父親の延命治療を決めた日、思い出したのは、小説家のフィリップ・ロスの言葉だった。親に代わって決断を下す運命について思うこと

2024年4月9日(火)12時30分 婦人公論.jp


岸見先生が、医師から父親の延命治療について相談されたときに考えたこととは——(写真提供:Photo AC)

文部科学省が発表した「21世紀出生児縦断調査(平成13年出生児)」によると、約6割が1ヵ月間で1冊も本を読まないそう。「自分の人生で経験できることには限りがあり、読書によって他者の人生を追体験することから学べることは多い」と語るのは、哲学者の岸見一郎先生。今回は、岸見先生が古今東西の本と珠玉の言葉を紹介します。岸見先生が、医師から父親の延命治療について相談されたときに考えたこととは——。

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まだ行かせるわけにはいかない


それでもなお私は、その一言が言えるようになるまで、長いことそこにじっと座っていなくてはならなかった。身をかがめて父に精一杯近づき、その窪んだ、台なしになった顔に唇をくっつけて、私はようやくささやいた—“Dad, I’m going to have to let you go.”(父さん、もう行かせてあげるしかないよ)。
(フィリップ・ロス『父の遺産』柴田元幸訳)

脳腫瘍の父親を息子のロスが看取る。

人工呼吸器をつなぐかどうか決断を迫られた時、ロスはどうしていいかわからなかった。機械を使うことを拒めば、父は苦闘を続けなくてもすむ。でも、どうしてノーといえよう。

〈私の父の生命、私たちが一度しか知ることができない生命を終えてしまう決断を、どうして私が引き受けられよう?〉 (前掲書)

ある日、父が排便に失敗する。泣き出しそうな顔の父。息子は黙々と掃除をする。

嫌悪感を捨て去り、やり終えてみると、あらゆるものが違って感じられる。人生には慈しむに足るものがたくさんあるのがわかる。

〈こうして、仕事を完了してみて、なぜこれが正しいのか、なぜしかるべき行いなのか、私はこの上なく明確に理解した。あれこそが父の遺産なのだ。あれを掃除することが、何かほかのものの象徴だからではない。むしろ何の象徴でもないからだ。あれを掃除することこそ、生きられた現実そのものであり、それ以上でもそれ以下でもないからだ〉 (前掲書)

私も父の介護をしていた時、何度も下の世話をした。母が入院していた時には、病院の屋上にあった洗濯機で母のオムツを洗った。

ロスは今後訪れるであろう悲惨を思い描き、すべてが見えたと思った。

延命治療


ちょうど私が日記にこのロスの小説の一節を書き写していた時に、父が入所していた施設から、急病でこれから救急車で病院に搬送するという連絡があった。

夕方から父の意識レベルが低下したというのである。急いで深夜に病院に駆けつけた。

当直の医師が、延命治療はどうするかと私にたずねた。そんなことをたずねられるほど父の容体がよくないのかと動揺した。

父とは延命治療について話をしたことは一度もなかったので、私はロスよりも難しい立場にいた。私が自分で判断しなければならなかったからである。

若い医師が仏教でいう阿頼耶識(あらやしき)を持ち出して「最後まで生は残りますよ」ということに驚いた。私は彼に「穏やかに着地をする援助をしてほしい」といった。

その日はもう帰れないかもしれないと思っていたが、入院することが決まり、少し落ち着いたので、早朝に家に帰ることができた。4時くらいだった。

私はロスが父にささやいた言葉を思い出した。そして、私ならきっとこういうだろうと思った。

—“Dad, I can’t let you go.”(父さん、あなたを行かせるわけにはいかない)

東の空に昇り始めた赤い三日月を見ながら、なおも迷った。

穏やかな着地の助け


入院してしばらく経ってから、医師から胃瘻(いろう)を造るかとたずねられた。

胃瘻で延命すれば、何年も生きることになるが、それはそれで家族がつらい思いをすることになると医師は説明した。

母の時は人工呼吸器を使った。

心臓マッサージは荒々しい。

家族は部屋の外に出るようにといわれたが、私は拒んだ。


東の空に昇り始めた赤い三日月を見ながら、なおも迷った(写真提供:Photo AC)

その時のことを思い出して、心臓マッサージは、穏やかに着地することにはならないかもしれないが、胃瘻なら穏やかな着地の助けになるかもしれないと思った。

信頼関係


このように考えたのは、父のことを考えての末ではなかったかもしれない。

私が延命治療を拒めば、私が死の決定をする事態になるのを恐れたからかもしれない。

しかし、胃瘻で少しでも生きながらえてほしいと思ったのは本当である。

意識がなくなっても、息をしているのとしていないのでは大違いである。

親に代わってどんな決断を下す運命になっても、親がそれを許してくれる信頼関係を生前築けていることが大切だと思った。

はたして、父は許してくれただろうか。

父は間もなく、胃瘻を造る前に亡くなった。

母のいのちも父のいのちも雲散霧消したとは思えない。

須賀敦子は亡くなった人のことを「いまは霧の向うの世界に行ってしまった友人たち」といっている(『ミラノ 霧の風景』『須賀敦子全集』第1巻所収)。

霧の向こうにいる人とは会うことはできないが、「いのち」を感じられる。

※本稿は、『悩める時の百冊百話-人生を救うあのセリフ、この思索』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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