『作曲家・服部良一と笠置シヅ子~のり子・はま子…女王たちの時代』に神野美伽さんが登場。笠置シヅ子さんへの思いを語る
舞台で笠置シヅ子役をパワフルに演じた神野さん(写真提供◎TOI LA VIE〈トワラヴィ〉)
3月10日 BSテレ東で 18:55分より『作曲家・服部良一と笠置シヅ子〜のり子・はま子…女王たちの時代』に神野美伽さんが登場、笠置さんへの思いを語ります。神野さんが笠置さんの共通点を語った記事を再配信します。
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1984 年のデビュー以来40年に渡って歌い続け、近年では海外でも活動する神野美伽さん。朝ドラで話題の笠置シヅ子さん役として音楽劇『SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE〜ハイヒールとつけまつげ〜』の主演を務めた。笠置さんをはじめとする昭和の歌手に受けた影響と、自身の歌手人生を振り返る。
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前回「神野美伽「銭湯、理髪店...笠置シヅ子さんとの不思議な因縁。母の境遇と笠置さんが重なり...」」はこちら
「生き方」と言うのは人それぞれ
「生き方」と言うのは人それぞれ、じつに色々なスタイルがあります。特に今の時代、個人の自由が大変重んじられ、それに対して世間もとやかく言うことがなくなって来たように思います。それは、近年世の中が大きく変わったと感じることの1つであります。
笠置シヅ子さんは、人気歌手でありながら当時、結婚と言うプロセスを踏むことが出来なかった恋人との子を出産する生き方を選びました。んんん...、果たして自らその生き方を「選んだ」のか、はたまた、人生の激流に呑み込まれるが如く身をまかせたのか、それは御本人のみぞ知るところでありますが...。
笠置さんの人生に起きたこの出来事は、近年の芸能界であれば特段驚くようなハナシではありませんが、時は昭和22年、日本が戦争に負けてまだ2年も経たない時代のことです。センセーショナルであったことは容易に想像できます。
笠置さんは、出産のわずか4ヵ月前に引退を決意した上で日劇の長期公演の舞台に立ちます。これは、歌手としても女性としてもとても真似の出来ることではありません。長期公演の舞台は、それほど身を削る、命を削る過酷なものであるということを私もよく知っているつもりです。
「これが最後」という、よほどの決意が有ったのでしょう。周りの関係者や、笠置さんを愛したファンの方々への責任感や律義な気持ちが有ったのでしょう。それらが痛いほど分かるゆえ、私などは、心底感動してしまいます。
すべてを懸けた恋の結末
しかし、出産のわずか2週間前、その最愛の恋人を病で亡くしてしまうのです。笠置さんより9歳も若く、24年にも満たない短い生涯でした。
歌手として積み上げてきたキャリアも、自身の命でさえも、すべてを懸けた恋の結末がこのようなことであったとは...。人生は、なんと酷いものか。
次元の違うハナシでありますが、私は結婚を決めた33歳の時、「歌をやめさせて欲しい」と、所属事務所の社長に掛け合いました。女性として、愛する人の子どもを産み育てて生きていく別の人生を心から望んだからです。
11歳の私を見出し、歌手として手塩にかけて育ててくれた社長には当然どやされることを覚悟で参上したのですが、そのとき社長から返ってきた言葉は「後悔はないな?なら、それでいい。幸せにしてもらいなさい。おめでとう」でした。
いま、こうして書いていてふと気づいたのですが、その時の私とあの時の笠置シヅ子さんは、偶然にも同じ33歳。互いに思慮分別があって然りの年齢でした。
引退を許してもらえた私は、その日から約1年を新しい仕事は受けず決まっていたスケジュールだけをこなして過ごしていました。
私は歌いたい
しかし、幼い頃から歌だけを歌って生きてきた私は、時間の経過とともに激しい空虚感を抱くようになって来てついに「ごめんなさい。私は歌いたい」と夫に告げたのです。
「後悔はない」と啖呵を切ったはずなのに、自分自身が恥ずかしくて、申し訳なくて、居た堪れない気持ちでした。結局、私は、私を捨てることができなかったのです。
夫から「そう言うと思ったよ。君は歌いなさい。君の歌が僕たちの子どもだと思えばいい」と言ってもらえたとき、感謝とともに初めて「あぁ、私は歌うことが本当に好きなんだ!」と気づきました。
ビッグバンドサウンドに包まれて。東京キューバンボーイズの皆さんも迎えての中野サンプラザのコンサート。笠置さんもビッグバンドで歌っていたのでしょう
歌をやめると決めて、初めて自分のやるべきことに気づくだなんて、なんて皮肉な、いや間抜けな話でしょう。要するに、私と言う人間はわがままなのです。そのわがままをこのように通させてもらえた、幸せな今までの人生だったということです。
人騒がせな結婚の始まりでありましたが、歌手としての人生はそこから大きく変わりました。
あのとき歌うことをやめていたら
私も笠置さんも、大事な歌を手放すと決めたにもかかわらず、結果的に手放すことができず、2人とも歌うという生き方をそのとき自分で選びました。
そして、笠置さんは恋人との死別、出産の4ヵ月後に人生最大のヒット曲となる「東京ブギウギ」と出会い、私如きで恐縮ではありますが、私自身も再び歌うことを決めて3年も経たない年の大晦日、『輝く!日本レコード大賞』、『NHK紅白歌合戦』ほか民放の特番を掛け持ちするほどのヒット作品と喜びを共にしていました。
2人とも、あのとき歌うことをやめていたらこの歌たちは生まれていなかったのです。
そう思うと、巡り合わせや、人として与えられる役割のようなものが人生には必ずあるのだと感じずにはいられません。
わがままと言われても意を通し、真剣に命をかけて生きる。その日々の重ねが私の「生き方」になりつつある、そんな気がしています。
こんなことを書きましたが、どうでしょう...。
笠置さんは、どう仰るかしら?
婦人公論.jp
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