『ホンダNSX(JGTC GT500/2003年)』規定変更で進化を遂げるも新導入のハンデに苦しむ【忘れがたき銘車たち】

AUTOSPORT web2024年10月23日(水)7時0分

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、2003年の全日本GT選手権 GT500クラスを戦った『ホンダNSX』です。


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 車両規定が大幅に変更された2003年の全日本GT選手権(JGTC)。GT500クラスでは、キャビン前後のパイプフレーム化が可能となり、エンジンの搭載方向の変更も認められた。


 ホンダNSXは、2000年に道上龍が初のドライバーズチャンピオンを獲得。2002年にチームチャンピオンを獲得したものの、ドライバーズの王座からは離れてしまっていた。


 来たる2003年。新規定に合わせてNSXもライバル車と同じくリニューアルを果たして生まれ変わる。


 エンジンは、それまでの横置きから縦置きへと変更。併せて前置きミッションを採用し、前後の重量配分を改善させた。ヘッドライトも市販車用から軽量タイプに改め、ポリカーボネート製のフロントウインドウを使うなど、車体の軽量化も進んでいた。


 しかし、ミッドシップハンデ50kgと、新規定で導入された前面投影面積ハンデ20kg、計70kgのウエイトハンデが、このNSXに課せられてしまう。加えてフラットボトム規制の影響もあり、NSX勢はシーズン序盤から苦戦を強いられることになった。


 開幕戦のTIサーキット英田では、TAKATA童夢NSXが3位表彰台を獲得するも、第2戦富士スピードウェイラウンド以降は、表彰台にも登壇できないレースが続いていく。


 後半戦から投入された改良版のエンジンによりNSXの性能が向上。第5戦富士スピードウェイでは、ライバルの脱落にも助けられたものの、予選3番手からスタートしたTAKATA童夢がNSX勢にシーズン初優勝をプレゼントする。


 すると、続く第6戦ツインリンクもてぎでもG’ZOX NSXが勝利を飾り、シーズン2勝目を記録した。その後も第7戦オートポリスでMobil1 NSXが2位、最終ラウンドの第8戦鈴鹿サーキットでもTAKATA童夢が2位、と連続で表彰台に登壇し復調の兆しを見せた。


 だがしかし、NSX勢のドライバーズランキング最上位は、道上龍(TAKATA童夢)の7位、と下位に沈む結果で2003年シーズンを終えることになった。


 そして、ホンダNSXは次の2004年シーズンに向け、さらなるポテンシャルアップを狙い、いよいよターボエンジン化に踏み切ることになっていくのである。

2003年全日本GT選手権第6戦もてぎを制したG’ZOX NSX。伊藤大輔とトム・コロネルがステアリングを握った。

2003年全日本GT選手権第7戦オートポリスを戦ったMobil1 NSX。松田次生とアンドレ・ロッテラーがドライブした。

2003年全日本GT選手権最終戦鈴鹿を戦ったARTA NSX。土屋圭市と金石年弘がドライブした。土屋はこのレースをもって現役を引退した。

2003年全日本GT選手権開幕戦TIサーキット英田を戦ったRAYBRIG NSX。加藤寛規と光貞秀俊がステアリングを握った。


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