呉美保監督が大切に描いたCODAの若者の母への思い・日常のかけら…吉沢亮主演「ぼくが生きてる、ふたつの世界」

2024年9月19日(木)11時0分 読売新聞

呉美保監督=和田康司撮影

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()美保(みぽ)監督が吉沢亮主演で撮った、9年ぶりの長編映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」が20日から全国公開される。吉沢が演じる主人公は、耳がきこえない両親のもとで育ったコーダ(CODA=Children of Deaf Adultsの略)。彼が生まれてからの軌跡とともにつむがれていく家族の物語だ。なぜ今、この映画を撮ったのか。呉監督にインタビューした。(編集委員 恩田泰子)

原作は五十嵐大のエッセー

 コーダとは、耳がきこえない、またはきこえにくい親のもとで育った、きこえる子供のこと。本作の原作者、五十嵐大もコーダ。彼が自らの軌跡を振り返った同名のエッセー(もとの題名は『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』)を基に、家族、とりわけ、母と子の物語を描いている。脚本は、港岳彦が手がけた。

 吉沢が演じる主人公「五十嵐大」は、宮城県の小さな港町の生まれ。両親は耳がきこえない。小さなころは、大好きな母親(忍足(おしだり)亜希子)と一緒にいれば幸福だったが、成長するにつれて周囲から特別視されることに戸惑い、いらだち、時として母にやり場のない怒りをぶつけてしまうように。鬱屈(うっくつ)した気持ちを抱えたまま20歳になった大は、逃げるように東京へ移り住む。やがて彼は自分と同じような境遇の「コーダ」と呼ばれる存在が日本に2万数千人いることを知る。

杏の生き方に触発される

 この映画をつむぎあげる上で、呉監督が重視したのは、「なんでもないような人生のかけら」「当たり前のものの重要性」だという。原作を読み、母親との関係などについては「コーダだけにとどまらないものがあると思ったので、やりたいと思った」とも。そんな物語の中身に触れる前に、まずは、本作が、9年ぶりの長編となったことについて。

 呉監督は「客観的に見ると9年ってすごい期間のような気がするけど、実感としては『一瞬』だったなと思います。毎日、やることがいっぱいだったから」と言う。

 1977年生まれ。2006年に「酒井家のしあわせ」でデビュー。続く「オカンの嫁入り」(10年)で新藤兼人賞、「そこのみにて光り輝く」(14年)はキネマ旬報ベスト・テン1位(日本映画)に。「きみはいい子」(15年)を撮った後、2人の子の出産・子育てを経験。「あっという間に9年が過ぎていた」。その間、広告の仕事や短い映像作品は手がけていたが、長編映画には手をつけられずにいたという。

 転機は、21年に短編「私の一週間」(映画「私たちの声」の1編)を撮ったこと。杏主演で、子供2人を育てながら働く母親の日常を描いた。

 「ジェンダーギャップをテーマにした作品だったのですが、そのテーマに、自分が置かれている、映画をなかなか撮るに至らない何かをもう一度考えさせられましたし、そこで出会った杏さんのバイタリティーのある生き方を見て『何か自分はもっとできるんじゃないか』と思わされたりもしました」

 そんなタイミングで「ぼくが生きてる、ふたつの世界」に誘われた。「下の子が1歳になって言葉が通じるようになり」「めいっ子が聴力を失って家族がバタバタしている」時期でもあった。「手話の世界を学びたいという気持ちもあって、チャレンジしました」

日本ならではのCODAの話

 主人公・大の両親を演じた忍足亜希子と今井彰人をはじめ、ろう者の登場人物はすべてろう者の俳優が演じた。また、手話表現に関しては、「ろう・手話演出」を担う早瀬憲太郎、石村真由美の2人とともに、登場人物それぞれに合ったものを掘り下げていったという。「手話も、日本語と同じで、年代や住む場所や性格によって違いが出てくる。家族だけの言葉もある」からだ。

 監督と、手話を指導・監修する立場の人が一緒にキャラクターを作り、表現を模索していく手法は、アカデミー賞作品賞などに輝いたアメリカ映画「コーダ あいのうた」のやり方を参考にしたものだ。同作もまた、きこえない両親のもとで育った、きこえる子供の物語。だが、今作とは大きな違いが二つあるという。

 「『コーダ あいのうた』は、さすがアメリカ映画だけあって、主人公が歌手になるという確固たる夢をもって親元を離れていく話。また、当たり前のように親の通訳をさせられるコーダの苦悩も描いている。今度の『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の主人公は、ほかと違うことへの葛藤を抱いて、自分が何をやりたいのかわからないまま流れ流され、やがてライターという道を志す」

 そして、だからこそ「すごく日本っぽい、日本ならではのコーダのお話になるな、と考えた」と言う。「何になりたいか、確固たる思いで東京に出てくる人はそこまで多くなく、『何かありそうだ』と思って出てくる人が大多数ではないかと思います。その感じは、コーダという立場を超えて、多くの人が共感できるのではないかと」

吉沢亮がつないだもの

 大は東京で、時間をかけて道を見つけていく。偶然の出会いをきっかけに、手話サークルの人たちと交流を重ね、かつては拒んでいた手話と出会い直す。同時に、故郷にいる家族に対する思いを強めていく。

 その大を、吉沢に演じてもらった理由については、こう話す。

 「吉沢さんは、ルックスは間違いなく美しいんですが、それ以上の内面の豊かさを持っていて、何でもない男の子が大人になっていく過程をすごく繊細に演じてくださるだろうな、と想像できたのでお願いしました」

 そして「やはり演じてもらって良かった」と思ったという。「この映画って(主人公の人生の)瞬間、瞬間を結構、点描で描いているんですが、その間に何があったのかを感じられるようなお芝居を順を追ってやってくださっている。それをつなげてみた時、私自身、すごく胸が熱くなりました」

 点で描かれる「日常の断片」が、いかに大切なものだったか。映画の後半でふいに始まる回想シーンから観客は実感することになる。恐らく自分の家族への思いも重ね合わせながら。

時系列で描いた理由

 映画の物語は、大の誕生から始まり、時系列に沿って進んでいく。

 「元々原作は、現在の『ぼく』が過去の『ぼく』を思う話で、最初に(脚本の)港さんから上がってきたプロットもそうでした。ただ、そういう構成の映画は大抵、その人物が語り部でしかなくなってしまう。だから、時間軸はやっぱり生まれた時から並べていきたいと思いました」

 「ただ、それをズルズルと長く描くといいものにもならないだろうから、人生の、ちょっとしたかけらみたいなものをつなぎあわせて——それは結構、賭けでもあるんですけれど——最後に、彼が抱えていた母親への思い、懺悔(ざんげ)の思いのようなものが、ポンッと回想として描けたら、それはきっと心が揺さぶられるというか、そういう流れになるのかな、と考えて、港さんと一緒に作っていった感じです」

出演者たち、そしてあの俳優

 小さな頃の大は、2人の子役が演じている。外見も含め「吉沢亮に行き着く」ことが自然に感じられる子供を粘って探した。一方、母親役の忍足は、20代から50代までを演じ通している。メイクなどの力も借りているというが、その自然さに驚嘆させられる。そして、もう一つ、驚かされるのは、父親役の今井と、吉沢は実は数えるほどしか年齢が離れていないことだ。「びっくりじゃないですか?」

 出演者ではないが、「三浦友和」という俳優の存在も思わぬ形で印象を残す。「大好きなので、いつか本物の三浦さんとご一緒したいです」

 舞台は、宮城県。原作では東日本大震災にも触れられているが、今作は、それ以前の物語という設定にした。議論を重ね、熟考した結果だという。

 「震災を入れるとなれば、それはちゃんと描かなくてはいけない。そうすると震災の映画になる。ただ、これは母と息子の話。当たり前のものの重要性をちゃんと感じて、自分はさして不幸ではなかったんだと気づくことができる物語にするとなった時に、今回は入れないという選択にしました」

「戦争の映画」をいつか撮りたい

 撮りたい映画は「いっぱいある」。既に新作も手がけている。

 「でも、やっぱり毎日、大変で、子供にご飯を作れなくて、『ごめん!』って買ってきたお弁当を出したら、とても喜ばれるというすごく皮肉な展開も。それでも頑張って作ったら、『えー』とか言われたりして。何にせよ大変なので、やりたいと思った作品を、短期集中でぎゅっと凝縮してやっていくっていうことでいいかなと思っています。今までも、やりたい作品をやってきたんですけれど、これからは一層、その一つ一つが強いものであるようにしたいと思います」

 いつか撮りたいのは、「戦争の映画」だという。「第2次世界大戦の時のお話をやりたくて。あれだけ大変な——というか、大変とかいう次元じゃない思いをしても、いまだに世界のどこかで戦争が起きているというのは、何なんだろうなって。それによって何でもない人たちの人生が、狂わされていくっていうことを、自分なりの表現でやれたらなとは今思ってるんです」

 ただ、過去を描く映画、とりわけ戦争映画はしっかり描こうと思えば、多額の予算が必要だ。「ちょっと大作すぎて、どうしたらいいんだろうとは思うんですが……『出資、大募集』って書いておいてください」

 ところで「ぼくが生きてる、ふたつの世界」の撮影中、呉監督自身が、なんとも切ない気持ちになってしまったシーンがあるという。それは、大が、あるオフィスで採用面接を受けるシーン。「あのシーンの吉沢さんが去って行く後ろ姿に、自分の息子がいつかこんな感じだったらどうしようって、泣きそうになってしまいました」。母の思い、子の思い。いろんな気持ちが溶けあって、呉監督の映画はますます味わい深くなっていく。

 ※「ぼくが生きてる、ふたつの世界」は9月20日から、東京・新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開。

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