笠置シヅ子は日本海難史上最悪の事故を回避していた…朝ドラでは描かれなかった"強運の女っぷり"
1937年、大阪松竹少女歌劇団(OSSK)の「神風踊り」の笠置シズ子 - 写真=朝日新聞社/時事通信フォト
写真=朝日新聞社/時事通信フォト
1937年、大阪松竹少女歌劇団(OSSK)の「神風踊り」の笠置シズ子 - 写真=朝日新聞社/時事通信フォト
■笠置が自伝で「因縁物語」と書いた幼少時の出来事
NHKテレビの「ブギウギ」は華やかな歌と踊りが多く、視聴者の関心もその方面に向きがちである。しかし主人公笠置シヅ子の人生は、危(あやう)いいばらの道であった。彼女の歌と舞台の栄光は生死の危機を撥(は)ねのけて得たものである。
筆者はひそかに笠置のことを「強運の女(ひと)」と呼んでいる。その一つ二つをご紹介してみたい。
笠置はこれから話すことがらを自著『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1949年、北斗出版社)の中で、「因縁物語」と呼んでいるが、芸名とも関係していく。
笠置が九死に一生を得た因縁物語の一つには、4歳の時にかかった百日咳がある。元々、笠置は気管が弱く百日咳に罹(かか)り大阪医大に入院することになった。
ところが思わぬことに病状はどんどん悪くなる一方で、とうとう病院からは治癒の見込みがないと匙(さじ)を投げられてしまった。亀井の両親のみならず親戚一同が集まって、葬式の段取りまで打ち合わせする始末だった。
そんな最中(さなか)、大阪・福島の亀井音吉(笠置の養父)の店先にやせ衰えた老婆が現れて空腹を訴え、売り物の米を無心するのだった。音吉が訳を聞くと、ある商家の飯炊きをしていたが火災に遭い暇を出されてしまった。ついては長野の善光寺で寺男をしている遠い縁者を頼っていくところだと打ち明ける。さらに四国・高松の生まれであることもわかった。
■百日咳で生死の境をさまよっている時、謎の老婆が来た
老婆の亡くなった亭主も琴平市で祈祷(きとう)師をしていたそうで、縁者も寺や神社に関係する仕事についている人が多いという。
哀れに思った音吉は老婆に食事を供し米も分け与えた。このとき老婆は音吉から娘が病を得て生死の境にいることを知った。すると老婆はおもむろに頭陀袋(ずだぶくろ)からお守りのようなものを取り出し、真剣な顔つきでこんなことを言い出した。「そんなら、この護符で病人の額を三度なすりなさい。たちどころに平癒(へいゆ)します」。
神信心に薄い音吉はありがたがりもせずその紙切れをもらった。見ると四国・琴平の金毘羅(こんぴら)神社の御札だった。
病院に行った音吉は、半信半疑でその護符を笠置の額に当て老婆の言われた通りにすると、その晩からみるみる病状は回復していった。驚いたのは医者ばかりではない。
■老婆が渡した金比羅の護符には笠置の生まれ故郷の名が
両親や親戚縁者も護符の奇跡に唖然とするばかりであった。親戚などが寄ってたかって霊験あらたかな護符をいじっているうちに、護符の裏側に文字が書かれていることに気づいた。
「相生村(あいおいむら) しづ子」とあった。
これには一同さらにギョッとさせられたのである。しづ子なる人物には心当たりはないが、相生村とは笠置の生まれた村である。どんないわくがあって相生村の名前が書かれていたのだろう。
誰も知るすべもなかったが、この護符に命を救われたと信じた両親によって、笠置は戸籍もミツエから志津子となり、後年静子と改名したのである。
この護符は笠置によって大事にされていたが、戦災によって失われたとのことである。
■若かりし頃、北海道巡業での不思議な出来事とは…
ついでにもう一つ笠置の運命を分けた話をご紹介してみたい。ノンフィクション作家の砂古口早苗が調べ『ブギの女王 笠置シヅ子』(現代書館、潮文庫)で書いている。
昭和29年8月から9月にかけて笠置は北海道にいた。俳優の長谷川一夫一座と笠置の座組一行は合同で北海道巡業をしていた。とはいえ劇場によっては別興行を打つこともある。
1929年公演「第4回春のおどり開国文化」で踊る笠置シズ子(中央)(写真=OSK日本歌劇団/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)
笠置シヅ子と親交があった長谷川一夫『アサヒグラフ』1953年4月29日号(写真=朝日新聞社/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)
最終的には両者一行は9月26日に函館で合流し、函館発の青函連絡船に乗船して青森から帰京する手はずだった。長谷川一夫一座は予定通り函館に着いたが笠置の一行が遅れていた。
帰京後の予定も詰まっていた長谷川は先に帰ることもできたが、笠置の到着を待つことにした。結局、間に合わず長谷川一座は当日の青函連絡船には乗らなかった。これが長谷川一座の生死を分ける判断となった。
この日の夕方から台風15号通過の予報にもかかわらず、台風の影響が遠のいたという船長の判断で出港した連絡船洞爺丸(とうやまる)は、予想に反し波浪高い函館湾内であっけなく転覆してしまった。死者・行方不明者1155人を数える日本海難史上最悪の事故となった。生存者は159人を数えるのみであった。
■笠置の到着が遅れて、日本海難史上最悪の船舶事故を回避
結果的に笠置・長谷川一行は九死に一生を得たかたちになった。しかし二人は長い間この事実をマスコミに漏らすことはなかった。もちろん犠牲者と遺族の心情を慮(おもんぱか)ってのことである。
長谷川は笠置と会えばそっと「あんたのおかげで助かった」と言うことを忘れなかった。
これは笠置とて長谷川と思いは変わらない。人知を超えた運命のいたずらかもしれない。笠置にとっては一生忘れられない出来事だった。
筆者自身にはこういう経験はなかったが、身近な人にはある。むかし札幌雪祭りに出版業界のメンバーによる団体旅行があった。ある人は日程を終えた帰りに東京行きの予約便飛行機を友人と会うためキャンセルした。ところが、その飛行機が墜落して九死に一生を得た。この人は筆者の仕事先の出版社会長である。
筆者の弟は軽自動車で旅行をする予定だったが、直前にふと気が変わり頑丈なオフロード車をカーリースした結果、多重事故に巻き込まれたものの軽傷で済んだ。
■いつでも仕事に全力投球だった笠置は強運をたぐり寄せた
人生で一瞬の生死を分ける磁場とはいったいなんなのだろうか。
筆者が考えるに笠置の場合、いつでもどこでも全力投球だった。彼女の強運はここに鍵があるような気がする。
令和5年のスーパー歌舞伎「不死鳥よ波濤を超えて」で、不祥事を起こした主演・市川猿之助の代役をたった一日の稽古で見事に演じた弱冠20歳の市川團子(だんこ)が世間からやんやの喝采を浴びた。
しかし、こんなことは松竹歌劇団の部屋子(へやこ)時代の笠置にとって当たり前のことだった。公演があればどんな役でも演じられるように、食い入るように他人の演じる芝居を見つめた。一朝ことがあれば代役を任せられるように心構えだけはしておくのである。
結果、しばしば代役の話は笠置に回ってきた。
笠置が歌劇団に入って半年か1年くらいの間に長谷川一夫の師匠・林長三郎の「保名」が上演された際には、笠置は童子に抜擢され、名妓菊吾が「鑑獅子」を踊った際には小蝶の役を貰った。
これは異例のことだった。同僚からは憎まれ嫉妬されたものである。しかし笠置はめげなかった。恩になった人へ一日も早く恩返しするためにはそんなことをいちいち気にしていられなかったからである。
笠置にとって運はたまたま巡(めぐ)ってくるものではなくたぐり寄せるものだった。
後年、笠置シヅ子は歌手活動を継続するための体力と忍び寄る人気の凋落(ちょうらく)に不安を覚えて、周囲の反対を押しのけスパッと女優業に切り替えた。それは徹底していて笠置は以降持ち歌の鼻唄さえ歌うことはなかった。もちろん収入面では何分の一になった。半面、息の長い芸能生活を送ることに成功した。そういう意味でも彼女は最後まで「強運の女」であった。
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柏 耕一(かしわ・こういち)
著述家、編集者
1946年生まれ。出版社に勤務後、編集プロダクションを設立。書籍の編集プロデューサーとして活躍し、数々のベストセラーを生みだす。その後、著述家としても活動。おもな著書には、『75歳、交通誘導員まだまだ引退できません』『交通誘導員ヨレヨレ日記』『武器としての言葉の力』『十四歳からのソコソコ武士道』『岡本太郎 爆発する言葉』などがある。
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(著述家、編集者 柏 耕一)
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