阪神育成3位・早川 エスコンでの“凱旋”登板熱望 元の職場から徒歩圏内「1軍で活躍できるように」
2024年11月19日(火)5時15分 スポーツニッポン
阪神から育成ドラフトで3位指名を受けたくふうハヤテ・早川太貴投手(24)が18日、静岡市内のホテルで入団交渉に臨み、支度金300万円、年俸300万円で仮契約を結んだ。北海道江別市出身で、小樽商大卒業後は北広島市役所福祉課で2年間勤務。プロ入り後は思い出の同市役所から徒歩圏内にあるエスコンフィールドでの登板を熱望した。異色の元公務員右腕が育成からの成り上がりを挑む。
早川には目標とする舞台があった。それはエスコンフィールドのマウンド。公務員時代は毎日のように新球場の外観は見ていた。しかし、これまで一度も足を踏み入れることはしなかった。理由はプロ野球選手として登板することを心に決めていた。
「(球場内に)入ってみたい気持ちはもちろんあったんですけど、ずっとプロを目指していたので(プロに)入ってから自分が良いプレーヤーとして入れたら一番」
北海道江別市で育った。国立の小樽商大卒業後は公務員試験を受験。見事に合格を果たすとエスコンフィールドから徒歩10分程度の距離に位置する北広島市役所に就職した。福祉課で生活保護受給者などの支援をする相談員として勤務した。
「お世話になった方からも連絡をいただいたりとか“新しくチームが変わっても頑張ってね”と激励の言葉をいただいた」
二足のわらじを履いてプロを目指し続けた。夢を諦めきれず市役所の軟式野球チームと地元の硬式クラブチーム「ウイン北広島」の2チームでプレー。当時は午前3時に起床して、同4時半からキャッチボールを開始する時も頻繁にあった。「本当に少ない時間の中でしか練習ができなかった。限られた時間でも優先順位を決めて、何が必要かというのを考えながらやるのは、今でも生きている」。苦手な早起きも乗り越え、寸暇を惜しんで技術向上に努めた。
今季はウエスタン・リーグで25試合に登板して4勝7敗で防御率3.22。阪神戦では6試合に登板(うち4試合に先発)し、防御率0.35と結果を残した。今季から2軍に参入した球団の所属選手でNPB入りした最初の選手となった。
「支配下に上がって1軍で活躍できるようにやっていきたい」
故郷に錦を飾る。努力で自らの道を切り開いてきた道産子の夢は、タテジマのユニホームでかなえてみせる。(杉原 瑠夏)
≪北海道江別市出身、北広島市役所に就職≫
◇早川 太貴(はやかわ・だいき)1999年(平11)12月18日生まれ、北海道江別市出身の24歳。大麻泉小3年で野球を始める。大麻東中では軟式野球部。大麻では3年夏に右腕骨折。甲子園経験なし。小樽商大では1年秋、札幌六大学野球2部リーグ初登板。北広島市役所に就職後はクラブチームのウイン北広島所属。24年にウエスタン・リーグのくふうハヤテ入団。25試合で4勝7敗、防御率3.22。1メートル85、95キロ。右投げ右打ち。