『虎に翼』「女性が法律を学ぶなんて!」法事で不在だった母から入学を厳しく反対されるも…寅子モデル・三淵嘉子が進んだ明治大学の<先駆的姿勢>

2024年4月12日(金)6時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

24年4月より放送中のNHK連続テレビ小説『虎に翼』。伊藤沙莉さん演じる主人公・猪爪寅子のモデルは、日本初の女性弁護士・三淵嘉子さんです。先駆者であり続けた彼女が人生を賭けて成し遂げようとしたこととは?当連載にて東京理科大学・神野潔先生がその生涯を辿ります。先生いわく「嘉子は明治大学専門部女子部法科への進学を考えたものの、周囲からは強く反対された」そうで——。

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進路への反対


嘉子は、東京女高師附属高女を卒業した後、法律の勉強をしていこうと思うようになっていました。

そのために、明治大学専門部女子部法科への進学を考えたのですが、嘉子が受験に必要な卒業証明書を取りに行くと、将来を心配した先生に強く反対されてしまいました。先生はおそらく、女性が法律を学ぶなんて、と思ったのではないかと想像されます。

日本に近代的な法律学を学ぶための学校ができたのは明治時代のことです。

帝国大学に法科大学(法学部)が置かれたのに加えて、いくつもの私立法律学校が創設されていきました。明治大学の前身にあたる明治法律学校は、その中心となる学校の一つでした。

なお、フランス法について学ぶ明治法律学校、東京法学校〈現在の法政大学〉、イギリス法を学ぶ英吉利法律学校〈現在の中央大学〉、東京専門学校〈現在の早稲田大学〉、アメリカの影響が大きい専修学校〈現在の専修大学〉の5校のことを特に、「五大法律学校」と言います。

嘉子が進路を考えているこの昭和の時代には、これらの法律学校は大学になっていました。

日陰の道


さて、嘉子は先生の反対を押し切って明大女子部に入学手続を済ませたのですが、その時法事でたまたま東京にいなかった母ノブが、帰京した後でそのことを知り、やはり激しく反対しました。

ノブは後に、熱心な理解者・応援者になってくれるのですが、この時は、将来自立できるかもわからないし、結婚できなくなると心配したのです。

しかし、開明的な父貞雄が嘉子の背中を押してくれ、一緒にノブを説得してくれました。こうして、1932(昭和7)年4月、嘉子は法律の勉強を始めることができたのです。

当時は、女性が法律を勉強するということは、「変わり者」というイメージをかなり持たれるものだったと嘉子は後に振り返っています。

嘉子自身、友人から驚かれたり、呆れられたり、「こわい」と言われたこともありました。

日陰の道を歩いているような悔しさが、嘉子の心を襲うこともありました。

嘉子は後に、教育における差別こそが戦前の男女差別の根幹だった、人間の平等にとって教育の機会均等が出発点として重要であると述べていますが、当時はそのような差別を実感することもたびたびであったようです。

明治大学専門部女子部法科の設立


さて、ここで明治大学専門部女子部について説明しておくことにしましょう。

1929(昭和4)年4月に開校したばかりの明大女子部は、法科と商科との二つの科を持つ三年制の学校でした(なお、これは本科のことで、一ケ年の予科も設けられていました)。


(写真提供:Photo AC)

明治大学の学長であった横田秀雄、明治大学法学部教授で弁護士の松本重敏、そして、東京帝国大学の著名な教授で、明治大学法学部の教壇にも立っていた穂積重遠が中心となって創設し、遅れていた女子の高等教育を充実させる意図を持っていました。

1929年4月28日に開かれたその開校式において、横田秀雄は以下のような演説をして、女子部を設けた意義を説明しています。

少し長くなりますが、また少し難しいところもあるかもしれませんが、この時代の様子も明治大学の先駆的な姿勢も両方伝わる挨拶なので、その一部をここに引用しておきましょう。

「明治大学が今回女子部を設けましたる理由は、一言にして申しますれば、時代の趨勢(すうせい)を看取(かんしゅ)してその要求を充たすといふことに外ならないのでありますが、試みにその主なる点を申しますと、女子の為に高等の教育を施しその学識を涵養し、その智見を開発し、女子をして学問上に於てその天分を発揮することを得せしむるが為に、学問の研究に関して均等の機会を與(あた)へるといふことが、我国刻下(こっか)の急務であるということがその一つであります。

それから男尊女卑の旧習を打破し、女子の人格を尊重しその法律上、社会上の地位を改善して之を向上せしむるといふことも現代に於ける要求の一つであります。

女子に高等教育を施すといふことが、即ちこの要求を貫徹するが為の最良の方法であると考へたといふことが、又その一つであります。

又女子は家政を整理し社会に活動する夫を援(たす)けて後顧(こうこ)の憂(うれい)なからしめ、又家庭に於て専ら子女訓育の任に当り、所謂(いわゆる)良妻賢母たるを期すべきは勿論でありますが、是は浅薄なる学識を以てしては到底能(よ)くすることが出来ないのであります。

故に真に良妻たり賢母たるの実を全うするが為にも亦高等の教育が必要である。斯(こ)う考へましたことがその一つであります。

終りに女子が人格に目覚めたる今日に於て、又生存競争が日に月に激甚(げきじん)を加へつつある現代社会に於きましては、女子がその百世の苦楽を男子の手に委(い)し、家庭に籠居(ろうきょ)して安逸(あんいつ)を貪(むさぼ)ることを許されないのであります。

時と場合とに依りましては女子自から社会に活動して自からその運命を開拓し、一身一家の為に尽すといふことがなくてはならぬ。併(しか)し是はどうしても教育の力に俟(ま)たなくてはならぬ。而も高等の教育に依つて初めてこの目的を貫徹することが出来るのであります。之が即ちその一つであります。」

充実した環境


女性に学問研究の機会を平等に用意し、男尊女卑を打破し、女性の人格を尊重して社会的な地位を改善する。

そして、女性が社会の中で活動し、自身の手で運命を開拓する。

このような理念を掲げる学校で学んだことが、その後の嘉子の人生に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。

多様な法学科目が配置され、一流の講師がそろい、充実した環境でした。

この明大女子部の第1回生には、後に明大女子部の教員として働くことになる立石芳枝や高窪静江もいました。

※本稿は、『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。

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