71歳で養成所に入学した芸人・おばあちゃん。「女性に対しておばあちゃんは失礼」と講師が言う中でこの芸名に決まった理由とは

2024年4月8日(月)12時30分 婦人公論.jp


ホームグラウンドの神保町よしもと漫才劇場の前で(写真:『ひまができ 今日も楽しい 生きがいを』より)

厚生労働省の調査によると、2023年6月時点で70歳以上まで働ける制度がある企業は約10万社とのこと。社会が「人生100年時代」に向けて変化する中で、自発的に働く高齢者の方もいます。今回紹介するのは、77歳で芸歴5年の若手芸人「おばあちゃん」。おばあちゃんは在学中、「あまりでしゃばらないように気をつけていた」そうで——。

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膝に爆弾を抱えた71歳


勘違いだらけの入学式を経て、いよいよNSCでの生活が始まります。若い人たちに交じって、1年間ちゃんとやっていけるのか、不安と期待を胸に授業初日を迎えたわけですが、まずは“あの”難関が待っていました。

勘のいい読者の方はお気づきかもしれませんが、そう「階段」です。

ビルの6階まで階段をのぼれることが入学の条件のひとつでした。

では膝に爆弾を抱えた71歳が無事、のぼれたのかというと……。

はい、のぼれました!

なぜなら、ビルの階段は人ひとりが通るのにやっと、というくらい幅が狭く、かつ両脇に手すりが設置されていたからです。両手で掴(つか)みながら歩けるので、のぼり下りはそれほど苦になりませんでした。

かといって、若い人たちのようにスタスタのぼれるわけではありません。牛歩のごとく、えっちらおっちら。私のペースで進んでいると、気づけば後ろに生徒たちが大名行列のように連なっているではないですか。

このままではマズいと授業2日目で気づいて以来、授業開始よりもだいぶ早い時間に着くように家を出発することにしました。

そのため、いつも一番乗り。事務所の方たちの出勤前に到着しているものですから、階段の踊り場で事務所が開くのを待ったものです。

また、私は荷物が多くなりがちで、リュックサックを背負い、キャリーケースをガラガラと引くのが毎度のこと。さすがに両方を持ってひとりで階段をのぼるのは老体には不可能でした。

近くに誰かいれば、皆さん手伝ってくださいます。そうではない時は、先にリュックサックを置きに上がったら、階段を下りて、今度はキャリーケースを手に再び運ぶ……と、階段を往復することもありました。

実はそれが、ものすごくいい運動になったんです。会費を払ってスポーツジムなどに行かずとも体重が減り、筋肉や体力がつきました。おかげで、定年後に手術した膝の調子は今でも良いままです。

自分から「できない」は言わなかった


階段はなんとか攻略したものの、入学当初は攻略しなければならないことがまだまだたくさんありました。

というのも、NSCの授業は多岐にわたります。

ネタを考えて講師の前で発表する「ネタ見せ」をはじめ、大喜利やモノボケなどにチャレンジする「コーナー」や、「発声」、「演技」、「ダンス」といった基礎の授業に加え、「スーツアクター」や「殺陣(たて)」などの選択授業(当時。現在はおこなってません)、吉本興業所属の芸人による特別授業……。

どの授業も初めて学ぶことばかりで、ついていくだけで精一杯でした。

でも、こんなに年を重ねたのに、毎日が新鮮そのもの。


『ひまができ 今日も楽しい 生きがいを - 77歳 後期高齢者 芸歴5年 芸名・おばあちゃん』(著:おばあちゃん/ヨシモトブックス)

往復4時間かけて通っていましたが、無遅刻無欠席の皆勤賞を達成できました。

……ただひとつ、ダンスを除いて。

実は、ダンスは入学して3カ月で免除になったんです。

当たり前ですが、ダンスの授業は飛んだり跳ねたり、とにかく体を動かします。また、芸人は体力勝負ですから、ダンスの前には腕立て100回。しかもグループに分けられ、ひとりでも脱落するとまた一からやらされる。連帯責任なんです。

さすがに71歳には無理な話。100回どころか1回もできません。仕方がないので「もうおばあちゃんはうつ伏せでいいよ」と、講師が連帯責任の輪から私を外してくれました。

でも、腕立ての後は、手や足をさまざまに動かしながら部屋の隅から隅まで全力で走らなければならない。

私もなんとかみんなについていこうと必死で身体を動かしたものの、きっと周りは危なっかしくて見ていられなかったんでしょうね。3カ月が経った頃、事務所に呼び出されました。

「おばあちゃんはダンスには出なくていいです」

「もしかして卒業できませんか?」

「大丈夫です。ダンスを免除するだけですよ」

それを聞いて、安堵(あんど)しました。

私自身もダンスの授業を受けながら、「危ないな。これはまずいな」と心の中は不安でいっぱいでしたから。

でも自分から申告して「じゃあ退学してください」と言われたら悔しいと思って黙っていた。せっかく勉強させてもらえるんだから、とにかく卒業だけはしたいじゃないですか。

どうやら、そんな私の心情を講師のアシスタントを務めていた先輩芸人さんがなんとなく気づいてくれたようです。講師や事務所の方にお話ししてくださって、免除の結論に至ったとのことでした。

おばあちゃん限定


申し訳ないと思いましたが、このように“おばあちゃん限定”の気遣いはいろいろなところにありました。

たとえば、私は足が悪いので、どの授業でも椅子を用意してくださいました。

でも他の生徒は皆、床に座って待機しているため、どうしても目立ってしまいます。だから、最初の授業では必ずと言っていいほど、教室に入ってきた講師が二度見、三度見。

その後、アシスタントを務める1年上の先輩芸人に尋ねます。

「あの人誰? 参観日?」

幾度となく保護者に間違われてきたので、私には慣れっこのやりとりです。

また、芸名が「おばあちゃん」に決まった後には、こんなこともありました。

私のことを聞いた男性講師にアシスタントが「あの方、おばあちゃんです」と答えたところ、「いくつであろうと、女性に対しておばあちゃんは失礼だ。そういう言い方をしてはいけない」と注意してくださったんです。

すぐに私がフォローすればよかったのですが、緊張のあまり口を挟めず……。

結局、私がネタを見せる際に「おばあちゃんです」と自己紹介をしたら、ハッとした顔をして気づいてくださったようです。

アシスタントの先輩芸人には悪いことをしました。

なぜ「おばあちゃん」


そうそう、なぜ芸名が「おばあちゃん」になったのか。

実は、発案者は私ではありません。同期の男の子のひと声で決まりました。

というのも、ある日のネタ見せで、来た順にホワイトボードへ芸名を書くように指示されたんです。でも私はそもそも芸人になれると思ってなかったので、何も考えていなかった。

「クレオパトラじゃダメかしら……」なんてぶつぶつ言いながらボードの前にたたずんでいたら、後ろから声が飛んできました。

「おばあちゃんだから、おばあちゃんでいいじゃん!」

すると周りの子たちも「いい名前じゃん。おばあちゃん!」と賛成してくれた。

うん、見たまんまだし、悪くないな。こうして、あっさり決定しました。

今ではしっくりと馴染み、これ以外に良い芸名はないと思える、愛着のある名前です。

話を戻しますと、ほかの生徒たちに迷惑をかけないためとはいえ、私への特別扱いを良く思わない子もいるだろうなと、申し訳ない気持ちもありました。

もちろん、直接悪意を向けられたことはなく、優しく接してもらった記憶しかありません。

それでも、若い子たちはお笑いで一旗揚げようとこれからの長い人生をかけてNSCに来ているわけですから、「年寄りってだけで目立つなんて冗談じゃない」という考えがあってもおかしくありません。

ですから、在学中はあまりでしゃばらないように気をつけました。

たとえば、授業で講師にネタを見てもらうのは、原則1回。時間に余裕があって2回、3回と発表できる場合もありましたが、その時は若い人に譲る。そう決めていました。

老い先短い私には伸びしろはないですもの。若い人にどんどん伸びてもらいたい。その一心でしたね。

※本稿は、『ひまができ 今日も楽しい 生きがいを - 77歳 後期高齢者 芸歴5年 芸名・おばあちゃん』(ヨシモトブックス)の一部を再編集したものです。

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