神野美伽「42歳で引退を決意したブギの女王・笠置シヅ子さん。〈自分が最も輝いた時代を自分の手で汚すことはできない〉。その美学にも共感して」
2024年3月26日(火)12時0分 婦人公論.jp
舞台で笠置シヅ子役をパワフルに演じた神野さん(写真提供◎TOI LA VIE〈トワラヴィ〉)
朝ドラで話題の笠置シヅ子さん役として音楽劇『SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE〜ハイヒールとつけまつげ〜』の主演を務めた神野美伽さん。『ブギウギ』も後半を迎え、羽鳥に引退をほのめかしたスズ子は「歌をやめることは今までの歌を葬り去ること。君は死ぬまで歌手なんだ。歌をやめるなら絶縁する」と宣言されます。「歌手としてのケジメのつけ方」を現役歌手の神野さんが綴ります
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前回「神野美伽「笠置シヅ子さんから江利チエミさん、そして私へ。脈々と受け継がれる歌のDNA。大切に歌っていきたい」」はこちら
「歌うということ」を生業にして40年
気づけば、自分の一番好きなこと、(おそらく) 一番得意だと考えられる「歌うということ」を生業に生きて来て、すでに40年の月日が流れました。
アッという間と言えばアッという間ですが、一つ一つゆっくりとひも解いてみると、喜怒哀楽、見事なほどに色々なことを経験させていただけた時間だったと思います。
そんな幸せな時間も当然永遠ではなく、いつかそこから離れなければならない時が来ます。若い頃は40年歌を歌い続けるなんてことは想像すら出来ませんでしたが、今その歌ってきた人生の終い方なるものを何となく考えるようになりました。
先輩方の中には80代になられても、まだまだお元気に歌手としての人生を送っておられる方もいらっしゃいます。しかしそれはどの歌手にでもできることではなく、身体的、精神的に並大抵のことではありません。
自分なりの「収め」と向き合う
歌手として歌う、歌わない、それを決めるのは具体的に体力、精神力ということより、もしかしたらその歌い手の人生観、物事の価値観といったものなのかも知れません。
過去には、結婚を理由に21歳という若さでスパッと芸能界から身を引いた、山口百恵さんというスーパースターの引退が非常に印象的で、多くの人の記憶に残っていることでしょう。
本当に限られた限られた歌手にしか与えられないスーパースターという勲章。それ故に、与えられた者にしかわからない苦悩というものがあり、望まずともその苦悩を道連れに日々を生きなければならないのです。
私のような半端な歌い手がスーパースターの引き際、生き様に対してどーのこーの言うことではありませんが、半端な私は私なりに、やはり自分の「収め」と言うものと真剣に向き合わねばいけないと思っています。
毎日を何となく歌いながら生きて、何となく気がついたら長く歌っていたという人生を私は望んでいないからです。
笠置シヅ子さんのケジメの付け方
そういった意味で、いま私は、笠置シヅ子さんの歌手としてのケジメの付け方にとても興味があります。何を感じ、何を考え、どのような心情で歌手を廃業されたのか。
笠置さんが歌手を廃業なさったのは彼女が42歳の時でした。
大晦日のNHK紅白歌合戦の舞台、しかも大トリとして「ヘイヘイ・ブギー 」を歌ったことが形(カタ)としての彼女自身のケジメだったのだと思います。
20歳の時に吹き込んだ、「恋のステップ」から22年程の歌手人生であったということです。
しかしその22年の中には、戦争があり、愛する家族や恋人との死別があり、愛娘の出産があり、それでも数え切れないほどのヒット曲があり、数え切れないほどのステージで歌い、数え切れないほどの映画で演じる、まるでジェットコースターのような日々が歌と共にあったのでしょう。
時間の長い短いではなく、笠置シヅ子という歌手は鮮やかにその時代を生きたのです。私は以前、「時代が笠置シヅ子を求めた」というように書いたことがありますが、笠置さん自身は時代のため、人のためなどではなく、強いて言えば愛娘のエイ子さんのため、何より湧き上がって来る「自己表現欲」を昇華させたいために歌ったのだと思います。
その表現の欲は服部良一先生も同じくで、お二人はまるで二人で一つの人間のようなひと時代を生きておられたのではないでしょうか。
御子息の服部克久さんが「親父さんにとって笠置シヅ子は、もしかしたら自分の一部なのかなぁ」と、のちのインタビューで話していらっしゃる通り、どちらかが欠けても和製JAZZという素敵な音楽は生まれていなかったのではないかと思います。
作曲家・服部了一は1907年に大阪生まれた。1936年コロムビアの専属作曲家となり、淡谷のり子『別れのブルース』を作曲。ほか代表曲に『蘇州夜曲』『山寺の和尚さん』『東京ブギウギ』『青い山脈』『銀座カンカン娘』などがある。作曲家としては古賀政男に次いで史上2人目となる国民栄誉賞が授与された。93年、85歳で死去した(写真提供◎神野さん)
独自ジャンルに夢が持てなくなった?
笠置さんは、ご自分の歌手廃業の理由を「動いて歌ってこその笠置シヅ子」「太り始めてそれが出来なくなったから、プッツリとやめた」とテレビのインタビュー番組で話していらっしゃいます。
「自分が最も輝いた時代をそのままに残したい。それを自分の手で汚すことはできない」と。
いかにも、努力家で責任感が強く、一途で潔く、自分にも他人にも厳しいと言われた笠置シヅ子さんらしい表現だと感じます。
根っからの潔癖症、と言ってしまうと語弊があるのかも知れませんが、人の生き方にはそのような「生理的要素」も十分に関係していると私は思います。私自身がそうだから、妙に納得がいくのです。
そして、笠置さんは、ただ踊れなくなったからというだけで、歌手を廃業したわけではないと思います。もちろん、それも1つの要因であったことに間違いないのでしょうが、そのことよりも彼女は、服部良一先生と一緒に作り上げた「ブギー・和製ジャズ」いう独自のジャンルの先にもう夢を持てなくなってしまったのではないでしょうか。それが歌をやめる一番の理由であったのではないかと、歌手ゆえに私は考えてしまいます。
自分の歌、自分の音楽に対して誰よりも自分自身が興味を持ち、そこに夢を持っていてこそ歌手というものは歌を歌い続けることができるのだと身を以て感じています。
もし、笠置シヅ子さんという歌手が「ブギー・和製ジャズ」の他に、別の音楽の世界を持ち合わせていたならば、42歳という年齢で歌手を廃業するという話にはなっていなかったのではないかと思ったりもしますが、そのような事は、御自身が一番よく分かっていらっしゃったに違いありません。その上で、廃業という選択であったのだと思います。
42歳で引退を決めた笠置シヅ子(写真提供◎神野さん)
自分の中にある音楽の世界を追求したい
さて、その笠置さんの廃業時の年齢をはるかに過ぎた私でありますが、健康面で問題を抱えているにもかかわらず、今以てまだ歌うことを諦めてはいません。
その理由は一つ。
私は、私にまだ興味があるからです。
プロとして演歌というジャンルを長く歌って来た中で、自分の中にそれ以外の歌や音楽があることに気づき、その世界をもっともっと追求したいという強い思いがあるからです。
「私の歌は何処に辿り着くのだろう!」というワクワク、「今までにまだ見ていない表現の世界がある!」というドキドキがあるからです。
この歳にしてまだ「夢」を持ち続けていられることは、歌手として何よりも恵まれたことだと出会ったすべての人たちに感謝しています。
しかし私も、そんな「夢」を見られなくなったとき、迷うことなく違う生き方を選ぶのだと思います。
(写真提供◎photoAC)
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