『どうする家康』密かな人気を誇る「鳥居強右衛門」の意外なキャラ設定に驚愕
NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第21回「長篠を救え!」では、長篠城が武田勝頼に包囲され、窮地に陥った城主の奥平信昌は、家臣たちを励ましながら徳川家康の援軍を待つものの、もはや落城寸前に。助けは来るのか、来ないのか。ある男が立ち上がり、敵軍の目をかいくぐって、岡崎城に様子を見に行くことになるが・・・。今回の見所について、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
歴史ファンの間では有名な「鳥居強右衛門」
「ただ誹(そし)られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう。そして現在にもいない」
大河ドラマ『どうする家康』の第21回「長篠を救え!」を見て、そんなブッタの言葉が頭に浮かんだ。スポットライトがあてられたのは、岡崎体育演じる鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)。奥平家の家臣である。
一般的に広く知られている人物とは言い難いが、歴史ファンの間では、密かに人気のある人物だ。大河ドラマに登場するのは初めてではないし、北海道テレビ制作のバラエティ番組『水曜どうでしょう』で紹介されたこともある。
彼の名が歴史に刻まれたのは、徳川家康と織田信長の連合軍が、武田勝頼が率いる武田軍と激突した「長篠の戦い」においてである。正確には、その前哨戦にあたる長篠城での攻防において鳥居強右衛門が躍動することとなった。
「忠義者」のイメージを覆すキャラ設定
ドラマを見た人はご存じのとおり、鳥居強右衛門は、戦場で敵軍を打ち倒したわけではない。伝令係として、ただひたすら走ったに過ぎない。
しかし、担った役割は大きなものだった。それは「まもなく織田と徳川から援軍が送られてくるから、それまで耐えろ」というメッセージを、長篠城のみんなに伝えるというもの。
道中で武田勢に捕らえられて、真逆のウソの情報を伝えるように調略されるが、鳥居強右衛門はなびかなかった。いったんは従ったふりをして油断させてから、みなに真実を告げ、武田にあえなく処刑されている。
その悲劇的な最期が人々の心を打ち、時代を超えて語り継がれることとなったが、『どうする家康』では、そんな鳥居強右衛門をひと際、ドラマチックに描くことに成功している。その理由が、鳥居強右衛門のキャラクター作りだ。
鳥居強右衛門の名は松平家の発祥から家康が天下をとるまでを綴った『三河物語』で「鳥居強右衛門尉」とある通りだが、どんな身分で、どの程度の禄をもらっていたかなどはわかっていない。ましてや、どんな性格だったかは文献に残されているはずもなく、人物をどう描くかは脚本家の腕次第となる。
といっても、鳥居強右衛門の場合は、残されている文献での記述内容が、すでに十分に劇的であり、読む人の多くは「忠義者」というイメージを持つことだろう。ドラマでは、そのままストレートに描いても、見る者の心を十分に打つはずだ。
だが、『どうする家康』での鳥居強右衛門は忠義者どころか、いきなり不満たらたらである。長篠城はすでに兵糧が尽きようとしていたが、徳川や織田から援軍が来ることだけを望みに、持ちこたえていた。
白洲迅演じる城主の奥平信昌が「しっかりせい! じきに助けが来る! 必ずしや、徳川がな」と家臣たちを懸命に励ますなかで、鳥居強右衛門は「来るもんかて」とつぶやき、こう続けた。
「わしゃ、来んと思うわ。わしらは見捨てられたんじゃ。武田を裏切って徳川についたは、しくじりでごぜえます!」
こんなふてくされた男が、岡崎まで走って、しかも、自分の身を犠牲にしてみんなを救おうとするなんて、無理があるのでは? と史実を踏まえている歴史ファンをも惹きつける展開となった。
武田を裏切った奥平家と徳川家の関係とは?
さらに「殿は徳川に騙されたんじゃ」と、言いたい放題の鳥居強右衛門。あまりに無礼だと怒った信昌の側近に「おのれ! ろくでなしが!」と追いかけられている。
鳥居強右衛門が助けを求めてしがみついた相手は、何と、あれだけ批判した城主の奥平信昌。どうもこの奥平信昌、偉ぶっているところがまるでない。鳥居強右衛門を相手に苦しい胸の内を明かしている。
「強右衛門、わしはもう武田には戻れん。徳川様を信じるほかないんじゃ」
奥平家と徳川家の関係を簡単にでも踏まえておくと、このセリフの意味するところがよくわかる。もともと奥平家は徳川方に従っていたが、元亀3(1572)年に武田信玄が侵攻してくると、調略に応じて武田方についてしまう。
ところが、信玄の死後、奥三河の奪還に動いた家康は、奥平定能と息子の信昌を従属させるべく動き出し、これに成功する。関係性を強化するため、天正元(1573)年8月20日には、奥平父子との間に7カ条の起請文を交わした。1カ条目では、次のようにある。
「今度申し合せ候縁辺の儀、来たる九月中に祝言あるべく候」
家康は自身の娘である亀を、奥平定能の嫡男にあたる奥平信昌のもとに嫁がせると約束。9月中に婚儀を行うとしている。加えて、奥平信昌には長篠城が任されることとなった。
そうして奥平家が再び家康側についたことに怒ったのが、武田勝頼だ。勝頼は長篠城を包囲。奥平信昌は籠城戦で耐えしのぐも、すでに兵糧は尽きつつあり、限界に。それでもどうすることもできず、家康とその同盟相手である織田信長の助けをただ待つしかなかった。
そんな経緯を踏まえれば、家康が助けに来ないことに不満を持つのは当然である。鳥居強右衛門の態度にも納得がいくものがあるが、一方の奥平信昌もまた苦しい立場だ。背景を踏まえることで「もう武田には戻れん」という言葉の重みもよくわかるだろう。
頼りがいのない強右衛門に賭けた奥平信昌の思い
やさぐれていた鳥居強右衛門だったが、困難に直面してもなお家臣を励まして立ち向かう奥平信昌の姿に、心が動かされたらしい。こうつぶやいている。
「呼んで参りましょうか? 岡崎へ走って、徳川様の城へ。ここは食いもんがねえと」
よほど信用がないのだろう。この申し出にも、周囲の家臣たちからは「逃げる気じゃろう!」「このろくでなしが!」と非難を浴びせられる始末である。
それにしても鳥居強右衛門の「呼んで参りましょうか?」という提案もいささか控えめで、自信なさげだ。これでは、奥平信昌としても安心して任せられないのではないか。筆者はそんな印象を受けたが、奥平信昌はこの鳥居強右衛門に賭けてみることにした。のちにそれがどれほど嬉しかったかと、鳥居強右衛門が家康の娘、亀に語り掛けるシーンがある。
「わしゃあろくでなし強右衛門と呼ばれる駄目な奴で、正直ここに来るかどうかも迷っとったくれえで。このまま逃げちまおうと・・・でも若殿はこんなわしを信じて見送ってくださった! 優しい良い殿なんでごぜえます」
この言葉を聞いたときに、鳥居強右衛門が名乗りを挙げながらも、どこか相手を探るような目だった理由がわかった。鳥居強右衛門はこれまでの人生で何度も、自分にがっかりしてきたのではないだろうか。
周囲の期待にも、自分の期待にも応えられない自分が情けなくて仕方がない。ならば、いっそのこと、みなに言われる通り「ろくでなし強右衛門」として生きたほうが、傷つかなくて済む。
自分に期待することをやめた人間は、他人に期待することもしなくなる。「来るもんかて」と、家康への疑いを口にしたことも、もともとは自分自身への深い絶望から来ていたのかもしれない。それだけに、この言葉を発するのにも勇気が要ったことだろう。はたして自分にできるだろうか? みなが言うように途中で逃げてしまうのではないか? その前に、自分にやらせてもらえるだろうか? いろんな思いが胸に去来したに違いない。
それだけに、奥平信昌が信じて任せてくれたことが嬉しかった。上に立つ者は、ついつい頼りがいのある人に大事な任務を任せがちだ。しかし、「頼りがいがない」と思われている人ほど、大事な任務を任せてもらえる機会は貴重であり、その期待に応えようとするものだ。
信じてもらえることで、人は強くなれる。奥平信昌の信任が、鳥居強右衛門の心に使命感の火をともすこととなった。
「ろくでなし強右衛門」が大役を果たせたワケ
奥平信昌以外にもう一人、鳥居強右衛門を信じた人がいた。徳川家康の娘、亀である。ドラマでは「亀だけが奥田家への輿入れを知らされていない」という設定にすることで、亀のキャラクターを際立たせることにも成功している。
長篠の土地について、織田信長の娘である五徳が「ものすごい山の、獣しかおりませぬ・・・あの者を見たでしょ? みーんな毛むくじゃらよ」と不安を煽ったこともあり、「嫌じゃ、嫌じゃ!」と拒否する亀。岡崎に着いた鳥居強右衛門は、そんなやりとりを密かに覗いていただけに、最終的に亀が嫁入りを決めた重みも、またひしひしと受け止めることになる。
亀もまた、鳥居強右衛門が無事に任務をやり遂げることを信じ切っている。ここで、自分が逃げてしまえば、長篠城を助けるために、苦渋の決断を下した亀の思いもまた無駄になってしまう。亀の思いを託されて、鳥居強右衛門の心はさらに奮い立つことになる。
「ろくでなし」とされた鳥居強右衛門なのに大役を果たせた、のではなく、「ろくでなし」とされた鳥居強右衛門だからこそ大役を果たすことができた。彼にとって、こんなに誰かに信じてもらえることは、初めてのことだったのだから。
さて、次回はいよいよ「長篠の戦い」を迎える(第22回「設楽原の戦い」)。織田信長はどのように武田勝頼を追いつめるのか。次回にも期待が高まるが、筆者は今回の第21回「長篠を救え!」での物語を忘れることはないだろう。
自分はいま何を行うべきか。わからなくなったときに鳥居強右衛門の奮闘ぶりを思い出すようにしたい。
【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝〈1〉~〈5〉 現代語訳徳川実紀 』(吉川弘文館)
太田牛一、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
中村孝也『徳川家康文書の研究』(吉川弘文館)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
柴裕之『青年家康 松平元康の実像』(角川選書)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
金子拓『鳥居強右衛門:語り継がれる武士の魂』(平凡社)
筆者:真山 知幸
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