『メルセデス・ベンツ190E 2.3-16』日本にも上陸したグループAのための“小ベンツ”【忘れがたき銘車たち】
モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、全日本ツーリングカー選手権を戦った『メルセデス・ベンツ190E 2.3-16』です。
* * * * * *
日本では“小ベンツ”という愛称がつけられ、バブル期に市販車が大ヒット。モータースポーツにおいても2.5リッターエンジンを積んだ『エボリューションⅠ』、『エボリューションⅡ』と呼ばれるモデルが、1980年代後半〜1990年代前半にドイツツーリングカー選手権(DTM)において活躍したことが知られるメルセデス・ベンツ190E。
そんな皆がよく知るDTMでの激走より少し前、グループA規定にて行われていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)にも190Eは参戦していた。
JTCに挑んだ190Eは、『2.3-16』というモデルで、コスワースに開発を依頼した2.3リッター16バルブNAエンジンを積むグループAツーリングカーレース参戦を視野に入れたホモロゲーションモデルだった。
この190E 2.3-16を最初にJTCへと持ち込んだのは、のちにF1への参戦も果たすレイトンハウスで、コスワースが1986年のレースデビューに向けて製作した5台のうちの1台を購入してのエントリーだった。
レイトンハウスの190Eは、萩原光/黒澤元治というふたりのドライバーが駆り、西日本サーキットが舞台となった1986年のJTC開幕戦でデビュー。
このレースではリタイアに終わり、次戦での巻き返しが期待されたが、190Eのテスト中にドライバーの萩原光が死去。
その影響もあって第2、3戦と欠場が続いたが、西仙台ハイランドで開催された第4戦において黒澤元治と影山正彦のドライブで復帰した。その後、最終戦まで参戦を続けるも目立った成績は残せなかった。
その後、1987年から1989年までプライベーターらが断続的ながら参戦はしていたが、同ディビジョン2における強力なライバルであるBMW M3が1987年から登場したことにより、勝利を挙げることはできず。
1986年のDTMでは途中参戦ながらフォルカー・バイドラーのドライブで2勝を挙げてシリーズ2位になったほか、同年のJTC第5戦でもあったインターTECではヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)に参戦していたスノーベックレーシングチームが来襲。
そのスノーベックの190Eは、クラス優勝ばかりか総合でも6位に食い込むなどポテンシャルは高いマシンだったが、JTCにおいては“多数派”BMW M3に対して劣勢を強いられ、ディビジョン2に定着することはできなかった。
投稿 『メルセデス・ベンツ190E 2.3-16』日本にも上陸したグループAのための“小ベンツ”【忘れがたき銘車たち】 は autosport web に最初に表示されました。
「ベンツ」をもっと詳しく
「ベンツ」のニュース
-
“極上のリラックス時間を叶える” 人気のラウンジチェアからアウトドアバージョンが登場「JACKOUT」ロルフベンツ東京にて販売開始5月9日13時46分
-
“ベンツのフロントガラスを蹴り割るブリトニー・スピアーズ”激写される4月30日4時4分
-
金正恩の大型ベンツを「中国車」で追い越した軍高官の悲惨な運命4月27日8時32分
-
シャオミEVの返金不可受注7.5万台、購入者の29%がベンツ・BMW・アウディオーナー4月26日5時0分
-
高級車「ベンツ」を買える年収って? 維持費も含めて試算してみた4月24日10時30分
-
『メルセデス・ベンツ190E 2.3-16』日本にも上陸したグループAのための“小ベンツ”【忘れがたき銘車たち】3月26日8時34分
-
「女王様にはよく似合う!」 山下美夢有が獲得したベンツは何台目?3月12日11時14分
-
韓国人のベンツ・BMW熱が冷めた?販売台数が減少した理由=韓国ネット「虚栄心の民族なのに…」3月11日7時0分
-
VWは中国企業と提携して中国向けEV開発、ベンツは新規開発を断念—独メディア3月4日7時0分
-
名車であるメルセデス・ベンツ300SLのマウスが、那須クラシックカー博物館に登場。2月26日10時17分