より>

漫画『ハッピー・マニア』で人気を博し、その後の作品『シュガシュガルーン』では第29回講談社漫画賞を受賞するなど、数々の名作を生み出している、漫画家・安野モヨコさん。そして、安野さんのパートナーはアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の監督・庵野秀明さん。このクリエイティブなご夫婦は一体どんな生活を送っているのでしょうか。安野さんは、「監督は眠っている時の姿が浜辺に打ち上げられた棒みたい」と言っていて——。

* * * * * * *

集中力


監督は眠っている時の姿が変わっていて
浜辺に打ち上げられた棒みたいに一本になって寝ている。

体の中にある本体が抜け出して、その際入れ物である肉体を
ぽいと投げ出して出かけてった、というような感じがする。

なんでそんなふうに感じるかというと
普段から監督の動きがそんな様子だからだ。

テーブルの上にある醤油さしなどを取るときも
アームを動かして、醤油さしを掴み、持ち上げる、というように
小さい人が大きいロボットの頭の中に入って
「操縦」してるみたいに見えることがある。

背景と一体化してしまう忍者


NHKの「プロフェッショナル」を観た。
監督は自分が出ているものを観ないので1人の時にした。

今日から取材が入るんだ、という話を聞いてから
もうずいぶん経つので取材が入っていることを私はほとんど忘れていた。
監督からもその後の報告や今日NHKの人がね、みたいな話がなかったせいもある。
打ち入り(映画制作に入るときの集会)などでカメラを見かけると
思い出すのだが、またすぐに忘れてしまう。

密着取材をするスタッフというのはとても上手に自分たちの気配を消す。
それも現場で訓練されていって身についたものなのだろうけど
黒子(くろこ)というより背景と一体化してしまう忍者である。

「見ている人」がいることで人間は意識し、言動が変わったりするので
それをいかに取り払うかがドキュメンタリー制作のコツのひとつでもある。
それでいて時にはタイミングよく質問を入れてコメントを引き出す。

テレビカメラが入ってるのにこんなケンカとかよくできるなー
と、大家族ものなど見ていると思っていたけど
あれは「そこにいるけどいない人」が撮影しているのだと自分が
密着取材された時に知った。

カメラがあると最初こそ意識して余計なことを言わないように気をつけているが
そのうち慣れる。
カメラマンさんもディレクターさんもこちらが何かを言ったりやったりする時
笑ったり「へえ、そういうこと言うんだ」みたいな反応を一切見せないので
その存在を感知できなくなっていくのだ。

私などはカメラの存在をすぐに忘れていつものように雑な行動をして
言わなくていいことを言ってるのも全て撮影されていた。

鉄壁の守り


一方で心情を吐露するような部分もドキュメントなんだから
こういうシーン必要でしょ、って思ってやっているところがあった。
そのために自分にとって不利益であろうと差し出してしまう。
自覚しているのだがなかなか直せない私の弱点の一つだ。

なので監督が警戒姿勢で現れ、好きなように振る舞いつつも
NHKのカメラの前でほとんど心を開かないままに終わったのを見てひっくり返ってしまった。
なんだこれー!

なんと言う鉄壁の守り。
4年半も取材に来てくれていたスタッフさんならもう少し打ち解けてもいいんじゃないの。
と、思った程に何も話していなくて驚いた。
正直ちょっと申し訳なくも思ってしまった。
いや、思う必要はないんだけど。
それは私のスタンスであって監督はそうではないのだから。

解禁できない情報があったり、自分1人の仕事じゃない分もし何かを漏らしてしまうと
大変だという状況というのも少しあったかもしれないが
どんな時でも監督はブレずに自分のスタンスを守る。

それでその場の空気が悪くなろうと、番組を見た人がどう思おうと
要求されても言いたくないことは言わないし、やりたくないことはやらない。

何故なら仕事を真剣にしている状況を取材に来ているからだ。

やりたくないことはやらなきゃいい、偉そうに言うほどのことでもない。
そんなの当たり前だという方もいるかもしれないけど
それは結構難しいことだと解説させてもらいたい。

要求されたことに応えてしまう人間


先に書いたようにドキュメントの取材班というのは邪魔をしないよう
取材し続けながらも
番組としての山場や特別なシーンを常に探し求めているのである。
それは制作者として当然だ。

しかしながらこちらもそれに合わせて山場を用意することはできない。

自分の話になってしまうけど、実際に自分が取材を受けた時
私は「ずっと漫画描いてるだけで何も特別なことはないんですよ?」と
打ち合わせでお話しした。
締切の合間を縫ってファッションショー行ったり
夜中まで仕事したあとクラブに行って遊んだり、
はたまた息抜きに、と突然1人でモロッコに旅立ったりは一切ないですよ、と。

そして取材が始まったのだが朝10時ごろ出勤したら夜遅くまで漫画描いて
家帰って寝る、の繰り返しすぎて
「あ、ほんとになんもないわ」となったのか
取材班から
「思っていた以上に漫画しか描いていないので絵がずっと同じになってしまうので
もう少し変化が欲しい」と注文が入った。

今だったら「いや、、そんなこと言われても最初にそう言ったし
締切なんだからしょうがないんすけど…」と言うかもしれない。
だがなんかまだ若くて頑張り屋さんだったので、提案されるがままに
半日しかない休みの日に地元に帰って昔住んでいたあたりを歩き回る、
というやりたくもないことをやる羽目になった。
虐待を受けていたので子供時代に住んでいた場所は戻りたくないし
地元の友達とは疎遠で大人になってから1〜2回集まったけどそれきりだ。

結局団地をうろうろして、やっと見つけた元同級生のやっているお菓子屋さんに行く
というだけで終わった。
ものすごい徒労感と子供時代のフラッシュバックでダメージを受けたが
そもそも断固として断れば良かっただけの話だったのだ。

だが、私のようにとりあえずその場をやり過ごそうとして
あまり深く考えないで要求されたことに応えてしまう人間というのもこの世にはいる。
そんな人間からすると監督の「断固として」という姿勢はいつも
「そっか、嫌だったら断ってもいいんだ」
という指針になるのだ。

監督の仕事の姿勢


監督の仕事の姿勢もそうだ。
とにかく相手への要求がものすごい高い。
それだって嫌だったら断ればいいのだ。
でも、やってみたい。監督が求めているものを作ってみたい。
そう思ってみんな頑張っていく。

そもそもその「相手への要求が高い」というのは
相手の才能に対して制限をかけないということでこれが普通はできないことだ。
そしてそれに嬉々として答えていくエヴァの監督勢やスタッフの面々は
すごい人たちばかりだな、と改めて思う。

私は一度監督の映画「キューティーハニー」で
怪人のキャラクターデザインを任されたことがあった。
渡されたラフデザインは私から見るとこれで充分なのでは…と思うレベルの出来だ。
それでもなんとか自分なりに要素を足したものを描いて出すと違うと言われる。
なのでやり直す。
提出してもまた違う、と言われる。

それを繰り返していくのだが、その作業はまるで
モデルがないのに粘土の塊から何かを掘りだせ、と言われて
呆然としながら削り出していくようなやり方で
写真やモデルの人間を見せられてここをもっと長くして、みたいなことと
根本的に違う。
お前の中にある最高のものを出してこいよ!
こんなもんじゃないだろ!
と言われ続けるのである。

私は自分の仕事ではアシスタントさんへの指定で明確にイメージを伝え
思ったように仕上がらなかった時はこちらのイメージがもう一つ明確でなかったか
伝え方に問題があったか考えて改善していくやり方なので
ものすごいストレスを感じた。


膨大な情報の中から最適なイメージのかけらを見つけて全員で拡大していくという作業が必要なんだな、と「プロフェッショナル」を観終わって思った(写真提供:Photo AC)

そもそもキャラクターデザインはイラストレーターさんや
キャラデを専門職にやっている人がいるくらい特殊の技能が必要な職種だ。
私は漫画家だししかもファンタジックな世界観のものは描いていないので
鎧兜(よろいかぶと)のようなコスチュームのデザインは全くできない。
現代のリアルクローズなら得意だけど戦闘服とかそういうセンスは持っていない。

最終的には筆箱を投げつけるくらいブチ切れたので
監督とは二度と仕事をしたくない、と思った。

私のやり方は漫画だからというのもあるけどアシスタントさん個人の資質に
頼るやり方ではなくて、素材を渡すやり方。

これは監督の言葉を借りると「自分の中にあるもの」だけでやりくりするやり方だ。
現代が舞台で少人数で仕上げる漫画だからそれで成り立つけれど
壮大な架空の世界となると何人もの頭の中の広大な図書館を繋げて
膨大な情報の中から最適なイメージのかけらを見つけて全員で拡大していくという作業が必要なんだな、
と「プロフェッショナル」を観終わって思った。

脳がフルスロットルで働いている


家で仕事中の監督はものすごい集中力で机に向かっていて
周りの空間が歪(ゆが)んで吸い込まれていくように見える。
自分の中にあるものに対しても限界まで出していこうとして
常に自分自身をぎゅうぎゅう絞っている。
それは本当に近寄り難いほどに厳しくて
よく持つな、と思うほど長い時間続く。

そしてそれだけ脳と集中力を酷使した後は
棒みたいに体を投げ出して寝てしまう。

きっと脳がフルスロットルで働いているのだろう。

だからきっと番組内でも取り上げられていたように
お昼にこっそりピザを食べたりポテチを食べることが必要なのだろう。

育毛の観点から髪の毛をしっかり乾かして寝るよう美容師さんから指導されたのに
濡れたまま寝てしまうのも
翌朝ベティちゃんのようなペッタリヘアになり
乾かして寝た、と言う嘘が即座にバレるのも
脳を使いすぎて日常生活で使う分が残ってないからなのだろう。

「ルマンドチョコ」を大量買いして棚の奥に隠したつもりで
私に発見されるのも
「モヨも食べるかなと思って買った」と弁明し
だったらなぜ隠すんだ、と私に突っ込まれるのも

きっと一生懸命仕事をしてるからなんだ、と思うことにしている。

※本稿は、『還暦不行届』(祥伝社)の一部を再編集したものです。本文の体裁は書籍掲載時のままとなっています。

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