映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』ジギー・マーリー、父の苦悩や葛藤に気づき「切なくなった」

2024年5月23日(木)8時30分 オリコン

ジギー・マーリー=映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』(公開中) (C)ORICON NewS inc.

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 カリブ海に浮かぶ小さな島、ジャマイカで生まれ、36歳という若さでこの世を去った後も、レゲエの音楽とともに世界中で愛され続ける伝説のアーティスト、ボブ・マーリー(1945‐1981年)。彼の生涯を描いた『ボブ・マーリー:ONE LOVE』が公開中だ。日本公開(5月17日)にあわせて来日した、本作のプロデューサーで自身もアーティストとして活動する、ボブ・マーリーの息子ジギー・マーリー(1968年生まれ)にインタビューした。

——映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』は、海外で2月に劇場公開されると、全米興行収入2週連続1位を記録、英仏では『ボヘミアン・ラプソディ』を超える初日興行収入、母国ジャマイカでは初日興行収入としては史上最高数を記録…と、大ヒット。ボブ・マーリーさんの世界的な人気の高さを改めて感じました。ストリーミングの時代になっても、彼の楽曲が新たなリスナーを獲得し続けていることと、今回の映画の大ヒットは無関係ではないような気がするのですが。

【ジギー】ストリーミング世代の若い人たちに、父の生き様、社会や愛に対するメッセージ、音楽そのものをもっと知ってもらいたくて、ビジュアル的に伝えられる作品を作ろうと思ったことが、この映画をつくるきっかけの一つでもあったんです。いまの若い人たちは音楽を聴くだけじゃなくて、映像と一緒に経験することにすごく慣れているでしょう。実際、映画の公開後、ストリーミングの再生回数がすごく増えているんです。

——映画は、すでにジャマイカで英雄的な人気となっていたボブ・マーリーさんが、無料コンサート「スマイル・ジャマイカ・コンサート」(1976年12月5日開催)を企画したところ、JLP(ジャマイカ労働党)とPNP(人民国家党)の二大政党の政権争いに巻き込まれ、コンサートの2日前に銃撃されるという事件が発生。ジャマイカを脱出して、英ロンドンでアルバム『Exodus』を制作し、78年にチャリティーコンサート「ワン・ラブ・ピース・コンサート」を行うためにジャマイカに凱旋帰国するまでの2年間に焦点をあてていますが、その意図は?

【ジギー】父の人生を左右した重要で濃密な2年間だったと思うんです。一連の出来事の中でいろいろな気づきを得て、彼は開眼した。「自分のために生きていても、むなしいだけだ。誰かのために生きてこそ、僕たちは生きることができる」と。そんなことを言える人はなかなかいない。それが言えたのは、映画で描いた2年間があったからだと僕は考えているんです。突然、命を狙われて、国から逃げ出さなくていけなくなって、その上、足の親指が皮膚がんに冒されていると宣告されて。人生で最もつらい試練の時期を経て、ボブ・マーリーは、ボブ・マーリーになった。父がもっとも尊敬していたエチオピアの皇帝ハイレ・セラシエ1世の孫から、セラシエが付けていた指輪を贈られたのも、この時期(77年)だったんです。

——当時、ジギーさんはどうされていたんですか?

【ジギー】父たちが銃撃された夜のことはすごく覚えてます。僕たちきょうだいは家で寝ていたんです。急に警察官がやってきて、安全な場所へ連れていかれました。その後、父はイギリスに行ってしまったので、しばらく離れ離れになってしまった。「ワン・ラブ・ピース・コンサート」のために帰国した父を空港に迎えに行きました。ものすごい数の人が集まっていて、僕はもみくちゃにされながらもなんとか父が乗っている車に近づくことができて、気づいた父が車の窓から中に入れてくれたんです。映画の中でも描かれていますが、あれは本当に起きたことだったんです。

——「ワン・ラブ・ピース・コンサート」には弟のスティーブンさんと一緒に出演もされていますね。

【ジギー】はい、ステージから見た景色は、忘れられません。「我こそ、スターだ!」と思いましたね(笑)。観客もものすごく盛り上がっていて、すごく楽しかった。それから父は僕らきょうだいをいろんな場所へ連れていってくれたんです。父の近くにいられたおかげで、知らず知らずのうちに多くのことを学んでいたと思います。

——ボブ・マーリーさんは、アジアで唯一、日本を訪れてライブを行っています(1979年)。遠く離れたジャマイカを発祥とするレゲエミュージックが日本でも人気が高いのは何故だと思いますか?

【ジギー】レゲエはただ音を奏でるのではなく、音を通して人や自然に語りかける音楽なんです。スピリチュアルなエネルギーが宿っていて、どんな人も聴けばつながることができるんです。それを人によっては親しみやすいと感じたり、歌詞に共感したりするんだと思います。

——今回、お父様の伝記映画をつくることはご自身にとってどのような経験になりましたか?

【ジギー】以前だったらきっと考えることもなかったであろうことを、今回すごく考えさせられました。父親ではありますが、皆さんと同じようにボブ・マーリーを伝説のアーティストとして見ていたところがあったんです。でも、映画をつくっていく中で、父がその時々で悩み、葛藤し、苦労があったことを知り、共感することができました。当時の父は31歳〜33歳。なんて若かったんだ、と思うと切なくなります。すでに私は、父の年齢を超えて20年くらい経ちますからね。

 この映画が完成するまで、何年もかかりました。その間、自分の音楽活動を含め、複数の仕事を行き来することで、客観的な視点を持つことができましたし、新しい人との出会いもあったし、刺激をもらっていろいろなアイデアが生まれました。このような経験がでてきたおかげで、今、つくっている音楽もすごく生き生きしているんだよ。

——今回の日本滞在もジギーさんのクリエイティビティへの刺激になれば幸いです。

【ジギー】もちろん。楽しんでいるよ!

オリコン

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