ヤマハOBキタさんの鈴鹿8耐追想録 1986年(前編):ライダーの指摘を勘違いし大きく迷走したエンジン開発
レースで誰が勝ったか負けたかは瞬時に分かるこのご時世。でもレースの裏舞台、とりわけ技術的なことは機密性が高く、なかなか伝わってこない……。そんな二輪レースのウラ話やよもやま話を元ヤマハの『キタさん』こと北川成人さんが紹介します。なお、連載は不定期。あしからずご容赦ください。
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ファクトリーチームの鈴鹿8耐初出場で初優勝というチャンスがゴール直前でするっと手からこぼれ落ちたのは大きなショックではあったが、同時に「もう少しきちっとやれば優勝も夢じゃないよな」的な安易な意識も芽生えてしまったのがファクトリー参戦2年目の、1986年のレースだった。
この年からファクトリーマシンを“YZF750”と改名したのだが、名称だけでなくエンジンの外観以外はすべて一新された。シリンダヘッドに懸架用のブロックを溶接し、0W74(1985年FZR750)では痕跡器官のように残っていたダウンチューブも廃止して現在のMotoGPマシンにも受け継がれているフレームの様式がここからスタートした。
ヘッドライトは新たに100mm径のものを採用したのでカウリングにきれいに収まり、もはや0W74の無骨さはどこにもない『フツー』に格好いいマシンに変貌していた。そしてエンジン性能も格段に……と言いたいところだが、これがそうはいかなかった。
実は前年の0W74に袋井テストコースで初めて乗ったケニー・ロバーツ選手は、エンジンに関してはかなり辛辣な評価を下していたのだ。「バイクってのは基本的にエイペックス(編集部注:いわゆるクリッピングポイント)を過ぎたらスロットルを開けて駆動力で向きを変えていくんだ。ところがこのマシンときたらスロットル開けても吸気音が水洗トイレみたいにゴーッと大きくなるだけで何も起きない、だからマシンの向きも変わらない」と身振りを交えて大げさに説明するキング(編集部注:ケニー・ロバーツの愛称)の姿に不謹慎だが一同大笑いしたものだ。
5バルブエンジンの特徴でもあるのだが、トルクピークが比較的低回転寄りなので、ピーク以降は力なくだらだら回る特性だった。だからここぞとスロットルを開けても駆動力が2サイクルマシンのように湧いてこない事は容易に想像できたのだが、このコメントをスロットルに対するレスポンスが悪いと勘違いしたのがエンジン実験担当者だった。
「だったら低回転からトルクをモリモリ出してやればいいんじゃないの」とひとり合点した彼はキングの要望とは真逆のエンジン特性を作りこんでしまった。
■「今年のマシンはまるでダメ」と辛辣な評価
当然ながら2年目の事前テストでのキングの評価はさらに辛辣なものだった。「お前ら、この一年何やって来たの?」とホワイトボードに右肩上がりの斜めの線を描いて、左下を市販車、右上をレーサーとマーキングして曰く「レーサーって普通は市販車に対してこういうふうにリニアに性能が上がるべきものなんだ。しかるに今年のマシンはまるでダメでこの辺りに行ってる」と直線から大きく外れたところを指さした。
確かに低回転からトルクは出ていたが、その結果中間域のトルクがやせて谷ができ、その後またトルクの山ができるという“ふたこぶラクダ”みたいな特性だったので、素人目にも乗りやすいエンジンとは思われなかった。
「誰だ、こんなエンジン特性にしたのは!?」とケニーの指摘を受けて初めて事態の容易ならざることを知った当時の部長が声を荒げた。すると当のエンジン実験担当者は「俺ですけど、開発の経過は逐一報告していて、今年はこういう仕様で行きますって報告書も出してますよ。ちゃんと部長のサインもありましたけど」と答える。そう言われたら普通はぐうの音も出ないところだが、件の部長はただ者ではなかった。
「馬鹿野郎、そういうのをメ○ラ判(書類を精査しないまま承認・決裁を意味する判を押す)って言うんだよっ!」ととんでもない逆切れをする始末。居合わせたスタッフ全員が「へッ???」と顔を見合わせる中、大柄なふたりは今にも掴みかからんばかりの形相でにらみ合っていたが、さすがに衆人監視の中では暴力沙汰にまでは至らなかったのは幸いであった。(後編に続く)
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キタさん:(きたがわしげと)さん 1953年生まれ。1976年にヤマハ発動機に入社すると、その直後から車体設計のエンジニアとしてYZR500/750開発に携わる。以来、ヤマハのレース畑を歩く。途中1999年からは先進安全自動車開発の部門へ異動するも、2003年にはレース部門に復帰。2005年以降はレースを管掌する技術開発部のトップとして、役職定年を迎える2009年までMotoGPの最前線で指揮を執った。
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