朝ドラ、茨田りつ子のモデル・淡谷のり子「ブルースの女王」という称号の正体
(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)
懐メロ歌手、辛口審査員、そして…
最初の東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)に生まれた方は、今年(2024年)で満60歳、還暦を迎えます。還暦以上の方にとって淡谷のり子という存在は、おそらく「貫禄があって少々近寄り難く、両手を前に組みながら微動だにせず裏声で懐メロを歌う、長い付けまつげのおばさん」といった印象かもしれません。
これは私が10代だった頃(昭和40年前後)、東京12チャンネルで放送されていた『なつかしの歌声』で淡谷のり子を目にしていたときの印象でもあるのですが。
その後、『全日本歌謡選手権』や『ものまね王座決定戦』などの番組で、審査員として辛辣なコメントを発する歌謡界のご意見番として知名度は全国区となり、バラエティー番組で話す東北弁と眼鏡がかわいらしい、おしゃれなおばあさんとしても知られるようになりました。
令和5年10月から始まったNHKの朝ドラ『ブギウギ』で、趣里が演じる主人公・福来スズ子、草彅剛演じる作曲家・羽鳥善一のモデルとなった笠置シヅ子と服部良一に注目が集まったことは、オールド歌謡曲ファンにとって実に喜ばしいことでしょう。
この原稿を書いている令和5年の12月には、淡谷のり子の戦前の大ヒット曲『別れのブルース』を、菊地凛子が自らの歌唱で披露してくれています。
菊地が演じているのは淡谷をモデルにした茨田りつ子という役ですが、今回、笠置、服部に続き、淡谷のり子にもスポットライトが当たることは、あの激動の時代に淡谷のような女性の存在があったことを広く知らしめる意味で、『ブギウギ』の大きなポイントになるはずです。
朝ドラで甦るブギとブルース、二人の女王
『ブギウギ』に登場する芸能界のモデルといえば、主人公でブギの女王・笠置シヅ子、和製ブギと和製ブルースの父・作曲家の服部良一、そしてブルースの女王・淡谷のり子の三人がいますが、服部と淡谷が明治40年(1907)に生を受け(淡谷のほうがひと月半ほど先に誕生)、笠置は7年後の大正3年(1914)に生まれています。
戦後、『東京ブギウギ』で大ブームを起こした笠置は比較的早く昭和32年(1957)に歌手廃業を宣言し、同60年(1985)に70歳で亡くなります。
淡谷は「ものまね番組」の審査員やコメンテーターとして80代後半までブラウン管に登場していたこともあり、淡谷のほうが歌手として後輩のように思われる方がいるかもしれませんが、淡谷のほうが7歳年長でした。
クラシックを基礎にしたファルセット唱法で腕を組み切々と静かに歌う淡谷、大阪松竹楽劇部出身で地声の早口で所狭しと踊りながら歌いまくる笠置、服部良一を間に挟んで実に対照的な二人ですが、長いまつげと意志の強さ、そして心根の優しさは共通していました。
前述の菊地凛子がインタビューで、茨田りつ子役のことを「大木(たいぼく)」のような存在と表現し、「歌う姿に茨田りつ子という人の人生が見えてくる」と話していました。
朝ドラでは『雨のブルース』も歌っていますが、あの難曲によくぞ挑戦したと思います。特にファルセットで歌う個所はかなり練習を積んだことが窺い知れます。
若い頃の淡谷の写真と比べ、菊地のほうがスリムに見えますが、「歌うことは生きること。ほかに何があるの」と主人公に言い放つ台詞回しには、淡谷のり子を彷彿させる演技力がありました。
お気に入りはシャンソン、タンゴの外国曲
私が小学生だった昭和30年代後半(最初の東京五輪開催前の時期)、地元の遊び場だった洗足池からほど近いところに淡谷のり子の豪邸があり、その人物をよく知りもしないのに有名人らしいということだけで、少年探偵団を気取って野球仲間と一緒に探し歩いたことがありました。
近くにエノケンこと、榎本健一の自宅もあったようですが、榎本邸はわからず、淡谷のり子の豪邸を囲む長い塀(コンクリートだったかな)の印象だけが残っています。
『ブギウギ』に登場したことで淡谷人気が復活、今後も書籍やCDなど関連商品が復刻されたりしていくことでしょうが、すでに発売済みの『淡谷のり子 私の好きな歌 コロムビア編』という26曲収録のCDが手元にあります。
その収録曲を見てみると、お気に入りのシャンソン以外に、多数のタンゴ、そのほかボレロ、ルンバなどのラテン音楽、映画音楽などさまざまな分野の曲が選ばれており、選曲されたラインナップの広さからも淡谷の実力の一端を垣間見ることができます。歌唱力が伴っているのは言うまでもありません。
若かりし頃の淡谷がオペラ歌手をめざし、懸命に「クラシックの声楽の基礎」を学んだことが、その後の歌手人生においてジャンルを問わず歌いこなせる原動力になったことを立証しているようです。
「ブルースの女王」という称号の正体
お気に入り曲を収録した前述のCDですが、自らの代表曲であり和製ブルースの傑作『別れのブルース』(昭和12年、曲・服部良一)も『雨のブルース』(同13年、曲・服部良一)も、選ばれていません。
背景には、本来の米国産ブルースというものが虐げられていた黒人たちのものであり、彼らが自らの気持ちを彼ら自身で言葉にし、メロディーをつけて声に出したものが本当のブルースであり、ヒットさせるために日本国内で創作されたものとは似て非なるものであることを、そして自分が流行歌の世界で「ブルースの女王」と呼ばれることのいかがわしさを淡谷は知っていたのです。
「ブルースの女王」と称される前、淡谷は本来のブルース、米国産『セントルイス・ブルース』を東京劇場の舞台で歌唱しています。大ヒット曲『別れのブルース』の発売2年前、昭和10年のことでした。
ちなみに、笠置シヅ子はその5年後の昭和15年、服部良一の編曲、大町竜夫の日本語詞で『セントルイス・ブルース』を歌っています。
ジャズに没頭しつつも日本人の心情を理解している服部良一が、見事に換骨奪胎して誕生させた「和製ブルースの世界」。
その後、淡谷の『東京ブルース』(詞・西条八十、曲・服部良一)、ディック・ミネの『上海ブルース』、渡辺はま子の『広東ブルース』など「地名+ブルース」もののヒット曲が登場しますが、戦後の昭和40年代初めにブームとなった『柳ケ瀬ブルース』『新宿ブルース』『伊勢佐木町ブルース』『長崎ブルース』などの短調系ご当地ソングの源流も元を正せば、淡谷のり子に行き着くのかもしれません。
(参考文献)
『別れのブルース』(吉武輝子著、小学館)
『ブルースのこころ』(淡谷のり子著、ほるぷ)
『一に愛嬌二に気転』(淡谷のり子著、ごま書房)
(編集協力:春燈社 小西眞由美)
筆者:堀井 六郎
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